あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

高田郁(かおる)の小説の魅力 

2010-09-20 08:16:57 | インポート

 愛読書綴りでも紹介しましたが、みをつくし料理帖(シリーズ第4巻)を読み、改めて、これまでにはない時代小説の新たな魅力を味わっています。主人公澪の料理人を目指しての生き方、主人公を支える周りの人々の温かい心遣い、それぞれの登場人物が背負っている人生の悲しさ・辛さ、客をもてなし喜んでもらえるための料理の工夫、店を維持するための苦労や苦心、そういったさまざまな要素がからみあいながら、魅力的な作品世界が展開します。そして、澪自身がいろんな試練を経ながら、料理人としても人間としても大きくすてきな女性として成長していく様子が描かれています。巻末には、作品の中に出てくる料理のレシピも載っており、思わず作って食べたくなります。(そのうち、実践したいと思っています)

 このシリーズを読んで高田ファンとなり、他の作品も読んでみることにしました。『銀二貫』は、銀二貫で寒天問屋の主和助に10才以降の人生を買ってもらった松吉が主人公の物語です。10才から32才までの成長の過程で、商いの大切な考え方を学びながら、やがては寒天づくりや寒天をつなぎにした羊羹まで発案する主人公の成長を描いた作品です。寒天を使った料理を考案する嘉平とその娘真帆との出会いと悲しい別れ、そして再会が心を打ちます。松吉の成長を支え、温かく見守る店の主人の和助、番頭善次郎(後でそのよさが実感できます)、丁稚梅吉、寒天職人の半兵衛といった登場人物の優しさが心に浸みます。最後の場面では、心から拍手を贈りたいと思いました。この作品も、みをつくし料理帖も、主人公の自らの生き方に対する厳しさ、商いを通しての人と人との信頼関係の大切さ、お互いに助け合い支えあって生きることのすばらしさ等、今の時代にこそ必要とされるものを教えてくれる作品です。

 『出世花』もこれまでの作品と同様、読んだ後は心が洗われたような感じになりました。縁の三昧聖としての生き方が、送り人として死とかかわる仕事だからなのかもしれません。現実の世界では死がゴールであるものの、それから浄土への世界の橋渡し役をする主人公の姿が心を打つからなのでしょう。正念の背負っているものの重さと悟りの境地、親子の愛情の深さにも、強く心が打たれます。

 どの作品も、何度か感動のため涙ぐむ場面がありました。時代物ではありますが、今の時代で忘れられている人間としての優しさ・温かさ・深さ・広さが、澄み切った青い空のようにまっすぐに心に伝わってきます。

 次に発刊される小説が、今から楽しみです。 

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犬の気持ちがよくわかりました!

2010-09-17 20:45:39 | インポート

Tさんから、家のハウスで育てているという巨峰をいただきました。Tさんの家で飼っている愛

犬が、たわわに実った巨峰を食べているということで、その愛犬をとてもうらやましく思っていた

ところ、わざわざ自宅までその巨峰を届けていただいたのです。

食べてみて、納得しました。これだけおいしいのですから、愛犬が大好物になるのももっとも

で、そんな犬の気持ちがよく分かりました。

であれば、我が愛犬クウタも、この巨峰のおいしさが分かるのではと考え、2粒ほどあげてみ

ました。しかし、クウタはなめてはみるのですが、食べてみようとはしません。

そこで、皮をむいて中味をちぎってあげました。

食べてみてうまいと思ったのでしょうか、それからは皮をむいてあげたものをおいしそうに食べ

ました。

我が家の愛犬にとって初体験のぶどうとなりましたが、ちょっとぜいたくをさせてしまったかなと

も思っています。

貴重なぶどうを届けていただいたTさん親子に心から感謝いたします。ごちそうさまでした。

まどみちおの詩に、ぶどうのことについて書いた作品がありますので、次に紹介します。

                ブドウのつゆ

                                   まど みちお

私の中に おちてくる / ブドウの つゆの / この一しずくの あまずっぱさが /

こんなに はるかな 光の尾をひくのは / 

そのはじめ / かみさまの 心の中に / 生まれでた思いだからなのか /

そして 私にたどりつくまでの / なんおく年間 /

そんなまぶしい銀河の中を / めぐりめぐって いたからなのか/

クモの糸よりも ほそい / 一すじの せせらぎとして /

ブドウの つゆの / この一しずくの あまずっぱさが /

こんなにはるかな 光の尾をひいて /

星がおちるように / 私の中に きえていくのは /

  ブドウは、連なる宇宙なのでしょうか。一つの星である 一粒のブドウから 彗星の光のように 一しずく 口の中に落ちる。 そのあまずっぱさが、時の流れをはるかに超えて、広い宇宙をめぐりめぐって、私の心の中にまで 浸み渡る。神様の思いのように・・・・・・生まれて初めてブドウという果物に出会い、その一粒のあまずっぱさを味わった時、感じた思いが、そうだったのかもしれません。

  

