1979年
リリース
アルバム 「親愛なるものへ」
のなかから……
「狼になりたい」
という歌。
夜明け前の
吉野家からの
実況中継のような
心情描写もいれながら
主人公の冴えない男の呟き
を
やりきれない感情のはけ口を
どこで吐かせるのか?
その場所すら
ない中
苛立ちがだんだん募っていく
さまを
よくよく
観察してこのような詩がかけたのか?
作家のレベルでの
「狼になりたい」という歌には
当時としては時代背景なんかは
全面に出ていないけれど……
閉塞感が充満してる夜明け前の吉野家。
ってところが
リアリティを産んでいる。
それこそ
始発前の駅のホームとか
飲み屋とか
彼、彼女のマンションだとか?
もっと
場所の限定は広くぼやかしていたのが
少し前のこの手の歌の歌詞の内容だったと思う。
中島みゆきさんは
あえて
リアルな固有名詞 「吉野家」を使うことによって
より、鮮明に情景を思い浮かばせることに
成功したと思う。
誰もがわかりやすく
その詩の世界に
入りやすくした。
具体性のない抽象的な
場所だと
導入のインパクトからして
ぼやけてしまう。
もはや間違いようのない
吉野家で展開される
映画のようなワンシーンから
始まるこの歌は
この歌の男は
狼になることができるのか?
といったところを
心の声と
呟きとの区別のつかない台詞を
聴きながら
聴いていて
気持ちが分かちあえる
所に馴染んでしまうのだ。
ダメなやつは
なにをやってもダメ
うまく行くやつは
何もしても上手くいく。
そういった無常感が
この歌を
吐き捨てるように
歌っていけば
いくほど
負のエネルギーが充満していく。
♪みんないいこと してやがんのにな…
と
嘆く。
いいことしたいけど
できない
この男が弱くて
魅力がなくて
負け組の中にいる
その悔しさとやるせなさ
苛立ちが底を打った時
感情の爆発があるのだろうか?
そのために
呪文のように
狼になりたい
と
願うのだ。
ベビーフェイスの狼たち
にもなれない
この男は
やっぱり
根っから人がいい男なのだろう。
優しさゆえ
狼になりたくても
なれない。
だから願望としての
「狼になりたい」
なのだろう。
それも
ただ1度なのだ。
1度でもいいと
願う
男に、
そのチャンスさえ
訪れないのだろうか?
ナナハンを所有しているわけだが
ナンパに使えてるわけでもなく
ねえ、あんた乗せてやろうか?
と誘うも、
返事をもらえず
男の妄想の中でしか
バイクは走ってるが
1人でしか
走ってない。
どこまで
どこまで
どこまで
走らせてる姿しか見えない。
狼になりたいと
願うも
狼になれない
心優しい男
前の年 石野真子は
「狼なんて怖くない」と歌い
翌年 中島みゆきは
「狼になりたい」
と歌う。
世の男性は
野獣のような
野蛮さは消え去り、
やさしさをもった
恋愛下手な男性の存在が、増えてきた
。
だから……
「狼になりたい」
と、叫ぶ