午前中、洗濯物を干していたらヘリコプターの音。
どこかなぁ、と右に左にと空を見上げるもわからなかったし、見えないな、と諦めかけたときに、
じぃーーーーっと、一点を見つめる桃ちゃん。
その、見つめる先に視線を合わせるべく、しゃがんで空を見つめていると、
ヘリコプターがやってきました。
そのあと、輸送機だかなんだか、飛行機の飛ぶ音がしたので桃ちゃんを見ると、
またしても、なにもない空の方向をじぃーーっと見つめているので、
そちらを一緒に見つめていると、やってきました飛行機が。
猫の耳は、正確に音の方向も把握しているのですね。
私なんて、こっち?あっち?ときょろきょろきょろきょろ。
すごいねー、桃ちゃん。
「どっちが強いと思う?」
子どもの頭の中では、自分の知っているものが戦ってどちらが強いか、
ということを考えるのは楽しいことなのでしょう。
それは、赤いブロックと青いブロックのこともあるし、大きい船と飛行機のこともあるし、
ゴリラとカバだったり、ゾウとゴリラだったり、サンダーバードの1号機と3号機だったり、
ああだこうだ、と一緒に話す場合もあれば、
子どもに教えを乞う場合もあります。
そんなどっちが強いかの話しで、昨日来たお子さんは、
動物対動物の強さについて、色々と想像を巡らせるのが好きなお子さんでした。
おもしろいなぁ、と思ったのは、
例えば、水の近くでカバとゴリラが戦ったら、
カバがゴリラを水におびき寄せて引きずろうとするだろうからカバが強い、でも、
森の中でカバとゴリラが戦ったら、両手が使えるからゴリラが強い、でも、
カバが大きな口でゴリラを噛んだら、ゴリラはちぎれるから、カバが強い、などと、
色々な場面を想定して、その勝負の行方を頭の中で、あれやこれや考えていることでした。
また、ライオンとゴリラでは、
ライオンは肉を食べるからライオンが強い、と腕力ではない部分で勝負してみたり、
そんなライオンもゾウには蹴られるから、ゾウが強いとなんだか真っ当なことをいってみたり、
結局は、マンモスがいちばん強いよ、と原始時代(?)に話しがつながったり、
子どもの頭の中で、色々な比較がごった煮のようなされているんだなぁ、と
感心することでした。
こういうごった煮の頭の中をもう少しのぞかせてもらいたいなぁ、と、
「ねー、ゴリラってどこに住んでるの?」と聞くと「森だよ!」とか、
「マンモス見たことある?」と聞くと「今はね、いないんだよ。ゼツメツしたんだよ。」
「絶滅って、どういう意味?」「いないの、もう」とか、
その子が発している単語にどのぐらいの奥行きがあるのかを垣間みることができます。
このときに、私が注目しているのは、
正しい意味や状態を子どもが知っているかどうかではありません。
子どもが使っている言葉にどんな肉付けをしているのか、
肉付けをするのに、更にどんな言葉を使い、どんな表現をするのかというような部分です。
子どもによっては、1を聞くと2倍にも3倍にも答えてくれる子もいれば、
1つ聞くと「ああ、どうしよう」とこちらをうかがうような表情をする子もいます。
とにかく、話したい子、自分の知っていることを披露したい子もいれば、
自分の発言は正しいのか、訂正されないか、に気がいく子、色々ですね。
子どもの話しを聞いているときは、子どもの話しの正しさにこだわるよりも
子どもが夢とうつつを自由に行き来することができるほうが、発想や言葉の力を育てるのかなぁ、と
そんなことを思います。
そして、話しを聞いている大人も一緒にどっぷりとマジで、
子どもの夢とうつつの世界に浸ると良いなぁ、と思います。
お試しください
どこかなぁ、と右に左にと空を見上げるもわからなかったし、見えないな、と諦めかけたときに、
じぃーーーーっと、一点を見つめる桃ちゃん。
その、見つめる先に視線を合わせるべく、しゃがんで空を見つめていると、
ヘリコプターがやってきました。
そのあと、輸送機だかなんだか、飛行機の飛ぶ音がしたので桃ちゃんを見ると、
またしても、なにもない空の方向をじぃーーっと見つめているので、
そちらを一緒に見つめていると、やってきました飛行機が。
猫の耳は、正確に音の方向も把握しているのですね。
私なんて、こっち?あっち?ときょろきょろきょろきょろ。
すごいねー、桃ちゃん。
「どっちが強いと思う?」
子どもの頭の中では、自分の知っているものが戦ってどちらが強いか、
ということを考えるのは楽しいことなのでしょう。
それは、赤いブロックと青いブロックのこともあるし、大きい船と飛行機のこともあるし、
ゴリラとカバだったり、ゾウとゴリラだったり、サンダーバードの1号機と3号機だったり、
ああだこうだ、と一緒に話す場合もあれば、
子どもに教えを乞う場合もあります。
そんなどっちが強いかの話しで、昨日来たお子さんは、
動物対動物の強さについて、色々と想像を巡らせるのが好きなお子さんでした。
おもしろいなぁ、と思ったのは、
例えば、水の近くでカバとゴリラが戦ったら、
カバがゴリラを水におびき寄せて引きずろうとするだろうからカバが強い、でも、
森の中でカバとゴリラが戦ったら、両手が使えるからゴリラが強い、でも、
カバが大きな口でゴリラを噛んだら、ゴリラはちぎれるから、カバが強い、などと、
色々な場面を想定して、その勝負の行方を頭の中で、あれやこれや考えていることでした。
また、ライオンとゴリラでは、
ライオンは肉を食べるからライオンが強い、と腕力ではない部分で勝負してみたり、
そんなライオンもゾウには蹴られるから、ゾウが強いとなんだか真っ当なことをいってみたり、
結局は、マンモスがいちばん強いよ、と原始時代(?)に話しがつながったり、
子どもの頭の中で、色々な比較がごった煮のようなされているんだなぁ、と
感心することでした。
こういうごった煮の頭の中をもう少しのぞかせてもらいたいなぁ、と、
「ねー、ゴリラってどこに住んでるの?」と聞くと「森だよ!」とか、
「マンモス見たことある?」と聞くと「今はね、いないんだよ。ゼツメツしたんだよ。」
「絶滅って、どういう意味?」「いないの、もう」とか、
その子が発している単語にどのぐらいの奥行きがあるのかを垣間みることができます。
このときに、私が注目しているのは、
正しい意味や状態を子どもが知っているかどうかではありません。
子どもが使っている言葉にどんな肉付けをしているのか、
肉付けをするのに、更にどんな言葉を使い、どんな表現をするのかというような部分です。
子どもによっては、1を聞くと2倍にも3倍にも答えてくれる子もいれば、
1つ聞くと「ああ、どうしよう」とこちらをうかがうような表情をする子もいます。
とにかく、話したい子、自分の知っていることを披露したい子もいれば、
自分の発言は正しいのか、訂正されないか、に気がいく子、色々ですね。
子どもの話しを聞いているときは、子どもの話しの正しさにこだわるよりも
子どもが夢とうつつを自由に行き来することができるほうが、発想や言葉の力を育てるのかなぁ、と
そんなことを思います。
そして、話しを聞いている大人も一緒にどっぷりとマジで、
子どもの夢とうつつの世界に浸ると良いなぁ、と思います。
お試しください