あぽいち

温泉とヨガ、たまに心臓外科医

うれしいぞよ

2006-01-31 22:10:50 | Weblog
最近、このブログの普及活動が功をなしたか、アクセス数が増え、コメントをちょくちょくいただけるようになり、ページを開くのが楽しみになってきた。
ほぼ日記帳のつもりで、日々勝手なことばかり書いていますが、皆さん、これからもご愛読をよろしくお願いします。
いつか、人生成功したらエッセイとして出版でもするか。

今日はAVR一例のみで、昼過ぎには終わり午後は書類書きやらなんやら。
何気に苦労することが、患者さんの退院についてである。特にうちは病床が少ないので元気な人はドンドン帰ってもらわないと、ベッドが回らず予定手術の方が入院できなかったりと言うことが生じてくる。
だいたい順調に行って10日から14日をめどに退院としているが、だいたい渋るパターンとしては、
・退院を勧めると日が悪いのでこの日はだめだ、あの日はだめだと、言う人。あんたの手術日は仏滅だったけど無事成功したじゃないのと言いたくなる。これはまだかわいいほう。
・あとは寒い時期になると必ず、今は寒いし、家は山の中でもっと寒いので、帰って風邪でも引いたら困る、と言う人。あんたは春まで入院しているのかい?と言いたくなる。
・一番困るのは自宅や家族の都合で受け入れができないというパターン、今いる方は自宅を改装しているので家族が置いてくれという、この方は前回の入院のときもそういう理由で帰らず転院してもらったのだが、この家はいったいいつまで改装しているのだろう。病院としては早くかえれー、家族はまだ置いてもらえー、である。なんか、とうの本人は何の罪もなく、間に挟まれ一番可哀想なのである。

確かに見ていて思うのは、病院に居れば至れり尽くせりである。毎日、体は拭いてもらえるし、周りが何でも世話をしてくれる。患者や家族としては願ったり叶ったりである。こういう患者や家族を説得するのはなかなか難しい、あまり強く言い過ぎても、せっかく治療はうまく言ったのに退院のことでギクシャクしてもつまらないし、かといって言われるがままでは、ベッドは回らないし。
最後の手としては、だいたいベッドがいっぱいになってきて、次の方が入院を待っているということを、毎日言って、医者からだけでは、だめなことが多いので看護婦さんサイドからも、プッシュしてもらう、だいたいここまですればOK。
それでも置いておいてほしいという人は、差額払って特室に入ってもらうこととなる。
現在の日本の医療制度では仕方が無い面もある、安い料金でみんな入院できるが、入院の必要の無い人も同じ料金で入院し、ほんとに入院が必要な人ができなかったりと、やや矛盾、しかし無理に追い出してトラブルにでもなったら、マスコミに病院つぶされかねないし。なんかやるせないです、これがアメリカなら一泊20万とかホテルのスイートなみの料金はざらなので、みんな患者側から退院を希望することも多いはす。
以前から思ってはいたがQQ車もこれと一緒、僕が小さい頃だったら、QQ車なんて呼ぶのはよっぽどのこと、死ぬか生きるかそういう時しか呼んじゃ行けないイメージであったが、最近はタクシーがわりに呼ぶひともいて、ほんとに助かる人も間に合わないことがあるらしい。

