「風」の中で
好きな曲1番は何か?と聞かれても
結構1位になるのは
横一線で
その時
その時で
抜きに出てくる
のが風の歌たちなのだ。
多分
この歌なのかなぁ…と
最近改めて
思い返し
聞き直し
太田裕美さんもcoverされてる
「君と歩いた青春」だ。
僕の中で
ごっちゃになってる歌の1つ
いわゆる
一緒くた に
なってる歌のひとつなのだ。
まず太田裕美さんの
「振り向けばイエスタデイ」
と
雰囲気が似てること
そして、「風」の中で
「お前だけが」
と
繋がりのある歌に思えてならないのだ
僕の中で整理されてない感じなので
他の人からすると
そうかなぁ?
と
思うかもしれないけれど……
もっと言うと
チューリップの「青春の影」
とも
被ってる感じがして、
詩の世界観は
どれもひとつの区切り
青春と呼ばれた季節の終焉
的な意味合いを持っていると思う。
どう理解しようが
勝手なのだが
「君と歩いた青春」
が、収録されてる
アルバム 「windles Blue」
は
「風」にとっての
ひとつのフォークシーンの区切りの
仕上げ的な三部作アルバム
だったような
気がする。
「風 ファースト」
「時は流れて」
「windles Blue」
この後
「海風」と続き
風はサウンド志向へと
進んで行く
日本語の歌詞を大切にしていた
正やんが
日本語の歌詞より
サウンド重視の姿勢に傾き始め、勿論
歌詞の大切さは
忘れてはなかったのだろうけど
もう、フォーキーな風ではいられない
変化していかないといけないと
ミュージックシーンに取り残される
そんな危機感から
「風」はいつまでも留まっては
いられないと感じ
変化を選んだのでしょう。
「風」は……
常に吹き抜けている
ものだから……
「君と歩いた青春」
聞き手の僕達にも
同じシュチュエーション
や
同じ感情になることは
あるわけで……
友情をこえた愛情でも
それ以上は
進まなかった
二人。
仲間として男も女も入り乱れて
ワイワイ楽しくやってた時から
抜け駆けして
ものにしたまではよかったのに?
青春と呼ばれる短い期間だったからなのか?
楽しさの中で身近に好きという意識が
芽生えたのは勘違いだったのか?
心残りとまでは
言う歌の中の男は
何故 好きならばもっと
強く引き止めなかったのか?
オマケに
「何故君は男に生まれて来なかったのか?」
とまで言う身勝手さ
愛情は長く続かないとでもいってるようで
友情なら長く続いたと
君という一人称に
恋愛感情が
関係性を邪魔したと
悔やむ
男の身勝手さは
少し鼻につく。
抜け駆けしてまで
君を手に入れたのに
勘違い甚だしく
結局彼女を手放す
彼女は故郷へ帰ることを
選ばざるおえない
その何かを
男は知ってて知らずか
青春時代のひとコマにすり替えようとしている。
正やんの歌詞にはよく
こういった
身勝手な男が登場する
それは
悪いことではなくて
元来男は身勝手で
情けないものだということを
嫌でも知ることになる
わけだ。
歌を通して
「そうなんだよ…僕も同じなんだよ」
と思える感情移入できる
歌の中の主人公。
懐かしむように
慈しむように
大切に思える青春という期間
それを「君」と歩んだことへの
感謝は
やはり
友情より
愛情で終わって
欲しかった。
君は君で
女のままでよかったんだよ
と……