アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

土曜午後のお楽しみ!~ED16重連運転

2021-06-24 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

定期列車に限らず、昔から機関車の重連運転は、機関車ファンにとっては外せない被写体だったはず。アントンKも、御多分に漏れず大好きな被写体であり、可能な限り今まで追い求めてきた。ここでも何度か話題にした荷35列車を皮切りに、西の荷37ㇾ、八王子の5472ㇾ、高崎線の5780ㇾ、そしていまだに現役の重連貨物である8094ㇾ(現8097ㇾ)などなど、思い出に残る列車番号が脳裏をよぎる。これらは全て、普段は、重連運転のない機関車による回送を兼ねた重連運転だったことが共通項だった。ロクヨン(EF64)などは、2組で運転されるのが日常の光景だから、当時はあまり刺激を受けなかったことも事実だった。今思えば贅沢な話だが、同じ重連運転でも希少性を求めて行動していたということになるか。まあこれも、若き感覚で今さら微笑ましくも感じてしまうのだ。

ここでは、そんな思い出の重連列車から、ED16の重連運転の画像を掲載しておく。詳細はもう忘れてしまったが、臨貨の運転があると、決まって土曜の午後のスジが重連で動いていた記憶がある。毎週実現しはしなかったはずだが、結構な頻度で運転され、撮影仲間たちとこぞって沿線に出ていた楽しい思い出が多く残っている。当然ながら、唯一スノープロウのある14号機先頭の貨物列車を毎回狙っていたものだが、アントンKにはご縁がなく、撮影は実現していない。

1980-04-29    5191ㇾ  ED16 11+2      東海道貨物線:浜川崎付近


懐かしき自分だけの撮影ポイント~EF15

2021-06-22 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

鉄道写真の分野でも、先人たちが昔から築き上げた有名撮影地というポイントが全国各地に存在している。その画像を一目見れば、言わずとも場所が特定できる名撮影地だ。しかしそんな撮影地でも、今では経年変化で撮影など困難になったポイントも多いと聞こえてくる。幼少の頃から、雑誌で見てずっと憧れてきた撮影地に後年行くことが出来た時の嬉しさは、未だに忘れられないものがある。この歳になっても、まだ行くことの叶わないポイントが全国に多数あるから、今後の自分への課題として温めているところだ。

ここでは、また過去を振り返って、鉄道撮影駆け出しの時代、自分だけの撮影ポイントとしてよく通っていたポイントを載せておきたい。このブログでも何度か掲載済だが、おそらく現在は、全く面影すら無くなっているのではないか。自動車も通れないような小さな踏切からカメラを良く向けていた若き時代。模型店の予定のない下見が一通り終わると、ここで小一時間撮影を楽しんだものだった。そんなことが数年続いたと思うが、当時誰一人撮影者に会うことは無かったと記憶している。掲載は、八王子からのEF15による貨物列車。中央線101系電車に混じってやってくる古武士のようなデッキ付き電機には、やはり当時から興味があった。

1976-02-24     992ㇾ  EF15 12    中央本線:武蔵境-三鷹


ローカル貨物は魅力満載Ⅱ~身延線EF10

2021-06-21 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

地方支線のローカル貨物の流れで、今回は身延線の貨物列車。もともと首都圏に走っていたデッキ付きの茶色の電機の撮影に飽き足らず、前出の北関東両毛・我妻線、そして飯田線、身延線と足を延ばし始めた頃の画像になる。どれも残された画像は誉められたものではなく、ただ写っているだけというものだが、懐かしさの残っているうちに掲載してしまう。

まだ甲府機関区に初期のEF10型が活躍していた時代。個性豊かなEF10は、年代とともに形態が変化し、ED16に近い初期の形状が好みで狙いに行ったはず。この時は運よく、その一次型のお出ましとなったが、何と貨車はワフ1両というローカル振り。とっさに構図をアレンジする余裕も無く、そのままシャッターを押したようだ。盆地特有のとにかく暑い一日だったことが思い出される。

そして身延線というと、やはりこちらの方が当時より魅力的に思えたものだった。初めて見たクモハユニ44には感動した。何本か待って、わざわざ乗車して帰京した思い出が蘇るのだ。

1976-07-27   665ㇾ  EF1010 

        623M クモハユニ44800   身延線:甲斐住吉-国母


ローカル貨物は魅力満載~EF12

2021-06-19 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

前述しているように、比較的昔から出かけていた吾妻線という盲腸線。沿線に温泉地等が存在するから、特急、急行は定期列車で走っていたし、臨時列車も多かったと記憶している。貨物列車だって、日中2往復あったと思うが、当時はEF12というこの地ならではの古豪が元気に活躍していた。

デッキ付きにも関わらず、当時のファンの間では、この手の茶色の電機はあまり人気がなかったようで、同業のファンの姿は稀だったように思う。晩年の時代、それも団臨等が入線すれば、そこそこファンが集まったようだが、それでも現代の比ではないだろう。のんびりとした良き時代だった。掲載は、そんな中から、EF12のローカル貨物列車。一瞬今で言うホキ工臨?と思ってしまうが、これも定期の列車だった。昔から小野上には砕石場が存在し、時たまホキを連ねることがあったようだ。まだまだ暑い晩夏の1日だったと記憶している。

1979-08-26    192ㇾ  EF12 5      吾妻線:小野上-祖母島


重連亡き後もひっそりと・・・EF58短絡荷物列車

2021-06-18 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

東海道線を走る荷物列車で有名だった荷35列車。1975年春のダイヤ改正から約3年の間、EF58の重連運転で東海道を下る、今思い出しても豪華な荷物列車だった。そしてこれに付随する形で、やはりファンの間では有名だったEF15による荷物列車、荷2935。隅田川から上野、東京経由で品川まで走っていた定期の荷物列車。この列車を品川から荷35ㇾとして増結の上、西へと下っていた訳だ。重連で荷物列車をひくゴハチもさることながら、普段貨物に従事しているEF15が、荷物列車を定期で引く列車も、当時は貴重に思えて、アントンKも何度か撮影に出向いた記憶がある。ただ、走行区間が都心部となって、駅ホームからの撮影が主体となり、変化に乏しく苦慮した思い出が残っているのだ。

そんなEF15の牽く荷物列車も、そしてEF58重連の35列車も、1978年秋の改正で消滅してしまったのだが、画像を見返していく中で、改正後の荷物列車の画像が出てきたので掲載してみたい。当時のメモには、列車番号も同じ荷2935ㇾとあったが、機関車はEF58に代わり、編成も3両と極少になってしまっていた。もう忘れてしまった思い出の発掘作業は、ゆっくりと進行中である。

1978-10-15    荷2935ㇾ   EF58151    東海道本線:新橋-品川