ところでなんで、みんなおうちに帰りたがらないのだろう?
不安、孤独、やることが無い、面倒が見れない
・不安は患者を安心させてあげればよい
・1人暮らしのお年寄りなどは、同情してしまうが、こういう人はやはり1人で生きているだけあって精神的に強い人が多い気がするので、すこし背中を押してあげるとよい、でも病院に異常に依存している人はだめ。
・帰ってもやることが無いというのは、なんともさびしい理由である、せっかく命をかけて手術をしたのだから、第二の人生と思って退院後は何か新たな目標をもって生きていってほしいと思う。これではこちらも何のために手術したのか、ということになってしまう。そういう意味では、よく術後の患者さんが心臓術後の会みたいなのを作って活動している(新東京とか大和成和とか亀田とか)のは、大変良いことだなーと思う。
・面倒が見れないというのは、どんなもんだろう、別に歩けない状態で帰らせるわけではないし、ある程度自分の身の回りのことはできる状態で帰るので、もうそれは家族のわがままとしか思えない。しかし実際に自分の家族がそうなった場合、自宅で介護できない状況であれば、自分も同じことを望むのだろうか。もっと介護のシステムとか、そういったものがしっかりできてこないと、なかなか改善しないのだろう。
みんな病院はどんな要求でも受け入れてくれるものと思われているのか。
患者さんは立場が弱い、なんていわれるけど、冗談じゃない、患者は言いたい放題で、こちらの方が立場が弱い気がしてくる。でもこの病院は地方都市にあるのでまだ良いほうかもしれない、都会はきっともっとひどいのだろう。特に小児科なんかは親が大変、一年目の看護婦はうちの子の担当にしないでくださいとか、大学病院にきて平気でそういうことを言うらしい。子をもつ親なら誰しもがそう思うはず、しかし平等をうたっているこの国の医療制度の中で、それを言われても困る。
なんて対応していいのだろう?
そういった話を聞くたび、やはり混合診療があってもよいのではないかと思うし、この建前だけの日本社会にややうんざりはする。
みんな今の医療制度の意味がわかっているのだろうか、ようは国民全員に医療を受ける機会を与えると言うことであり、同じ料金ではあるが同じレベルの医療が受けれるわけではないし、文句言う権利はありませんと言うのが、ほんとのところ。患者の要求レベルが非常に高くなり、建前上それに答えるのが不可能であるこの現状で、この国はいったいどこまで平等医療と言う建前を押し通していけるのだろうか。医療制度なんかを取り仕切っている人たちは、病気になったとしても、どうせ自分達だけはお金やコネやらを使ってVIP待遇を受けているんだろうから、自分達は何にも困らないし、逆に混合診療になると困るから、なかなか認めてくれないのだろう。
最近では医師会の力もだいぶ弱くなってきていると言う噂もきく、自分としては早く良い形で混合診療を取り入れてほしいものです。


せまい町

2006-01-31 02:55:34 | 飲み、食いもん
先週末は土日とも夕飯を内科の同僚と食べた。お互い独身なので休日など、病院で残っていると自然とご飯を食べに行こうか、と言う話になる。
土曜日は、最近発見した割烹の店に行ったのだが、店に入ると、偶然、先日辞めていった同僚がいた、、、、しかも女連れで。大病院の御曹司である彼は少し前、結婚にあせっており見合いをしまくっていたとの噂だったので、いい人が見つかったのかもしれない。人のことは言えないが、彼はどう見ても女性にもてるタイプとは言えず、心配していたが、でもとても仲良さそうにしていたのでゴールが近いのかもしれない。相手の女性もどこかのお嬢様か、医者の娘とみた。

ちなみに、そこでは大好物であるふきのとう、こごみ、たらの芽と春野菜のてんぷらを食したが、時期早々?、いまいちイメージと違った。

そして、日曜日はすき焼きを食べようということになったが、行く店みんな休みで、仕方なくしゃぶしゃぶで妥協した。比較的広ーい店なのに、案内された席の隣には、病棟のNSが、、、、
しかも子供と別れたと思わしき旦那と一緒で、思わず、月一回の子供との面会なのかなんて思い、とても隣にはいられんと思い、席を替えていただいた。

せまい町です。以上。

ちなみにその時に外勤先の近くに、新たな銭湯を発見、今度行こうと思い、我慢できず早速今日の外勤の昼休みに行ってみたら、さすがに昼はやっておらず、仕方ないので駅前のサウナに入り、昼を過ごした。
なんて、贅沢なんだ、温泉マニアとしてはたまらない、平日の昼から広い風呂に入れるなんて、サイコー
当然、帰りには昼間いけなかった、銭湯へ寄り初めての湯を楽しんだ。
あー、本物の温泉に入りたい。

