7月12日に、心臓外科の甲子園とも言えるチャレンジャーズライブの決勝が須賀川で行われた。
このブログも初めて1年が過ぎましたが、ちょうど最初のころ昨年のチャレンジャーズライブの決勝のことが書かれていて、まさかその舞台に今年は自分が上がれるとは思ってもみなかった。
出場メンバーは4人、東日本からは立川メディカルセンターの飯田先生、立川というからには関東近辺かと思っていたらとんでもない、実は立川というのは創設者の名前で、病院は新潟にあって新潟大学のジッツらしい。彼は異例な人事で東京医大からの出向で現在の病院に来ているとのことであるが、やはり大学に属するもの、数年前の自分と同じように将来の進路についていろいろと悩んでいた。
東日本のもう1人は東邦大学大橋病院の山下先生、なんと私の母校である。
彼はもともと日本医大の所属であったが、ボスに魅力が無いことや100年たっても手術が回ってきそうに無いとの事から、今年、尾崎先生のところへ移ったらしい。
医局を飛び出るのはいいが、また医局とは、とほほ。まー、尾崎先生のところだから、普通の大学病院よりはまともだとは思うが、、、。
そして西日本からは僕と、もう1人は昨年の予選の後一緒に反省会を開いて仲良くなった京都府立の小川先生、お師匠さんである夜久先生に似ている似ているとみんなに言われていたが、一番似ているのは髪の毛の薄さやないか?
若くして、、、。
本番前に南淵先生を中心に顔合わせがあって、順番とかをくじ引きで決めた。
昨年は審査のときに、東上先生がトップバッターのことなんかもう覚えてないなーなんて言っており、トップバッターは不利だというふれこみであったが、いつまでも待っておるのは余計に緊張しそうだったので、僕はあえてみんなの嫌がるトップバッターを選択した。前立ちは、昨年の影の優勝者といわれている角野先生を指名させていただいた。角野先生も同じ大川ファミリーであり、これまでも何度かお相手していただいているし、吻合の方法も全く同じである。機械出しは大和成和の南淵先生の専属ナースである深津さん、大ベテランでありナイスなボケや突込みでリラックスさせてくれた。
さて、結果でありますが、4人中3人は初歩的なミスで敗退となり、無難にこなした山下先生の優勝となった。
僕は、IMAが解離してグラフトが流れずアウト、飯田先生は途中でVfで心停止となりアウト、そして小川先生は対側を引っ掛けており吻合部狭窄でアウト、山下先生は特にトラブルなく、審査員13人全員が山下先生に票をいれて見事に優勝である。
現実は厳しいものである、いくら上手に縫えても、グラフトが流れなきゃ、生かして帰さなきゃ、当然アウトである。
いろいろ反省する点はあるのだろうが、そのまま打ち上げになだれ込み、反省する暇無し、、、、。
IMAの剥離をもっと丁寧にやればよかったのだろうが、まーそれだけでもないんだろうな。要するにこれが今の俺の実力ってことだろう。
打ち上げでは今回は新葛飾の吉田先生とへべれけになるまで飲んだ。行くところなければいつでも来いなんて言ってくれたが、まー社交辞令というやつだろう。
それから、新葛飾にはどういう縁だか、わが母校の医局長である藤井先生が週一回、遊びに来ているとのこと。頑張られているようで、外から母校の復権を祈っております。
今回は、あくまでも、甲子園である、本当の意味での勝負はこれから、毎日なのであろう。
ここに参加したメンバーもそれなりの野心を持ったやつらで、良きライバルとしてきっといつかまたぶつかる日が来るのだと思い、楽しみである。
決勝が終わって、1つの目標が達成された。
そして次の人生の目標が決まった。
次は豚ではなく学会で本物のライブオペレーターになること、これに決めました。
期限は40歳まで、しかしそれまでライブって続くのかなー、ちょっと心配、、、。
このブログも初めて1年が過ぎましたが、ちょうど最初のころ昨年のチャレンジャーズライブの決勝のことが書かれていて、まさかその舞台に今年は自分が上がれるとは思ってもみなかった。
出場メンバーは4人、東日本からは立川メディカルセンターの飯田先生、立川というからには関東近辺かと思っていたらとんでもない、実は立川というのは創設者の名前で、病院は新潟にあって新潟大学のジッツらしい。彼は異例な人事で東京医大からの出向で現在の病院に来ているとのことであるが、やはり大学に属するもの、数年前の自分と同じように将来の進路についていろいろと悩んでいた。
東日本のもう1人は東邦大学大橋病院の山下先生、なんと私の母校である。
彼はもともと日本医大の所属であったが、ボスに魅力が無いことや100年たっても手術が回ってきそうに無いとの事から、今年、尾崎先生のところへ移ったらしい。
医局を飛び出るのはいいが、また医局とは、とほほ。まー、尾崎先生のところだから、普通の大学病院よりはまともだとは思うが、、、。
そして西日本からは僕と、もう1人は昨年の予選の後一緒に反省会を開いて仲良くなった京都府立の小川先生、お師匠さんである夜久先生に似ている似ているとみんなに言われていたが、一番似ているのは髪の毛の薄さやないか?
若くして、、、。
本番前に南淵先生を中心に顔合わせがあって、順番とかをくじ引きで決めた。
昨年は審査のときに、東上先生がトップバッターのことなんかもう覚えてないなーなんて言っており、トップバッターは不利だというふれこみであったが、いつまでも待っておるのは余計に緊張しそうだったので、僕はあえてみんなの嫌がるトップバッターを選択した。前立ちは、昨年の影の優勝者といわれている角野先生を指名させていただいた。角野先生も同じ大川ファミリーであり、これまでも何度かお相手していただいているし、吻合の方法も全く同じである。機械出しは大和成和の南淵先生の専属ナースである深津さん、大ベテランでありナイスなボケや突込みでリラックスさせてくれた。
さて、結果でありますが、4人中3人は初歩的なミスで敗退となり、無難にこなした山下先生の優勝となった。
僕は、IMAが解離してグラフトが流れずアウト、飯田先生は途中でVfで心停止となりアウト、そして小川先生は対側を引っ掛けており吻合部狭窄でアウト、山下先生は特にトラブルなく、審査員13人全員が山下先生に票をいれて見事に優勝である。
現実は厳しいものである、いくら上手に縫えても、グラフトが流れなきゃ、生かして帰さなきゃ、当然アウトである。
いろいろ反省する点はあるのだろうが、そのまま打ち上げになだれ込み、反省する暇無し、、、、。
IMAの剥離をもっと丁寧にやればよかったのだろうが、まーそれだけでもないんだろうな。要するにこれが今の俺の実力ってことだろう。
打ち上げでは今回は新葛飾の吉田先生とへべれけになるまで飲んだ。行くところなければいつでも来いなんて言ってくれたが、まー社交辞令というやつだろう。
それから、新葛飾にはどういう縁だか、わが母校の医局長である藤井先生が週一回、遊びに来ているとのこと。頑張られているようで、外から母校の復権を祈っております。
今回は、あくまでも、甲子園である、本当の意味での勝負はこれから、毎日なのであろう。
ここに参加したメンバーもそれなりの野心を持ったやつらで、良きライバルとしてきっといつかまたぶつかる日が来るのだと思い、楽しみである。
決勝が終わって、1つの目標が達成された。
そして次の人生の目標が決まった。
次は豚ではなく学会で本物のライブオペレーターになること、これに決めました。
期限は40歳まで、しかしそれまでライブって続くのかなー、ちょっと心配、、、。