平和
谷川俊太郎
平和
それは空気のように
あたりまえなものだ
それを願う必要はない
ただそれを呼吸していればいい
(そんなあたりまえの日常の中に、意識することもなく平和があり、自分がいる)
平和
それは今日のように
退屈なものだ
それを歌う必要はない
ただそれに耐えればいい
(退屈だと声に出す必要もなく、その中に浸る自分に、耐えればいい)
平和
それは散文のように
素気ないものだ
それを祈ることはできない
祈るべき神がいないから
(平和は、ただとりとめもなく書かれる散文のように心を引かれることもなく、素気ないもの。
そこには祈るべき神はおらず、祈ることさえ必要としない。)
平和
それは花ではなく
花を育てる土
(平和は、ながめる花ではなく、それを育てる土であり、その上に私たちの日常はある。
その花を育てる役割は、私たちの日々の営みの中に…)
平和
それは歌ではなく
生きた唇
(平和は聞こえてくる歌ではなく、日々の生活の中で語られ、伝え、感じられるもの)
平和
それは旗ではなく
汚れた下着
(平和は、掲げるものではなく、繰り返し肌で感じ、身に付けてきたもの)
平和
それは絵ではなく
古い額縁
(古い額縁の中には、それぞれの人生を通して見つめてきた 日々の暮らしと、
過ごして来た平和な景色がある)
平和を踏んずけ
平和をつかいこなし
手に入れねばならぬ希望がある
平和と戦い
平和にうち勝って
手に入れねばならぬ喜びがある
(だからこそそんな平和の中に埋没することなく、その時間を大切につかいこなし、
平和の向こうにある希望を求めていきたい。
与えられたあたりまえの平和に安住することなく、うちかって、希望と喜びに満ちた
真の平和を手に入れたい。)
連の終わり書いた( )内の言葉は、詩を読んでの私のつぶやきです。
「(平和は)願うものでも祈るものでもなく、待っていればいずれ訪れるものでもなくて、
人びとの身を養うもの、だからなくてはならぬもの」
これは、朝日新聞連載の<折々の言葉>に書かれた鷲田さんの言葉です。
それだけ平和は、何気ない日常の中にあって、あたりまえのように感じられる 空気の
ように人々の身を養う なくてはならぬものだと感じます。
同時にこの詩には、最後の連の言葉にあるように、あたりまえのように感じる平和に埋
もれたままでいいのか。それをただ無意識に待ち続けるだけでいいのか。世界には、この
あたりまえの平和さえ手にすることのできない人々がいるのではないか。
そんな問いも投げかけられているように感じます。
「平和はそこに安住するのではなく、自らの手でつくり出していくもの」「そしてその先にこそ
真の希望や喜びがある」 というメッセージが、込められているような気がしてなりません。
平和の心地よさに惑わされず、平和を創っていくことの意味や大切さ、真の平和を求めている
人々の思いも感じながら、日々の平和と向き合っていきたいものです。
谷川俊太郎
平和
それは空気のように
あたりまえなものだ
それを願う必要はない
ただそれを呼吸していればいい
(そんなあたりまえの日常の中に、意識することもなく平和があり、自分がいる)
平和
それは今日のように
退屈なものだ
それを歌う必要はない
ただそれに耐えればいい
(退屈だと声に出す必要もなく、その中に浸る自分に、耐えればいい)
平和
それは散文のように
素気ないものだ
それを祈ることはできない
祈るべき神がいないから
(平和は、ただとりとめもなく書かれる散文のように心を引かれることもなく、素気ないもの。
そこには祈るべき神はおらず、祈ることさえ必要としない。)
平和
それは花ではなく
花を育てる土
(平和は、ながめる花ではなく、それを育てる土であり、その上に私たちの日常はある。
その花を育てる役割は、私たちの日々の営みの中に…)
平和
それは歌ではなく
生きた唇
(平和は聞こえてくる歌ではなく、日々の生活の中で語られ、伝え、感じられるもの)
平和
それは旗ではなく
汚れた下着
(平和は、掲げるものではなく、繰り返し肌で感じ、身に付けてきたもの)
平和
それは絵ではなく
古い額縁
(古い額縁の中には、それぞれの人生を通して見つめてきた 日々の暮らしと、
過ごして来た平和な景色がある)
平和を踏んずけ
平和をつかいこなし
手に入れねばならぬ希望がある
平和と戦い
平和にうち勝って
手に入れねばならぬ喜びがある
(だからこそそんな平和の中に埋没することなく、その時間を大切につかいこなし、
平和の向こうにある希望を求めていきたい。
与えられたあたりまえの平和に安住することなく、うちかって、希望と喜びに満ちた
真の平和を手に入れたい。)
連の終わり書いた( )内の言葉は、詩を読んでの私のつぶやきです。
「(平和は)願うものでも祈るものでもなく、待っていればいずれ訪れるものでもなくて、
人びとの身を養うもの、だからなくてはならぬもの」
これは、朝日新聞連載の<折々の言葉>に書かれた鷲田さんの言葉です。
それだけ平和は、何気ない日常の中にあって、あたりまえのように感じられる 空気の
ように人々の身を養う なくてはならぬものだと感じます。
同時にこの詩には、最後の連の言葉にあるように、あたりまえのように感じる平和に埋
もれたままでいいのか。それをただ無意識に待ち続けるだけでいいのか。世界には、この
あたりまえの平和さえ手にすることのできない人々がいるのではないか。
そんな問いも投げかけられているように感じます。
「平和はそこに安住するのではなく、自らの手でつくり出していくもの」「そしてその先にこそ
真の希望や喜びがある」 というメッセージが、込められているような気がしてなりません。
平和の心地よさに惑わされず、平和を創っていくことの意味や大切さ、真の平和を求めている
人々の思いも感じながら、日々の平和と向き合っていきたいものです。
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