8/27付の朝日新聞に掲載された 作家:高橋源一郎氏の『「外注」した政治 戦後70年、今取り戻す』を読んで、
共感できるものを強く感じました。
…日本人は、死んだ人間は、故郷の地に集まり、そこから生きている者を見守り、やがて、子孫から敬われ、弔わ
れることで、すべての祖先の霊と合体してゆく、と考えてきた。だが、戦争による夥しい死の中で、子孫をつくる
ことなく、異国で亡くなった魂はどうなるのか。そして、(偉大な民族学者)柳田(国男)は、日本人固有の死生観に
基づき、「国に残った縁あるモット若い人たちが、海の藻屑となったり、ジャングルの奥で野ざらしになった死者の
養子となることで、彼らを先祖にし、その子孫となり、彼らを敬い、弔うようにしてはどうか」という破天荒な政策
を提案した、と 加藤(典洋)は指摘している。(雑誌「すばる」に寄稿したエッセーの中で)
…柳田は、戦争の死者を、ひとりひとりの個人が作る「家」が弔う、という形を提唱することで、「国家」が弔う、
という靖国神社のあり方を、もっとも深いところで批判している。「戦争の死者」が戻りたかったのは、靖国では
なく、彼らの故郷や家族のもとのはずだったから。
同時に、いま柳田を読めば、もっと別の視点を得ることがもできる、とも思った。柳田が憂えたのは、人びとが、
かっては我が手で行ってきた「慰霊」を、国家という「外部」に任せてしまったこと、すなわち、慰霊の「外注」だった
のかもしれない。
だが、私たちはみんな、少しずつ、「家事」も「教育」も、「外注」するようになったのだ。そのことによって、確かに
私たちは自由になった。その結果、得たものは何だったのだろう。
戦中において、戦う人々の心にあったのは国家という抽象的なものではなく、守るべき対象となった家族であり、
大切な人々といった 自分と関わりの合った具体的な人々だったのではないでしょうか。だからこそ、亡くなって霊
として帰るべき場所は、かって自分が暮らし愛する人々の住む故郷だったのではないでしょうか。
靖国に英霊として帰るのではなく、一人の人間として帰るべき場所に。
国家があって国民があるのではなく、国民があって国家が成り立つ。
国があって個人があるのではなく、個人があって国がつくられる。
その順序が逆になってしまうと、国家や国の前に個人の存在が消されてしまい、国家のために国のためにという考
えが優先されてしまうのではないでしょうか。かけがえのない個人の命も、国家という抽象的なイメージの前では単
なる道具になってしまうのではないでしょうか。
そういった国家という縛りから解放されたところから、個人の存在の重さをイメージすることで、民主的な国のあ
りようは見えてくるのではないでしょうか。
高橋氏の言葉を借りるならば、外注することは個人の思いや考えはもちろんのこと存在や命そのものまでを、国家
や自分以外の者に預けてしまうことでもあるのだと思います。
安保法案の論議の場で、政治家は国民の生命・財産を守るために必要だと力説します。しかし、なぜかそこで表現
される言葉は抽象的過ぎて、その国民の一人が自分なのだと実感できない軽さを感じてしまいます。
その違和感こそ、そこで生き暮らしている人々が日々感じている 具体的な生活感から来る確かな思いなのではな
いかと思えるのです。
高橋氏は、若い女の子向け雑誌や女性週刊誌のなかで、憲法や安保法案が取り上げられるようになったのは、
「平穏に見えた彼女たちの周りにも、危機が忍び寄っていることを敏感に感じとるようになったのかもしれない」
「いや、そのことによって、政治家や専門家に外注していた政治や社会を、自らの手に取り戻すことが必要だ、と思え
るようになってきたからなのだろうか」と述べています。
そして結論として、
「政治や社会について違和を感じたなら、誰でも疑問の声をあげ、行動してもいいのだ。そんな当たり前のことが、いま
おこりつつある」 とまとめています。
今日は、安保法案に反対するデモが、日本各地で行われたようです。それぞれが個人として感じた違和感や危機館が、
行動の原動力になっていたのでしょうか。
外注した政治や社会を自らの手に取り戻すためにも、できることから行動につなげていくのが いまなのかもしれません。