誕生日プレゼント

2006-01-27 16:15:29 | Weblog
今日は33歳の誕生日、それを知ってか知らずか医局長からの誕生日プレゼントは、当直だった。しかも院内ではなく、市の休日夜間診療所というもので夜間外来を11時までやって、それ以降は基本的に寝当直なんだけど、なんかかなしい。
いま、インフルエンザはやりまくってるし、、、。

四尖弁

2006-01-27 00:26:44 | 術者、勉強になった症例
今日のオペは再々手術のAVR
もともと5歳のときASDを閉じて、15歳でARで生体弁置換、子供を生めるようにとのことで再手術覚悟で生体弁を入れたものの、わずか6年で劣化、ガチガチのAS、圧格差160で欠神発作を繰り返し今回手術となった。

とりあえず、ポンプ乗るまで前立ちさせてもらい、右側の癒着の剥離を少しやらせてもらった、基本的に電気メスで落としていく方法を教えていただいたが、術者の先生はハサミでさささっと癒着を剥離していき、その様子はあたかもクーパーで腸管の癒着をはいでいく姿に似ており、消化器のオペを思い出した。
予想通り弁輪小さく、19Rギリギリだったので弁輪拡大して、スープラで17のリージェントを植え込んだ。
人工弁の再手術のポイントは、開胸して癒着を丁寧に剥がしていくこと、ポンプの脱血、送血の部位をどうするかということ、それから、弁の取り方にあるかと。
うちのボスの弁の取り方は、まず弁輪と弁をとめている糸の間でカフを切っていき、カフの布の外側は残してとりあえず弁だけ取りのぞいて、そのあと、残ったカフの布切れや糸を取り除くという方法である。
弁輪拡大は初めて見たので良い経験となった、レフトとノンの交連部でM弁に向かって切開していくという、いわゆるマニューギアンのラインであるが切開は弁輪まででとめていたので、ニックスの切開に近いのか?
あれ、よくわかってないなー。
まあ、取り合えずこれでワンサイズは大きくなると、切った部分は豚心膜でパッチするのだが、かなり大きめのパッチを当てないと弁輪拡大にならないらしい、教科書に書いてあるような船状の形じゃだめだと、どかっと楕円形のパッチをつけていたが、それでもようやくワンサイズである。
やってること自体はそんなのに難しくはなさそうであるが、パッチをつけるとどうしても大動脈が変形するのでうまく形を整えるのがポイントかもしれない。

もともとは四尖弁とのことだが、四尖弁は結構珍しい奇形で若年でARを発症してしまう。実は2年目のとき胸部外科の関東甲信越地方会で初めて症例発表したのが四尖弁だった。今ではどういう内容だったかさっぱり覚えていない。
当時は何もわかってなかった、というか生の大動脈弁自体肉眼で見たことなかったと思う。先輩の作ってくれた原稿をまさに棒読みしていただけだった。それなのに、弁輪の糸をかけるのに工夫を要したなどとコメントしていたきがする。ところでなんで工夫を要したんだろう、今考えてもわかんねー、成長なしか。

ちょうちんグラフト

2006-01-25 16:25:18 | Weblog
今日の1例目はベントール+CABGで順調にきて5時間で終わった。
今日も弁付きグラフト作らせてもらったが、今日はちょうちんグラフトといわれる、バルサルバ洞の付いている人工血管をつかった、はっきりいってベントールのオペでは何の役にもたたないと思われる。デイビットとかやるならいいのかもしれないが、、、。
あとは、ベインストリッパー復活、とはいってもこれで二度目だが、SVGこれで取ってみた。今日は二度目にしてはまずまずうまくいったかな、ただ、細い枝は2本ぐらい抜けてた、、、、がこれくらいは覚悟の上だ。
マスターすればそれなりに早く取れそうだし、傷もかなり小さくてすむ。
何とかマスターしたいと思う、これからしばらくSVGはこれで行かしていただこうと思うが。
さて、二例目CABGもがんばります。

