二十四節季の「雨水」の日に、朝日新聞の「天声人語」の中で、宮沢賢治の詩「永訣の朝」が取り上げられていました。雪が雨に、氷が水に変わる季節を迎え、最愛の妹の為に雨雪を取りに行くこの詩が思い浮かんだのかもしれません。詩にふれてある箇所だけを取り出して次に紹介します。
宮沢賢治とトシとは、2歳違いの兄妹だった。
トシは二十四歳で夭折した。賢治は詩集「春と修羅」に収めた「永訣の朝」で、そのときのことを記している。
蒼鉛色の暗い雲から、みぞれが冷たく降る日だったという。どうしようもない悲しさに、深く包まれた詩である。
<あめゆじゅとてちてけんじゃ>。びちょびちょと沈むような雨雪を、病床のトシはとっきてほしいと頼む。
賢治はさもいとおしげに、彼女のその方言を詩の中で4度、繰り返す。
松の枝から雪をもらい、トシは言った。
<Ora Ora de shitori egumo>
私は私で一人でゆくね。詩のなかで、ここだけが英字で表記されている。
やさしい兄は妹が不憫でたまらなくて、ひらがなで書くのが忍びなかったのだろうか。
…(略)
この英字で書かれたことについて、皆さんはどう考えますか。
次に詩の全文を紹介します。
永訣の朝
宮沢 賢治
きょうのうちに
とおくへいってしまうわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはみょうに明るいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ) ※①
うすあかくいっそう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもようのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまえがたべるあめゆきをとろうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのように
このくらいみぞれのなかを飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちゃびちゃ沈んでくる
ああとし子
死ぬといういまごろになって
わたくしをいっしょうあかるくするために
こんなさっぱりとした雪のひとわんを
おまえはわたくしにたのんだのだ
ありがとうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあいだから
おまえはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを…
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまっている
わたくしはそのうえにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち ※②
すきとおるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていこう
わたしたちがいっしょにそだってきたあいだ
みなれたちゃわんのこの藍のもようにも
もうきょうおまえはわかれてしまう
(Ora Ora de shitori egumo) ※③
ほんとうにきょうおまえはわかれてしまう
ああこのとざされた病室の
くらいびょうぶやかやのなかに
やさしくあおじろく燃えている
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりゃのごとばかりで
くるしまなぁよにうまれでくる) ※④
おまえがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜卒の天の食に変って ※⑤
やがてはおまえとみんなとに
清い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう
※①あめゆきとってきてください
※②氷と水との二相になっているみぞれ
※③じぶんは、じぶんひとりでゆきます。
※④こんどうまれてくるときは、こんなに自分のことばかりで苦しまないようにうまれてくる。
※⑤天にあり、将来仏となるべき菩薩が最後の生を過ごし、現在は弥勒菩薩が暮らすとされるところ。
妹トシは、日本女子大を卒業後、母校の花巻高女で教鞭をとっていたが、大正十一年(一九二二年)に結核のため二十四歳で亡くなる。心優しく豊かな教養の持ち主で、賢治にとってはこの上ない理解者であり、最愛の妹でもあった。賢治にとって妹の死は辛く悲しい別れであり、この「永訣の朝」を含め、「松の針」「無声慟哭」は、臨終の日に書かれた詩である。
この詩の中の英字で書かれた部分について、皆さんはどう考えますか。
妹トシの言葉は三つあり、一つは方言のまま<あめゆじゅとてちてけんじゃ>とひらがなで書かれ、詩の中に四度登場します。
二つ目が英字で書かれた<Ora Ora de shitori egumo> で、三つ目が<うまれでくるたて こんどはこたにわりゃのごとばかりで くるしまなぁよにうまれでくる>です。
それぞれの言葉が、賢治にとっては忘れることのできない最期に残したトシの言葉だったのでしょう。
ただ、一つ目は、あめゆじゅをとってくることで叶えられる依頼であり、三つ目は、病で苦しむことのない健康な体で生まれてきてほしいと賢治も共感する願いでもあったのだと思います。
しかし、英字で書かれた二つ目の言葉は、一番辛く悲しい響きを持った言葉として記憶されたのではないでしょうか。
一人で旅立っていくことを決意(覚悟)したトシに、どうこたえてあげたらいいのか、返す言葉が見つからないほどの悲しさが、英字の表記に結びついたのではないでしょうか。
雨雪を求める妹の優しい心遣いを汲み取り、死後の安らかな眠りと幸いを込めて、ふたわんの雨雪を差し出す賢治の切々とした思いが しみじみと心に伝わって来ます。それを口にし天に旅立っていくトシの行く末が、さいわいに満ちたものであることを賢治と一緒に心から祈りたいと思います。
