あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

子どもたちの『サンマ』を守り 原発のない未来へ

2011-07-27 08:47:53 | インポート

天声人語に,『サンマ』のことが書いてありました。魚の秋刀魚ではなく,子どもにとって何よりも大切な外遊びのために必要な『三間』のことです。時間・空間・仲間の三つを指す言葉だそうです。

原発による放射能汚染のため,福島の子どもたちは,遊ぶ時間も空間もさらには転校していった多くの仲間たちとも別れて,過ごさなければなりません。暑い日が続いても長袖長ズボンで登校し,校庭での遊びや屋外プールでの水泳も,制約される学校生活をおくっています。

子どもたちが楽しみにしていた夏休みがやってきても,大好きな外遊びも,プールも,屋外スポーツや虫とりもできず,子どもらしい生活が奪われる状況にあります。福島市内のある小学校では,700人近い全校児童の3人に1人が,県外などへ長期間出かけることになっているそうです。残された3人に2人の子どもたちは,どんな夏休みを過ごすことになるのでしょうか。

人間の手の及ばない想像を超えた地震と津波という災害ではあったものの,原発の事故と被害は人間の手の及ばない災害と言えるのでしょうか。

現在,放射能による汚染牛肉の流通が大きな問題となっていますが,出回った牛肉は沖縄県を除く36都道府県にも及んでいるとのことです。

朝日新聞では,孤族の国のシリーズの第3部がスタートし,今回の震災による被災者に焦点をあてて記事が構成されています。その第2回の記事では,以前ブログで紹介した,放射能汚染のため牛乳を売ることができず前途を悲観して自殺した福島の酪農家の家族ことが取り上げられていました。残された家族は,小一と幼稚園児の2人の息子とフィリピン国籍の妻でした。夫の死は,フィリピン政府の呼びかけに応じて,妻子がフィリピンに避難していた時のことでした。妻は,「私がそばにいたら,死なずに済んだかも」と自分を責めながら,夫と一緒に過ごした福島の農場にこもっているとのこと。自分にとっては異国の地であるが,息子らにとってはここが故郷。「残るならストロング・マザーにならなくちゃ!」と思いながら,気持ちは揺れているそうです。

今回の原発事故を通して一番強く感じたのは,人の手の及ぶ事故によってたくさんの人々の人生と幸せと命が否定されたという事実です。事故のための経済的な補償が東電や国によってなされても,失われた命や幸せ,日常の生活は元にはもどりません。奪われた子どもたちの遊びの時間も空間も仲間も,取り戻すことのできないものです。

だからこそ,人間の手の及ぶことであれば,人間の手で脱原発の方向に踏み出し,誰もが安全で安心に暮らすことのできる未来をつくっていくことが,必要なのだと思います。

一方では,経済の発展や復興のためには,電力が必要であり,原発は必要であるという考えがあります。でも,どうでしょうか。経済や復興の目的は,最終的には人々の幸福を目指すという目標に結びついていくのではないでしょうか。

幸せも,時間も,空間も,仲間も,お金では買うことのできないかけがえのないものです。そういった普遍的な価値あるものが,大切にされる未来でありたいと改めて強く感じています。