残念

2006-01-25 09:05:18 | Weblog
昨日は静脈1本、FPの中枢吻合した、e-PTFE初めて縫ったがゴアテックスの針がやぐくてむずかった。
今週の症例のカンファレンスでは、金曜のAAAは良く見ると両側腎動脈にかかっていそうで、腎動脈の上でクランプしなくてはならないと、、、。
さすがに回ってこないか、残念。
またのチャンスを待つ。

日曜の午後はクアハウス

2006-01-22 16:55:15 | 温泉ねた
今日は日曜日、1人でのんびり回診を終え来週の手術のデータとシネをチェックして、術前後の指示を出した、UAPが2件放り込まれていて、いつの間にか6件に増えてた。CABGが2件、CABG+FP、CABG+ベントール、再々手術のAVR、AAAとなかなかである。AAAはイージーケースっぽいし、いっこ上の上司は今トルコにいてるので、やらしてもらえないかなーとひそかに狙っている。
午後のひと時は、近くのクアハウスで過ごした。ここはお気に入りのとこでよく行くのだが、そこのどくだみ風呂がお気に入りで、なんともいえない気持ちよさ、一日肌がすべすべになーるのだ。以前は部屋の風呂に入浴剤をたっぷり入れ入っていたが、去年の夏からガス止められ、まー夏だし病院のシャワーがあるからいいかと思い、料金滞納し続けはや半年、最近は月曜日はバイトの帰りに銭湯、水曜日は当直先で入浴剤、週末はクアハウスと相場が決まっている。
4年ぐらい前から、大好きな入浴剤があってメーカーは忘れたが尿素配合のフェルゼアというやつ、それのハーバルグリーンってやつがすごーい、ガスが止められていらい、こないだ久しぶりに使ったが、もう一日ハッピーな気分でした。
何がいいって、一日中はだがすべすべになるのはトーゼンとして、香りが良いのです、しかもお風呂上がった後も
ずーと香ってる、一日その香りが体を包んでいて昇天寸前。
ほんとお勧めの一品です。みなさんお試しあれ。

そして風呂といえば水風呂、銭湯いったら必ず交互に入ってます。なんか冷たい水風呂にはいると必ず学生時代のヨット部を思い出す。冬とか春の海はめちゃくちゃ冷たく、しかも風がつよーい時期なので、ヨットがすぐにコテンコテン、パタッパタッと転覆しちゃうわけですよ。そうすると冷たーい水の中に投げ出され、凍えながらヨットを起こさないといけない、とろとろやってるとドンドン体力なくなって、ますます起こせなくなっちゃう。水風呂につかると、そういう光景が鮮明によみがえってくる。今考えるとオソロシー、人殺しにならなくて良かった。
あと、もうひとつヨットを思い出すのは、川辺とかを走っているとき、特にここは海が近いので、風が強い、そういう中を走っていると耳の裏側のところでボッボッボッボーと風の音が聞こえてくる。ヨットに乗っていても強い風が近づいてくるとまず、耳の裏側でザワザワザワと風の音が聞こえてきてそれがだんだん大きくなってボッボッボッボーと変わってくるのだ。
だから風が強いときに走っているとなんだかヨットに乗っているような気分になってくる、これはランナーズハイ?、エンドルフィンで幻覚が見えてるのかもしんない。やばいかも。
ちなみに、銭湯で体重測定したら85キロになってた、サウナ入ったあとでしかも今日は朝昼くってなかったけど。これで、卒業した頃の体重にだいぶ近づいたはずだが、なぜか体はぶよぶよ、肉がダラーんとしている。
年のせいか、いやただの運動不足だろ。

また書きすぎたか、論文とかもこんな勢いで書けるといいんだが、なかなか進まないもんだ。こんなんじゃ、また第一バカ医局長にお叱りを受けるかもしれん。
まー自由に書かせてくれ。

