ある大学の経営学部の先生が,教えている学生で,総合商社を知らない者が多数いて,三菱商事や三井物産といっても聞いたことがないと答えるが,これじゃ教えようがないと嘆いていました。こういうことは私にも経験があります。数年前,私のゼミ(流通専門)に所属しているのに,スーパーのダイエーを知らない者がいたのです(それも複数)。さらに,スーパーに買い物に行ったことがあるかと訊くと,何とゼミの半分の学生はないと答えました(全員男子学生)。全ての学生がこれほど生活範囲が狭く,ボキャブラリーが貧困であるとはいいませんが,傾向としては学生の生活範囲(あるいは世間)は狭くなっています。そしてそれに伴い知識や思考も狭くなっているようです。
卒論のテーマ案を4年生に答えてもらったら,自分の生活範囲から考えた,素朴な興味しか示せませんでした。「自分の好きなアーティストのビジネスについて」「自分が乗っている車のメーカーのマーケティングについて」「ビールのブランドごとのターゲットについて」など。だから何?と聞き返されて終わってしまいそうなものばかりです。なぜの問いかけは全くなく,軽く調べて終わりです。経済の趨勢や学問的な問題からテーマを捉えようという意思が見られないのです。
また,比較的具体的な話をした方の,ファッションに関心があるという学生は,街におけるセレクトショップの集積と,若者に向けた(中年や年配者は除いて)その戦略のあり方を考察したいとか何とかいっています。若者こそがおしゃれでファッションに敏感という発想は幾分か的を得ていそうですが,実際にはセレクトショップは中年や年配者向けのブランドやショップを数多く立ち上げて力を入れています。中年には中年の,年配者には年配者のファッションやかっこいい装いは存在するのです。そしてそれは大きなビジネスになっています。また,街は若者だけが利用するのではありません。そういうことをきちんと調べて,理解したうえで,セレクトショップの戦略のあり方を考察するのならいいのですが,自分の体験と感覚の範囲で考えようとするのみです。半径5メートルの世間で生活する若者たちと最近よく指摘されていますが,知識や思考までそういう狭い範囲に閉じ込めていては能力の成長は見込めそうにありません。
卒論のテーマ案を4年生に答えてもらったら,自分の生活範囲から考えた,素朴な興味しか示せませんでした。「自分の好きなアーティストのビジネスについて」「自分が乗っている車のメーカーのマーケティングについて」「ビールのブランドごとのターゲットについて」など。だから何?と聞き返されて終わってしまいそうなものばかりです。なぜの問いかけは全くなく,軽く調べて終わりです。経済の趨勢や学問的な問題からテーマを捉えようという意思が見られないのです。
また,比較的具体的な話をした方の,ファッションに関心があるという学生は,街におけるセレクトショップの集積と,若者に向けた(中年や年配者は除いて)その戦略のあり方を考察したいとか何とかいっています。若者こそがおしゃれでファッションに敏感という発想は幾分か的を得ていそうですが,実際にはセレクトショップは中年や年配者向けのブランドやショップを数多く立ち上げて力を入れています。中年には中年の,年配者には年配者のファッションやかっこいい装いは存在するのです。そしてそれは大きなビジネスになっています。また,街は若者だけが利用するのではありません。そういうことをきちんと調べて,理解したうえで,セレクトショップの戦略のあり方を考察するのならいいのですが,自分の体験と感覚の範囲で考えようとするのみです。半径5メートルの世間で生活する若者たちと最近よく指摘されていますが,知識や思考までそういう狭い範囲に閉じ込めていては能力の成長は見込めそうにありません。