大阪市で起こった悲しい出来事に、やりきれない思いを感じます。28才の母親と3才の息子の死。亡くなったのは、2月とのこと。発見されるまで3カ月もの時が経過していたことになります。
まるで世間から見捨てられるように亡くなっていたことに、切ない思いを感じます。
昨年の10月に、夫のもとを離れ、現在のマンションに知人を通して母子で転居したとのこと。夫に所在を知られないために、住民票の移動をせず、生活保護の申請もできなかったのではないかと みられています。一部には、夫のDVが別れる原因になったのではと考えられているようですが、定かではありません。
部屋には夫の押印した離婚届があるものの、食料となるものは塩ぐらいで、冷蔵庫もなかったそうです。貯金通帳の残額もわずかで、子どもに対して 食べさせられなくてごめんね のメモ書きも見つかったとのこと。一部の報道によると、カーテンの一部を切り裂き、ひもをつくって死のうとした形跡も見られたとのことです。子どもの遺体に毛布がかけてあったので、息子の方が先に亡くなり、母親が後を追うような形になったのではという 推測もなされています。
何とも心の痛む事件ですが、確かなのは まだ20代という 若い母親と わずか3年しか生きられなかった 子どもの 尊い命が失われたという事実です。どこかで、救える手立てはなかったのかと 考えてしまいます。
幼い子どもは、大人がその命を守ってあげなければならない存在だと思います。厳しい表現になってしまうかもしれませんが、それは大人の役目であり、親としての務めだと思います。亡くなったお母さんが、子どもに詫びたメモもそのことを考えた上での言葉だったのだと思います。それだけ我が子をいつくしむ思いがあれば、我が子のために行動できることがあったのではないかと思ってしまいます。また、母親の辛苦を真に理解する人が身近にいるならば、何らかの形で手助けし、サポートできることがあったのではないかと思ってしまいます。
二度と同じような悲劇が起こらないようにするために、どんな手助けやサポートができたのかと考えます。それが失われた二人の尊い命に対しての 悼む思いなのではないかと思うからです。
一人の人間のできることは限られていますが、命の重さをしっかりと受け止めながら 誰かが辛く苦しい時に 少しでも力になることのできる 人間でありたいものです。