ご臨終です

2006-01-22 14:00:30 | 悲しい話
今朝、また1人見取った、今月これで3人目である。なんか行く時はみんな続けていくもんだ。DVRの遠隔期、MRSA縦隔洞炎のSEPSIS、AVR後の塵肺で抜管できずMOFの三人である。
DVR遠隔期の人は、心不全コントロールつかず入退院を繰り返していたが、内科的治療も限界に来ており、いわゆるエンドステージであった。最後は延命処置はせずモルヒネで呼吸苦をとって安らかに眠った。以前癌を扱ってた頃には当たり前のようにモルヒネを使って苦痛の除去をするようにしていたが、循環器に来てからははじめてかも知れない。呼吸器繋がれたり、苦しむよりは、むしろこの方がきれいであると思う。家族の納得が得られているのであれば、死に際はできれば美しく演出したいものである。
縦隔洞炎の方はDMのHDで大変ハイリスク、術後は元気になっていったん退院したものの、胸から膿を噴いて再入院。
すぐに開けてデブリ、洗浄、持続吸引開始したが、すでにsepsisの状態、徐々に意識レベル低下し挿管され、血圧保てずHDもできずである。悔やまれる。
塵肺の方は、何度か抜管挑戦するも再挿管を繰り返し、そのうちMOFが進んでしまった。なんで抜管できなかったのか、この反省を次に生かさなければならない。

とにかく、患者を看取るというのはいいものではない、寿命なら仕方が無いところはあるが、術後の急性期では外科として負け勝負である、仕方ないで済まさず、なぜだめだったか、これに対してフィードバックをかけて、今後少しでも減らさなくてはならない。

脈ありか?ワインのせいか?

2006-01-21 17:07:49 | Weblog
昨日は病院見学行ったが、すごい手術を見させてもらった、他を知らないが、たぶん日本一だと思う。
前日に自分の経歴とトレーニングを受けたいという希望はメールしておいたので、今回の目的は見学だけでないということは、わかってくれていたと思うのだが。

手術のあと食事会というか飲み会というか、あって、いちおう自分の考えや希望を伝えて売り込んできはしたが、なかなか話はそうはすんなり行かず、人生についていろいろ難しい質問をされたり、まだまだ、手術がもっとできるようになってからでいいんでないのー、みたいなことも言われて、今回はだめかなー、また出直すかなーとちょっと思ったりもした。
しかし、最後に会がお開きになったときに、そこのボスが「そいでいつから来るんだ、秘書にメールしろ」と最後になんとも素敵なお言葉をくれた。
ただ、だいぶワインが入っていたので、覚えていていただいているか心配
とにかく忘れられないうちにと思い、さっそく帰ってきてすぐにメール発信。
なんとか、正式に決まりますように、

明日はお出かけ

2006-01-19 23:44:11 | 術者、勉強になった症例
今週はポンプオン35分新記録出ました
でも、最近SVGはスランプ気味、原点に戻るか。

今週はM弁のオンパレードだよーン。
人工腱策あり、切除あり、バイパス後の弁置換あり、弁形成後にリングにジェット当たって溶血止まんない人あり、IEで腱策ぶっ飛んじゃった人あり、これで俺も来週からはM弁マスター、んなわけないけど、勉強になります。

いよいよ、本格的に次の職場を探して行動します。
明日は、とある病院へ見学行きますが、もし条件と環境とボスの人柄がよければ、その場で交渉してきます。
そこは、いま一番気になっている施設なので、何とかうまくまとめたいところであります。
まあ、だめでも次があるので、とりあえずゴー

あとは、残りの期間ここで何をすべきか、大体頭の中にはあるので、また今度整理することとする。とりあえずは行き先を見つけなくてはいけない。

明日は始発の新幹線で行ってきます、うまいもん食えるといいんだけどなー
最近、寿司食ってねー、うまい寿司が食いたいなー。

メヒコ会、逃す

2006-01-11 12:02:53 | 目標、やること
先日、懐かしい友人からメールが届いた。
何でも卒業旅行に一緒に行った連中で箱根泊まりツアーに行っているらしく、連絡が来た、しかし、私、地方にいるせいか忘れられたのか誘われず、かなしー。
電話はくれたらしいが、、、そういえば電話入ってたきがする
時々、メヒコ会と称してメキシコ行ったメンバーで飲み会や旅行が開催される。
とにかく、テキーラを飲みながら昔話に花を咲かせるというもの。

最近、やってないなーと思ったが、俺が参加して無いだけ?

