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明日の葉っぱ(8×8)=69

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1975年の吉田拓郎 その26 提供曲 歌ってよ夕陽の歌を 森山良子

2019-06-13 17:17:49 | #1975年の吉田拓郎
とにかく1975年は提供曲の発売ラッシュだ。
この歌も4月発売。
 
 
作詞 岡本おさみ
作曲 吉田拓郎
しっかり、森山良子節にしてしまっている
さすが日本のジョーンバエズ
フォークの女王
といっても過言でない
安定の森山良子さん。
 
難しい岡本おさみ
吉田拓郎作品を見事に歌いきっている。
 
これも
低音域からサビに向かって
盛り上がっていくにつれ
音域があがりつつ
声のレベルを張り上げるように
歌う独特の拓郎節。
 
全体的にフラットマンドリンが効果的に
叙情的に演奏されていて、
夕陽の情景を醸し出している
 
♪歌ってよ夕陽の歌を
とリフレインするところに混成ボーカルの
コーラスが入ってエンディングする
なんとも
森山良子さんらしいフォークソングという
雰囲気が残る。
綺麗にまとめあげた「歌ってよ夕陽の歌を」だ。
 
 
2年後に拓郎さん自らのカバーアルバム
「ぷらいべいと」に
この歌をカバーして歌っている。
本家の歌う
「歌ってよ夕陽の歌を」は
ロックティストが流れている。
 
アレンジ
歌い方
で歌のコンセプトとイメージは変わる。
それは
歌うアーティストによってもそうだし、
歌自体が一人歩きすることもあり、
どのアーティストが歌ったものがいいか、
どのアレンジがいいか、
好みは分かれる。
 
提供曲はとくに
それが顕著だ。
 
本人がカバーするというのは
作った本人がある程度気に入って作った
ということの証明にもなってる。
確かに
拓郎さんの口から
「歌ってよ夕陽の歌を」の出来は良かった
と言っていた。
 
1975
惜しげもなく才能をぶちまけてる
吉田拓郎さん。
74年の襟裳岬から
波に乗った感じでギアアップして、
また、次のエポックメーキングを迎える
準備期間的な
1975年なのだ。
 
キャンディーズ
石野真子
と歌謡界に拓郎旋風がまた、起こる前触れの
凪のような年
 
1975年。

1975年の吉田拓郎 その25 提供曲 両国橋 松平純子

2019-06-13 15:54:00 | #1975年の吉田拓郎
 
両国橋
作詞 喜多條忠
作曲 吉田拓郎
 
754月発売の松平純子バージョンは
あまり、馴染みなく
その後 由紀さおりさんがカバーして
まずまずヒットした。
 
編曲が村岡健さん
拓郎さんの管楽器、ブラスアレンジはアルバム「伽草子」から始まり、
つま恋75も、参加されてたり、
結構絡んでます。
この両国橋 松平純子さんの曲は
 
チェイス の「黒い炎」をフューチャーしたような
ブラスロックそのまま
重厚な感じで仕上がりはいいのだけど
ヒットには結びつかなかったようだ。
 
松平純子さんの自体ネームバリューが薄く
当時子供だった、
僕らのようなものに浸透したなかった
 
その辺が残念なプロモーションの低さだったのか、
作品、作風も売れ線で良いものだったのに
残念なのだ。
 
松平純子さんのブレーンには
常富さんやら小室等さんやら
編曲に瀬尾一三さんやら
いたのに、
ニューミュージック系の作風をやっていく
そんな流れがありつつ
そこまで結果が出なかった。
 
吉田拓郎作品として
聴く 両国橋も
圧倒的に
由紀さおりさんのバージョンに
馴染みがあり、
イメージもそちらになってしまった感がある。