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いちじくが招く鳥たち

2010-09-15 20:54:14 | インポート

 家にあるイチジクの木の前を通ろうとしたら、たくさんの野鳥たちが一斉に飛び立ちました。もうそろそろ熟す頃かなと思っていたイチジクの実を食べに来たようです。手の届かない高い枝先の実のいくつかは、食べた跡が見えました。手の届くところを見ると、いくつかの実はもうそのまま食べられそうでしたので、取って食べてみました。ちょっと早すぎの感じがしましたが、適度なあまみがあり、おいしく感じました。これからは、手の届くところの実は人間がいただき、手の届かないところは鳥たちに食べてもらうことにしました。

 高い所は、食べごろの実がいっぱいなっているので、明日あたりからイチジクは、鳥たちでにぎやかになりそうです。離れたところから、その様子を観察してみたいなあと思っています。

 イチジクの枝の間に、ミズヒキを見つけました。その素朴で小さな赤い花が点々と咲く様子に秋を感じ、一本だけ摘んで家に持ち帰り、妻に見せました。きれいだねって言いながら、ミズヒキに見入っていました。小さな秋が、家の中に入ってきたような感じがしました。

まどみちおさんが、ミズヒキのことを詩にしていますので、次に紹介します。

             

         ミズヒキ

                            まど  みちお

だれも しらない なにかが / だれも しらない なにかへ

つげている わかれなのか / さ・よ・う・な・ら・さ・よ・う・な・・・

と つらなって わたっていく

ゆうやけて / とおい カリになりながら 

まっかな てんてんに なりながら 

ふしぎに いつまでも / いつまでも / みえて・・・

 ミズヒキの花をイメージしながら、この詩を読んでみると、全くその通りという思いになります。小さな赤い花のひとつひとつが、ゆうやけたカリに見え、そのつらなって飛んでいく姿が見えてくるからです。さようならは、秋が夏に、秋が冬に告げているのでしょうか。ひとつの花は小さくてつつましくても、鮮やかな花の赤が心に残ります。だからこそ、その色や姿が消えることなく見え続けているのかもしれません。

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まどみちお詩集より

2010-09-15 09:18:39 | インポート

                  エノコログサ

                                           まど  みちお

がようしの そらへ のびている / この かぼそい / えんぴつがきの ちょくせん

の てっぺんに のぼりつめている / この あわい /えんぴつがきの けむくじゃら

けむくじゃらが ゆれます / ゆめの中でのように はずんで

ちょくせんが たわみます / ゆめみているように やさしく

この秋うまれたばかりの / 小さな風の子たちが / とびつきとびつき あそびますので

えんぴつがかきもしなかったのに / かってにやってきて

今の時期には、道端でたくさん見ることができますね。私は、エノコログサを見る時には、上から下の順で見る(けむくじゃらを見てからちょくせんを見る)のですが、まどさんは、下から上の順で見ているのですね。植物は、上へ上へと(見えない部分の根は下へ下へと)伸びていくもの。その伸びていく方向に沿って見上げていくと、えんぴつがきのちょくせんの てっぺんにのぼりつめた けむくじゃらが見えてきます。その向こうに広がるがようしのそらも。

うまれたばかりの小さな風の子たちと楽しく遊んでいる、エノコログサのけむくじゃらの笑顔も、目に見えるようです。何度も何度もはずんでゆれ、やさしくたわみながら、遊んでくれるものですから、風の子たちのかわいい笑い声まで聞こえてくるような気がします。

秋のひととき、子どものように小さくなって、エノコログサを見上げてみるのもいいですね。

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雨の中のウォーキング

2010-09-14 07:46:53 | インポート

 出発の段階では、雨が降っていないので、このまま天気はもちそうだなと思い、傘を持たずに出発しました。半袖の運動着では少し涼しい感じがしましたが、歩くにつれ体が温かくなり、肌に触れる朝の空気が、とてもさわやかで心地よく感じました。折り返し点の神社までは、雨の降る気配もなかったのですが、遠くに雷鳴も聞こえるようになり、間をおかず雨が降り始めました。途中走ったりもしましたが、雨の感触もその中を歩くことも気持ち良く感じながら、濡れながら家にたどり着きました。

 体の外も内もしっとりと濡れ、久しぶりに雨の心地よさを体感しました。雨に濡れてみるのも、なんか妙になつかしい感じがしていいものです。いつの頃からか、雨が降れば傘をさし、雨具を身につけるようになり、雨に濡れる感触を忘れつつあったような気がします。小さい頃は、どんなふうに雨って空から落ちてくるのかなと思いながら、雨をわざと顔で受けながら、降ってくる様子や雨空を見上げたものです。そして、雨あがりには、虹が見れたらいいなあなどと思ったものです。

 市の広報では、水不足による節水を呼びかけていますが、今日降り続いた雨が、少しでも恵みの雨となり貯水できるといいのですが…。もちろん、我が家の野菜たちには恵みの雨でした。

 が、いました、いました。雨を嫌う生き物がいました。今日もほとんど一日中うらめしそうな顔で犬小屋の中からこちらを見ていたクウタです。クウタは濡れるのが大嫌いですから、雨が上がった時でも、犬小屋の周りの草が濡れていれば、出てきません。明日は晴れそうですので、散歩を今のうちから楽しみにしていることだと思います。明日は、長い距離の散歩を付き合ってやろうかなと思っています。

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