高畠勲監督のアニメ 「かぐや姫の物語」を見ました。絵のタッチがより漫画風で簡略化されていながらとても新鮮に感じました。四季の風景や花など、日本画の世界を想起させる趣があり、この時代の物語の背景としても調和のある印象を受けました。
竹の子(筍)と呼ばれた女の子は、日本版のハイジそのものでした。動植物や自然をこの上なく愛し、翁とその妻を父母として慕い、村に住む子供たちとは兄弟のように睦まじくふれあいます。
やがて翁は 娘と妻を連れ 自然と一体となった村での暮らしを捨てて、都へ出ます。天から授けられた娘を姫と呼び、天から与えられた金を使って都に屋敷を構えて暮らすようになります。娘は成長し かぐや姫と呼ばれるようになったものの、貴族として暮らすきゅうくつな生活が肌に合わず 屋敷の中で不幸せな日々を過ごすことになります。都では、かぐや姫の美しさが話題となり、そのうわさが宮中にも伝わります。身分のある貴族たちや帝までが自分の妻にしようと求婚するのですが、その申し出を断るかのように最後には月へ旅立ってしまうという ストーリー展開です。
旧来のかぐや姫の物語との違いはどこにあるのでしょうか。それは、かぐや姫がなぜ月の世界からやってきて、地球での生活を始めることになったのか。さらには、なぜ月の世界にもどらなければならなくなったのか。この二つの疑問に対する答えの出し方や設定が、このアニメのオリジナリティーを形作っているように感じました。
高畠監督によれば、地球に来たのは月の世界の契りを破った罰(かって地球に下りて人里で暮らしたことのある天女の記憶を呼び起こし、その話を聞き出して天女の心を乱したという行為に対して)でありました。月の世界にもどることになったのは、帝の強引な求愛に対し思わず「いや!」と叫んだことから、月の世界の迎えを受け入れることになったのです。それはまた、人間の持っている欲・嘘・権力・権威等に対する拒否の姿勢でもあったのでしょう。しかし一方では、これまで愛した人や美しい世界と別れる道を選んだということでもありました。かぐや姫は、身を切るような後悔の思いにとらわれながら、月に旅立つことになります。
清澄で単調な悩みのない月の世界に比べると、四季とりどりの美しい色があふれ、喜怒哀楽や善と悪の入り混じった地球は対照的な世界でもあったのです。かぐや姫にとっては、二度と帰ることのない美しい地球とそこで過ごした思い出。愛した人々との出会いと別れ。地球で生きたことの意味や尊さを だれよりも強く感じながら 月へと旅立ったのではないでしょうか。
この作品の主題歌は、月にもどる時の かぐや姫の思いを歌っています。天の衣をまとうことで、すべての地球での記憶と思い出が消されても かぐや姫の心に残った いのちの記憶は 消え去ることはないのでしょう。
生きることは、ある意味で いのちの記憶を大切に積み重ねていくことなのかもしれないと強く思いました。
主題歌 「いのちの記憶」
作詞 作曲 唄 二階堂 和美
あなたに触れた よろこびが
深く 深く このからだの 端々に
しみ込んでゆく
ずっと 遠く なにも わからなくなっても
たとえ このいのちが 終わる時が来ても
いまのすべては 過去のすべて
必ず また会える 懐かしい場所で
あなたがくれた ぬくもりが
深く 深く 今遥かな時を越え
満ち渡ってく
じっと 心に 灯す情熱の炎も
そっと 傷をさする 悲しみの淵にも
いまのすべては 未来の希望
必ず 憶えてる 懐かしい場所で
いまのすべては 過去のすべて
必ず また会える 懐かしい場所で
いまのすべては 未来の希望
必ず 憶えてる いのちの記憶で