自民党は、参議院選挙の争点の一つとして、憲法改正を取り上げる方向にあるようです。日本維新の会やみんなの党も、改正の方向で共同歩調を取るとのこと。改正の手続きとなる96条を焦点にした論議が高まりそうです。これを機会に、改めて憲法の意味やあり方を国民一人ひとりが考える契機になるのではないかと思います。問い直す上での観点として、次のような点があげられるのではないかと思います。
○ 憲法96条の改正を先行させるかどうか
96条には、国会議員の2/3以上の賛成が必要という条件が明示されていますが、この制約を国会議員の過半数の賛成があれば発議できる という方向にしていこうとするのが自民党案です。何をどう改正するのかという本質的な問題は後回しにして、変えていくための手続きを先に改めようとしているわけです。もしそうなった場合、国会議員の過半数の勢力を持った政党なら、いつでも憲法改正ができるような流れになってしまいます。最終的には、国民投票の結果によるわけですが、法治国家の根幹となる憲法がこんなにも安易に変えられるような状況をつくっていいのかどうか、とても疑問に感じます。なぜ2/3という高いハードルが設けられているのか、そこに憲法の持つ重みと権力の乱用を防ぐための 民主国家としての制約が課せられているのではないかと考えるのですが……。
○ 現行憲法は、アメリカから押し付けられたものなのかどうか
維新の会の石原代表などが力説しているのが、憲法は、敗戦国日本がアメリカから押し付けられたものであるという考え方です。先の戦争体験からの反省をもとに平和国家としての新しい日本をつくっていくという 現行憲法に込められた思いを汲み取ることはしません。憲法を押し付けられたものとして後ろ向きにとらえるか、新しい理想国家をつくるものとして前向きにとらえるか、その根底には歴史観や思想面での違いが色濃く反映されているように感じます。戦前の歴史を肯定的にとらえるか、反対に、戦前の歴史を否定的にとらえるかによって、憲法のとらえ方も変わってくるのではないかと思います。憲法改正に賛成する集会に参加した若者が、その理由として現行憲法は押し付けられたものだからと答えているのを耳にしました。仮に押し付けられたものだとして、あなたは:現行憲法のどこにどんな問題があると考えているのかと聞きたくなりました。憲法の成立過程にこだわる考え方は、改正の手続きにこだわる考え方と同根のような気がしました。憲法の本質に向き合うことで見えてくるものを、向き合わずに入口のところに留まっているから、見えるものが見えない状況にあるのではと感じるのですが……。
○ 戦前の歴史をどうとらえるか
慰安婦問題について、維新の会の橋下代表が制度として認める発言をしました。人権には敏感でなければならない弁護士だった人の発言なのかと驚きました。国会では、安部首相が侵略戦争であったことを認めない発言をし、歴史認識に対して韓国や中国から不信の念を抱かれるような状況になっています。慰安婦の問題についても、かっての発言内容から橋下代表と同様な歴史認識を持っているように感じます。戦争時代に日本軍が犯した負の歴史を認めることが、自虐史観であるという見方に立っているからでしょうか。主権回復の日を強行した背景にも、戦後の占領時代を恥辱の時代ととらえる見方があるように思います。
歴史から人は何を学ぶのでしょうか。二度と同じような悲劇を繰り返してはならないことを学ぶことで、新たな歴史がつくられ、お互いの人権を尊重しあう理想社会が実現されていくのだと思います。慰安婦は、欧米メディアでは「セックス・スレーブ」〈性の奴隷〉と英訳され、伝えられているとのこと。制度として認めるということは、国が売春を公に認め、女性の人権を否定し、人間としての尊厳を踏みにじる考え方だと思います。一つの政党の代表者が発言したことで、日本という国はこんなにも人権に配慮を欠く国なのかと評価されてしまうのではないでしょうか。そのことが、とても残念に思えます。
負の歴史を負として認め、それを繰り返さないという歴史観に立たない限り、韓国や中国との信頼関係は生まれないように思います。
国益という言葉を、国会論戦の中で安部首相はよく使います。その抽象化された言葉のうちに 国民一人一人の顔と思いと日々の暮らしが削ぎおとされてしまっているように感じます。国益は、自国の益であって他国にとっては国益にならないものなのでしょうか。国際化の時代の流れにあって、一つの国だけが富み栄えることが許されるのでしょうか。他国との信頼関係を大切にし、他国にとっても益となる 互恵の関係を築いていくような 広い視野と歴史観をもった政治家であってほしいものです。