我が家には40年以上経ったカワイの電子オルガン
がある。娘が小学校に入るころに購入した。
ところが、1年くらいで練習をやめてしまった。
はたで見ていても、オルガンの先生の指導があまり
にも厳しかった。あれでは、オルガンだけでなく、
音楽そのものから離れて行くと思った。
そのあと、オルガンは私のおもちゃになった。
おもちゃといっても、その当時80万円したと思う。
高価な遊び道具だが、私の鍵盤楽器とのお付き合い
は古い。学生のころにさかのぼる。
お寺の日曜学校で、私がオルガンを弾くことになっ
ったが、弾けないから友人にピアノの先生を紹介し
てもらった。1年半か2年、先生宅に通った。
そのころは、初心者はバイエルから始める。
雪が降ってもバイクに乗って先生宅へ通った。
美人だから? いや、すぐにそう聞く。
私と同年齢の先生は魅力があった。
ピアノがぴったり人柄にあっていた。ピアノがこの
世になかったら、この人はなにしてたんだろう、と
余計な心配をしたものだ。
ある時、先生は私が通っていた金沢大学の交響楽団と、
ベートーベンのピアノ協奏曲第4番を共演したことが
あった。
後になって、この曲の魅力にとりつかれたが、先生は
この大曲を、ピアノの脇に置かれた小さな火鉢に時々
手をかざしながら演奏していた。
ということは、演奏会が開かれたのは冬だった。会場
に暖房施設はない。ぬくもりは大勢の人だけ。だから、
ピアノの右手横に火鉢が置かれた。いまでは、北陸な
らではの珍風景ではなかったか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます