あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

谷川俊太郎さんを偲びながら その2

2024-12-15 10:59:23 | 日記
谷川さんが亡くなり、新聞にも追悼する記事がたくさん掲載されました。
中でも印象的だったのは、谷川さんと交流のあった次の二人の詩人の言葉です。

◇11月24日 朝日新聞より 全身詩人の異名を持つ:吉増剛造さんの言葉

 …(谷川さんは) 宇宙の中に、ぽつんと浮かんでいる恒星のような。そんな印象を持っていました。遠いところにある、広大な光として見つめていました。「ひとりぼっち性」とも呼ぶべきものが谷川さんの詩には、いつもあった。それは「孤独」とも少し違う。原始的で、無邪気で、純粋な魂がそのまま表に出ているような。そんな幼心のようなものが、いつも詩の中心にあったと思います。
 …その詩からは、「骨の声」が聞こえます。頭ではなく、自然な、骨から出てくる声が。誰にも属せず、ひとりぼっちで「宇宙」のような広がりを保つ。その宇宙の中から、人間だけでなく、動物や植物、鉱物さえも感じられるような感覚が息づいた、「骨の声」が聞こえてくるんです。…

◇11月28日 河北新報より 二十九年も谷川さんと交流し、親友の詩人:田原<でんげん>さんの言葉

…優れた詩人には子ども性があると言われるが、谷川さんは普通の詩人以上に少年の心の持ち主だった。年齢を重ねても衰えず、俗世間にも汚染されず、純真な心を保ってきた。谷川さんの言葉を借りれば、「心に子どもの自分が宿っている。その子どもの自分が詩を書かせているのだから、詩心は枯れない」ということだ。
…横たわっている谷川さんに魔法をかけ、言葉を交わしたかった。そして、もう一度少年になってほしかった。 

谷川さんに対するお二人に共通する思いは、その詩には幼心のようなものがあり、谷川さんは純真な少年の心の持ち主だったという指摘です。私も、谷川さんには透き通った“永遠の少年”といった印象を感じています。
第一詩集「二十億光年の孤独」から、そう感じた詩をいくつか取り上げます。 


ネロ
  ---愛された小さな犬に

ネロ
もうじき又夏がやってくる
お前の舌
お前の眼
お前の昼寝姿が
今はっきりと僕の前によみがえる

お前はたった二回程夏を知っただけだった
僕はもう十八回の夏を知っている
そして今僕は自分のや又自分のでないいろいろの夏を思い出している
メゾンラフィットの夏
淀の夏
ウイリアムスバーグ橋の夏
オランの夏
そして僕は考える
人間はいったいもう何回位の夏を知っているのだろうと

ネロ
もうじき夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
又別の夏
全く別の夏なのだ

新しい夏がやってくる
そして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく
美しいこと みにくいこと 僕を元気づけてくれるようなこと
僕をかなしくするようなこと
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろうと

ネロ
お前は死んだ
誰にも知れないようにひとりで遠くへ行って
お前の声
お前の感触
お前の気持までもが
今はっきりと僕の前によみがえる

しかしネロ
もうじき又夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる
そして
僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ
春をむかえ 更に新しい夏を期待して
すべての新しいことを知るために
そして
すべての僕の質問に自ら答えるために

愛するネロのいない夏をむかえることの切ない思いがひしひしと心に伝わってきます。それでも自分は、ネロのいないこれからの新しい夏を歩いてゆかなければならない。悲しみを乗り越えながら、「すべての新しいことを知るために すべての僕の質問に自ら答えるために」。
傷つきやすい心を抱えながらも、これからの一歩をそんな思いで踏み出そうする純粋な谷川少年の姿に、心が打たれる詩です。

吉増さんが指摘した「宇宙の中に、ぽつんと浮かんでいる恒星のような」存在でもある谷川少年の姿を、前回でも紹介した次の詩からも読み取ることができます。


  二十億光年の孤独

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしているか 僕は知らない
(或いはネリリし キルルし ハラハラしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨んでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

 「万有引力とは 引き合う孤独の力である」 宇宙という広大な世界で 孤独であるが故に 仲間を求めようとする思いがこみあげてくるのかもしれません。孤独に耐え切れず思わずくしゃみが出たのでしょうか。その傷つきやすく不安な少年の心が、お互いに仲間を求め引き合う力になっているのかもしれません。

この少年の心は、神様にも向けられます。


  宿題

目をつぶっていると
神様が見えた

うす目をあいたら
神様は見えなくなった

はっきりと目をあいて
神様は見えるか見えないか
それが宿題

谷川さんが「少年の心」で見ようとした神様は、どんな神様なのでしょうか。
1952年に「二十億光年の孤独」が発刊され、それから30年後の1982年に谷川俊太郎少年詩集の「どきん」が発刊されます。その詩集の中に、谷川さんが求めていた神様と思える 神様らしい「そのひと」が登場する詩が掲載されています。

   そのひとがうたうとき

そのひとがうたうとき
そのこえはとおくからくる
うずくまるひとりのとしよりのおもいでから
くちはてたたくさんのたいこのこだまから
あらそいあうこころとこころのすきまから
そのこえはくる
そのこえはもっととおくからくる
おおむかしのうみのうねりのふかみから
ふりつもるあしたのゆきのしずけさから
そのひとがうたうとき
わすれられたいのりのおもいつぶやきながら
そのこえはくる

そののどはかれることのないふかいいど
そのうではみえないつみびとをだきとめる
そのあしはむちのようにだいちをうつ
そのめはひかりのはやさをとらえ
そのみみはまだうまれないあかんぼうの
かすかなあしおとへとすまされる

そのひとがうたうとき
よるのなかのみしらぬこどもの
ひとつぶのなみだはわたしのなみだ
どんなことばももどかしいところに
ひとつのたしかなこたえがきこえる
だがうたはまたあたらしいなぞのはじまり

くにぐにのさかいをこえさばくをこえ
かたくななこころうごかないからだをこえ
そのこえはとおくまでとどく
みらいへとさかのぼりそのこえはとどく
もっともふしあわせなひとのもとまで
そのひとがうたうとき


 時や場所を超えて、そのひとの声は 世界の一人一人の心に届いているのかもしれません。人と人とが争うことのない世界、生まれてくる子どもや年老いた人、つみびとも、さまざまな境遇にいる一人一人が幸せに生きることのできる世界をいのる そのひとのうたが、耳を澄ませると聴こえてきそうです。
 そのうた声は、吉増さんの語る谷川さんの心内から発する「骨の声」でもあるのかもしれません。

 少年の心の持ち主の谷川さんだからこそでしょうか。谷川さんは、少年詩集も書き、絵本もつくり、イギリスの子ども詩集「マザーグース」や「スイミー」などのレオ・レオニの絵本の翻訳にも取り組んでいます。

〇「マザーグースのうた」から

  うつくしいのは げつようびのこども
  ひんのいいのは かようびのこども
  べそをかくのは すいようびのこども
  たびにでるのは もくようびのこども
  ほれっぽいのは きんようびのこども
  くろうするのは どようびのこども
  かわいく あかるく きだてのいいのは
  おやすみのひに うまれたこども
  

〇「かみさまへのてがみ」から

かみさま
  どうして よる おひさまを どけてしまうのですか?
  いちばん ひつような ときなのに。
                 バーバラ 7さい
 
かみさま
  あなたは てんしたちに しごとは みんな やらせるの?
  ママは わたしたちは ママの てんしだって いうの。
  そいで わたしたちに ようじを ぜんぶ いいつけるの。
               あいをこめて  マリア

〇絵本「フレデリック」 レオ・レオニ作 から

 他の野ネズミたちは、冬に備えてえさ集めをしているのに、フレデリックだけは働かないで、おひさまのひかりやいろ、ことばを集めています。やがて長い冬がやってきてえさも話のタネもつきかけたとき、ネズミたちはフレデリックが集めていたものを思い出したずねます。フレデリックは、ネズミたちに目をつむってもらい、集めた太陽の暖かいひかりのこと、青いアサガオや黄色い麦、野イチゴの緑の葉っぱのいろのこと、集めたことばを詩のようにして語ります。ねずみたちは、ひかりやいろを想像し、ことばを楽しみながら幸せな気分で冬を越すことができます。

 このフレデリックのように、谷川さんも永遠なる少年の心で色や光や言葉を集めていた詩人の一人だったのではないでしょうか。



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