共感できるものを強く感じました。
…日本人は、死んだ人間は、故郷の地に集まり、そこから生きている者を見守り、やがて、子孫から敬われ、弔わ
れることで、すべての祖先の霊と合体してゆく、と考えてきた。だが、戦争による夥しい死の中で、子孫をつくる
ことなく、異国で亡くなった魂はどうなるのか。そして、(偉大な民族学者)柳田(国男)は、日本人固有の死生観に
基づき、「国に残った縁あるモット若い人たちが、海の藻屑となったり、ジャングルの奥で野ざらしになった死者の
養子となることで、彼らを先祖にし、その子孫となり、彼らを敬い、弔うようにしてはどうか」という破天荒な政策
を提案した、と 加藤(典洋)は指摘している。(雑誌「すばる」に寄稿したエッセーの中で)
…柳田は、戦争の死者を、ひとりひとりの個人が作る「家」が弔う、という形を提唱することで、「国家」が弔う、
という靖国神社のあり方を、もっとも深いところで批判している。「戦争の死者」が戻りたかったのは、靖国では
なく、彼らの故郷や家族のもとのはずだったから。
同時に、いま柳田を読めば、もっと別の視点を得ることがもできる、とも思った。柳田が憂えたのは、人びとが、
かっては我が手で行ってきた「慰霊」を、国家という「外部」に任せてしまったこと、すなわち、慰霊の「外注」だった
のかもしれない。
だが、私たちはみんな、少しずつ、「家事」も「教育」も、「外注」するようになったのだ。そのことによって、確かに
私たちは自由になった。その結果、得たものは何だったのだろう。
戦中において、戦う人々の心にあったのは国家という抽象的なものではなく、守るべき対象となった家族であり、
大切な人々といった 自分と関わりの合った具体的な人々だったのではないでしょうか。だからこそ、亡くなって霊
として帰るべき場所は、かって自分が暮らし愛する人々の住む故郷だったのではないでしょうか。
靖国に英霊として帰るのではなく、一人の人間として帰るべき場所に。
国家があって国民があるのではなく、国民があって国家が成り立つ。
国があって個人があるのではなく、個人があって国がつくられる。
その順序が逆になってしまうと、国家や国の前に個人の存在が消されてしまい、国家のために国のためにという考
えが優先されてしまうのではないでしょうか。かけがえのない個人の命も、国家という抽象的なイメージの前では単
なる道具になってしまうのではないでしょうか。
そういった国家という縛りから解放されたところから、個人の存在の重さをイメージすることで、民主的な国のあ
りようは見えてくるのではないでしょうか。
高橋氏の言葉を借りるならば、外注することは個人の思いや考えはもちろんのこと存在や命そのものまでを、国家
や自分以外の者に預けてしまうことでもあるのだと思います。
安保法案の論議の場で、政治家は国民の生命・財産を守るために必要だと力説します。しかし、なぜかそこで表現
される言葉は抽象的過ぎて、その国民の一人が自分なのだと実感できない軽さを感じてしまいます。
その違和感こそ、そこで生き暮らしている人々が日々感じている 具体的な生活感から来る確かな思いなのではな
いかと思えるのです。
高橋氏は、若い女の子向け雑誌や女性週刊誌のなかで、憲法や安保法案が取り上げられるようになったのは、
「平穏に見えた彼女たちの周りにも、危機が忍び寄っていることを敏感に感じとるようになったのかもしれない」
「いや、そのことによって、政治家や専門家に外注していた政治や社会を、自らの手に取り戻すことが必要だ、と思え
るようになってきたからなのだろうか」と述べています。
そして結論として、
「政治や社会について違和を感じたなら、誰でも疑問の声をあげ、行動してもいいのだ。そんな当たり前のことが、いま
おこりつつある」 とまとめています。
今日は、安保法案に反対するデモが、日本各地で行われたようです。それぞれが個人として感じた違和感や危機館が、
行動の原動力になっていたのでしょうか。
外注した政治や社会を自らの手に取り戻すためにも、できることから行動につなげていくのが いまなのかもしれません。
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