宮沢賢治とトシとは、2歳違いの兄妹だった。
トシは二十四歳で夭折した。賢治は詩集「春と修羅」に収めた「永訣の朝」で、そのときのことを記している。
蒼鉛色の暗い雲から、みぞれが冷たく降る日だったという。どうしようもない悲しさに、深く包まれた詩である。
<あめゆじゅとてちてけんじゃ>。びちょびちょと沈むような雨雪を、病床のトシはとっきてほしいと頼む。
賢治はさもいとおしげに、彼女のその方言を詩の中で4度、繰り返す。
松の枝から雪をもらい、トシは言った。
<Ora Ora de shitori egumo>
私は私で一人でゆくね。詩のなかで、ここだけが英字で表記されている。
やさしい兄は妹が不憫でたまらなくて、ひらがなで書くのが忍びなかったのだろうか。
…(略)
この英字で書かれたことについて、皆さんはどう考えますか。
次に詩の全文を紹介します。
永訣の朝
宮沢 賢治
きょうのうちに
とおくへいってしまうわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはみょうに明るいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ) ※①
うすあかくいっそう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもようのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまえがたべるあめゆきをとろうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのように
このくらいみぞれのなかを飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちゃびちゃ沈んでくる
ああとし子
死ぬといういまごろになって
わたくしをいっしょうあかるくするために
こんなさっぱりとした雪のひとわんを
おまえはわたくしにたのんだのだ
ありがとうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあいだから
おまえはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを…
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまっている
わたくしはそのうえにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち ※②
すきとおるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていこう
わたしたちがいっしょにそだってきたあいだ
みなれたちゃわんのこの藍のもようにも
もうきょうおまえはわかれてしまう
(Ora Ora de shitori egumo) ※③
ほんとうにきょうおまえはわかれてしまう
ああこのとざされた病室の
くらいびょうぶやかやのなかに
やさしくあおじろく燃えている
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりゃのごとばかりで
くるしまなぁよにうまれでくる) ※④
おまえがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜卒の天の食に変って ※⑤
やがてはおまえとみんなとに
清い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう
※①あめゆきとってきてください
※②氷と水との二相になっているみぞれ
※③じぶんは、じぶんひとりでゆきます。
※④こんどうまれてくるときは、こんなに自分のことばかりで苦しまないようにうまれてくる。
※⑤天にあり、将来仏となるべき菩薩が最後の生を過ごし、現在は弥勒菩薩が暮らすとされるところ。
妹トシは、日本女子大を卒業後、母校の花巻高女で教鞭をとっていたが、大正十一年(一九二二年)に結核のため二十四歳で亡くなる。心優しく豊かな教養の持ち主で、賢治にとってはこの上ない理解者であり、最愛の妹でもあった。賢治にとって妹の死は辛く悲しい別れであり、この「永訣の朝」を含め、「松の針」「無声慟哭」は、臨終の日に書かれた詩である。
この詩の中の英字で書かれた部分について、皆さんはどう考えますか。
妹トシの言葉は三つあり、一つは方言のまま<あめゆじゅとてちてけんじゃ>とひらがなで書かれ、詩の中に四度登場します。
二つ目が英字で書かれた<Ora Ora de shitori egumo> で、三つ目が<うまれでくるたて こんどはこたにわりゃのごとばかりで くるしまなぁよにうまれでくる>です。
それぞれの言葉が、賢治にとっては忘れることのできない最期に残したトシの言葉だったのでしょう。
ただ、一つ目は、あめゆじゅをとってくることで叶えられる依頼であり、三つ目は、病で苦しむことのない健康な体で生まれてきてほしいと賢治も共感する願いでもあったのだと思います。
しかし、英字で書かれた二つ目の言葉は、一番辛く悲しい響きを持った言葉として記憶されたのではないでしょうか。
一人で旅立っていくことを決意(覚悟)したトシに、どうこたえてあげたらいいのか、返す言葉が見つからないほどの悲しさが、英字の表記に結びついたのではないでしょうか。
雨雪を求める妹の優しい心遣いを汲み取り、死後の安らかな眠りと幸いを込めて、ふたわんの雨雪を差し出す賢治の切々とした思いが しみじみと心に伝わって来ます。それを口にし天に旅立っていくトシの行く末が、さいわいに満ちたものであることを賢治と一緒に心から祈りたいと思います。
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