今からちょうど6年前になりますか、卒業旅行で12、3人でメキシコ行ったが、夜、海岸沿いで焚き火しながら、みんなで10年後の夢を語り合ったのを覚えている。10年たったらまたみんなでメキシコに行こうと誓った気もするが、、、。

あと4年したらまた、メキシコ行く余裕ぐらい持てるようになってるかな。

みんなはどうだろう。

解離

2006-01-07 23:23:26 | Weblog
なんか、いま解離関係がおおいぞ、昨日はオペ中に解離が二件も着たが、どちらもB型でオペにはならず、また、今日は慢性のB型解離の両下肢の虚血が来て、axillo-bi femoral bypassとなりました。
3人でいっせいのっせで、一箇所ずつ取り掛かって同時進行で血管出して吻合してやったら、結構早かった。
これはなかなかいい。

うちの上司が来週、トルコのカラゴッツのところへに行くが(先をこされた)、前情報だとやはりトルコのライセンスが無いとオペはできないらしい。
おれも来月あたりに行こうかと考えていたが、ちと悩むところである。
しかし、一流のオペは若いうちに見ておくべきだと渡邊先生も言っていたわ。

とりあえず、おれも行くかな。

温泉めぐり

2006-01-05 22:52:11 | 温泉ねた
正月休みは実家に帰らず、温泉めぐりをして、カニを食ってきた。
年越しで見事に2Kgほどリバウンドした。予定どうりだ。
平和な正月であり、最初のオペはfogartyであった。
年末に来た解離は術後左半身麻痺で、厳しいかと思われたが、小さな梗塞であったのか、ラジカットが効いたのか徐々に麻痺は改善され昨日抜管。
3週間前のASは塵肺がひどく二度抜管を試みるも失敗に終わり、今だ抜管できず。腎不全進行しており悪いサイクルになってきている。
なにか策を考えないと手遅れになりそう、まずい。

昨日、チャレンジャーズライブで知り合った、Dr孤島からメールが入り、広島の広島市民病院で1人欠員が出るので募集をしているとのこと。
そこは小児100、CABG50、弁60、胸部大血管60、腹部大血管50、末梢80、シャント80、もろもろで500以上やってるところらしく、なかなかである。
いい話である。



2006年、明けましておめでとう

2006-01-01 06:31:46 | Weblog
今年は病院で年越しとなった。さすがに大晦日10時ぐらいを最後に、外来は静かなもんだ、確か去年は年明けてまもなく2件ぐらいカテやって、しかも肺梗塞で緊急オペだった気がする。
昨日の大晦日はA弁の生体弁置換後、IEのSEPSISショック疑いという人が送られてきた、エコー上確かに弁尖にひらひらーとしたものがくっついてる。
しかも、レベルはしっかりしているがHRが20から30と止まっちゃいそうで、これは1人じゃやばいと思い、内科の待機の先生にCALLして、とりあえずカテ室連れてってテンポラリー入れて、落ち着いてからデータを見てみると3日前にAMIを起こしている模様、、、、。それは聞いて無いよー。
徐脈の原因はIEでAVnodeが溶けちゃっているのか、それとも右のAMIのためか、、しかしながらPCIやってベジテーション飛んじゃっても困るし。
意見の分かれるところだが、この方、分裂病で家族もみんな分裂病で身元引受人は施設の方で、しかも腎不全で、今は心臓もそこそこ動いているしおしっこも出てる、、、、そうかんがえるとPCIやって透析になってしまったら、それこそ予後悪くなると考え、まずは感染と心不全のコントロールをつけることとなった。
ほんとはオペ必要だが、まだまだそんな状況ではない。
そんなこんなで去年の大晦日も何とか乗り切った。

あと、2時間半で当直も開放、そしたら3連休が待っている
もうちょっとだ。