愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

不思議な表現

2008年12月17日 | Weblog
学生の言葉使いで、変だ、あるいは間違っていると思われるものがいくつかあります。ワープロ原稿の印刷のことを一般的にはプリントアウトと表現しますが、私の身のまわりにいる学生は揃いも揃って、コピーと表現します。「先生、原稿をコピーしてきません」、「いや今日は皆に原稿を配布することがないのでコピーは必要ない」「でも先週コピーするよう指示されました」「コピーは指示していない、プリントアウトしてきてくれといったはずだ」「だからコピーですよね」というとんちんかんな会話が繰り返されます。

大学の部局で、教務課というのがどこの大学にもありますが(学務課という場合もある)、うちの学生たちは揃いも揃ってそれを学生課と呼びます。教務課は学生の勉学や教員の教育に関わる事務処理を担当する部局です。学生課という部局は別に存在していて、それは勉学以外の学生生活(課外活動)を主に担当する部局です。しかし、学生が真っ先に駆け込む場所という意味でなのか、高校までは細かな部局分けがされてなかったためか、学生は教務課を学生課と呼びます。では学生課は何と表現するのかといえばこれまた学生課です。当然、混乱する訳です。

つぎの表現は日本中の大学で聞かれるのかもしれません。学生は学生自身のことを「生徒」と呼ぶのです。おそらくこの表現が間違いであることを指摘しても多くの学生は理解できないでしょう。生徒というのは中学・高校(中等教育段階)の学習者のことを指します。では大学などの高等教育段階では学習者のことを何と呼ぶかといえば、学生です。学校教育法で決まっています。わざわざ呼び名を変えているのは、高等教育においては、中等教育段階と違い、学習者は大人であり、自学自習を教育の基本としているからという意味合いがあったからでしょう。学生が自身のことを生徒と表現するのは10年ほど前から広がったように思います。最初は短大の女子学生が使っていたように記憶しています。今は、短大、4年制大、男子、女子問わず使っています。

こうした間違いの原因を考察してみると、単にボキャブラリーが貧困なだけなのかもしれません。しかし、自身のことを生徒と表現してみたり、自分たち中心に部局名を混乱させてみたりというのは、学生が大人になりきっておらず、高校の延長で大学を捉えているからだろうと思っています。勉学面でいえば、大学で単に授業に出て、黒板の文字をノートに書き取って、覚えるというだけでは高校と何らかわりがありません。高校の延長で捉えてもいたしかたないのかもしれません。

大学の勉学は自学自習が基本です。そして、その中心にあるのが研究活動です。大学教員は研究者であると位置づけられています。われわれ大学教員は研究論文・著書を執筆して、それを認めてもらって教員の地位を得ています。その教員の研究活動に学生を巻き込み、学生も教員の指導下研究を進めていくというのが大学教育の本道です。学生が大学を高校の延長で捉え、自身を生徒と呼ぶのは、この本道の研究にきちんと巻き込まれていないからかもしれません。学生がきちんと研究活動を行うようになれば、自らのことを生徒と呼ばなくなるのかもしれません。やはり、われわれがきちんと大学教育のあり方を考え直して、学生に研究指導できるようにしなくてはなりません。
コメント
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