かれこれ20年近く踏み入れていないのではないだろうか・・・東京奥多摩地区にある青梅線だ。現在では、E233系電車が奥多摩まで走り、列車本数も増えて近代化の一途だろう。
アントンKが最初に青梅線を訪ねたのは、1975年春のこと。鉄道写真駆け出しのアントンKを引き連れ同行してくれたのは、SL時代から撮影経験のある同級生だった。丸一日撮影を楽しんだ中でも、印象的な出来事はまだ多く脳裏に刻まれている。独自性などカケラもない当時のアントンKだから、当然同行者には影響を受けやすくもあり、多くの刺激をもらったのだ。今でも一番印象に残っているのは、カラーネガより白黒で撮影すべきという考え方だった。カラーポジはまだ使ったことのないアントンKだったから、ネガカラーフィルムを主体に撮影していたが、彼曰く、将来的には白黒で残しておいた方が保存が有利ということだった。そんな話から、次第に白黒フィルム主体になっていったが、デジタル主体の現代には、考えられない事柄になってしまったようだ。経年劣化は、フィルムを選ばず保存状態で変わるし、避けられないことのようだから、いかに当時の姿を留めさせるかが問題のようで、一刻も早くデータ化する意味はまさにそこにある。当時、将来デジタルカメラが主体となることなんて夢のまた夢だったから、これも仕方がない事。自分なりに精一杯楽しんでこれたのかが重要に思える昨今なのである。
早めの電車で、沢井、軍畑府付近で下車、上り貨物列車を撮影してから、古里に向かうのがお決まりのコース。掲載写真は、沢井付近で撮影したED16の貨物列車。今にして思えば、貨物列車の本数が多く、結構忙しく動き回った想いが蘇ってくる。ED16が去り、貨物列車そのものも1998年に消えてしまい、撮影対象から外れてしまった青梅線沿線。時間を見つけて当時を偲ぶのもわるくない行程に思える。
1978-02-21 5291ㇾ ED1610 青梅線:沢井-御嶽