戦没者追悼式での安倍首相の式辞に対して疑問を感じました。歴代の首相が取り上げてきた戦中でのアジア諸国への加害責任について語らず、不戦の誓いにも触れませんでした。「歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻み」という一節を語りながら、その結果何を教訓にしたのかについては一言も触れませんでした。
政府主催の追悼式であるからこそ、諸外国に向けての日本のリーダーとしてのメッセージが発せられるものと期待していましたが、国内向けの内容でしかなかったようです。
韓国や中国との歴史認識や領土問題をめぐっての対立がある現状の中、新たな隣人外交をつくりだす契機としなかったことに、落胆の思いがあります。
個人としての歴史観を 首相としての歴史観として ごり押ししているような気がしてなりません。首相の言動は、日本の代表としての言動でもあります。であるからこそ、個人的な歴史観にとらわれず、さまざまな価値観や多様な歴史観を視野に入れた言動が求められるのではないかと思います。
今回の式辞の内容は、安倍首相が見直しを主導して作成されたとのこと。戦後50年に出された村山談話〈植民地支配と侵略への反省を示した〉に批判的な首相の考えが反映され、加害責任には触れない内容となったようです。また、集団的自衛権の行使を前提にした考えが、不戦の誓いを取り上げなかった理由ともなったのではないかと思います。
村山談話は、アジアとの平和外交を進めていく上での基本認識とも言えるもので、それを前提に未来志向の良好な隣人関係がつくられてきたように思います。そうして積み上げられてきたものを、狭小な歴史観を主張することで打ち壊してしまい、現在の険悪な中・韓関係を招いてしまったのではないでしょうか。
内向きに、私的に、愛国的になればなるほど、外との関係は閉ざされたものになってしまうのではないでしょうか。真に歴史と謙虚に向き合うのであれば、進むべき方向も違って見えてくるのではないかと思うのですが…。
過去の歴史の加害責任を認め、不戦の誓いを新たにする、この二つを柱にして外交努力を続けていくことこそ、今は必要とされているように思います。時の歯車を逆に回すことで、日本の未来はますます閉ざされてしまうのではないかと心配になってしまいます。