トイレに起きると父がうなされていた。しばらく様子を見ていたら父が目を覚ました。時間は午前2時。
最近、父が口癖の様に「体調が良くない」と言うので、ディーサービスを休んで病院に連れて行こうとすると、「いや。病院には行かない」と。
気になっていた血圧の低さと徐脈が昨日は正常値に。
嬉しいけれどビックリしつつマイドクターに聞くと、「不整脈かな。心電図も良くないから気を付けてね」と。
いつもなら4時過ぎに起きる父だが、先程まで起きていたので今日はムリかな。
「知死期」「魂が抜ける」 そんな言葉が脳裏を過りつつ、最後ぐらい苦しまないで旅立って欲しいと思う。
さて、今日はケアマネさんとの打ち合わせもあるし、私もちょっこし寝るかな。
人はひとりで生きて行けない。支えてくれる人がいるから生きて居られる。
こんな感謝の気持ちで過ごせる時間が幸せなんだなと、最近思える様になって来た。
「魂が抜けるとき」で検索すると、これまた気になる記事がありました。
『がん患者の「看取り期」に起こった魔訶不思議なできごと』
2020/09/13 06:00
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/phpbiz/nation/phpbiz-20200911135527813
(前略)
遺体の処置といえば、それだけ。
なぜなら夫の体はむくみとは無縁で、「ほどよくドライ」に枯れていたからです。病棟で遺体に対して行われるいわゆる「エンゼルケア」の類は、まったく無用でした。
それに生前は、終末期医療にはつきものの「痰(たん)」に悩まされることもありませんでした。
点滴を続ける間は、余分な水分が痰として現れるため、常に口内除去を行わなければいけません。
けれど、必要なとき以外に水分をとらなかった夫の場合は、一時期をのぞいて、痰が口にたまったり、のどで絡まるといったことがありませんでした。
ですから、私の心配をよそに、呼吸はいつもおだやかそのもの。はじめは本当に驚いたものです。
無理やり水を飲ませたり、過剰な点滴をしたり……。それらがいかに体に不必要なものか、夫は身をもって教えてくれました。
私はそれまで、看護師として何百人もの看取りに立ち会ってきましたが、これほど美しい死にざまは、病院で見たことがありませんでした。
じつは、極力医療の力を借りず「治療をしない患者」を看取った経験自体が、初めてだったのです。
「ほどよくドライ」な夫の遺体は、〝西洋医学漬け〟だった私の価値観をがらりと変えてくれました。
とはいえ、誤解のないよう申し添えておきたいのですが……。
「何が何でも自然死を推奨したい!」というわけでは、けっしてありません。
自然死を、すべての人に強要したいわけでもありません。
あくまでも、本人の望む「逝き方」がベスト。
そんな思いをますます強くしています。
(以下略)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます