あぽいち

温泉とヨガ、たまに心臓外科医

ヨガ哲学4

2018-12-24 13:20:40 | ヨガ
題名は論理的な自己の分析、、、先生いわく、一番哲学的な話で、理解しにくいからつまらないセッションとのこと。

最初に生徒全員に自分とはなんですかとの質問あり、私の答えは一児の親(父親)と答えたけど、他の方々は、唯一無二の存在、今ヨガを頑張っている、飲食が好き、、、などなどでした。
これらの答えはどれもこれも、間違っていない、けれどもどれもこれも変化していく自分なのである。変化するもの、それは真実ではない、真実は不変。
変化しない自分とはアートマー、ここで自己の本質が出てくる、いつでも満ち足りている存在、あらゆる束縛から自由な存在、無限で永遠の存在というやつである。自分とはときかれて、これを答えられるひつは、もうゴールに近いんだろうな。

①シャリーラ・トラヤン(3つの体)について、
1,ストゥーラ・シャリーラ(質を持った体)について:肉体のこと,5つの要素とカルマ(業:運命,過去の自分の行いによる自分では選べ無いもの,個性を作る)
・5つの要素とは空(スペース),風(体に入るとプラーナになる,活動の源),火(体温,消化),水(体液),土(細胞が繋がりあって安定していること)
・肉体は変化を免れない,6つの大きな変化がある.
・それは母体に存在する状態→誕生→成長し続ける状態→成長は終わったものの変化をし続ける状態→衰え朽ち果てていく状態→死
・肉体は外の世界とかかわるための拠点としての役割がある.
・他人からも自分からも,はっきりと対象化する事が出来る.対象化できるもの(見えるもの)は自分ではない,肉体は変化していくが,本当の自分は変わらないが,それが理解できないと死を受け入れられない.

2,スークシュマ・シャリーラ(微かな体)について:魂のこと,5つ
・インプットするもの(目,耳,鼻,舌,肌)
・アウトプットするもの(言葉,手,足,排泄,生殖)
・生理学的機能(呼吸器,排泄器,循環器,消化器,リバース(嘔吐とか))
・感情(浮かんでは消えていくもの)
・知性(感情をとめることが出来る,決定)

・肉体と同じく空,風,火,水,土から出来ていて,やはり変化していくものである.ただし,肉体より長い寿命があり,肉体が死んだ後も旅を続け,次の肉体を得る.それは子の世界のサイクルが終わるまで続く.
・世界とのつながりを持つための「媒体」 の役割
・他人からは見えないけど,自分で感じることが出来る.

3,カーラナ・シャリーラ(原因の体):肉体と魂の全ての機能や質が「可能性」として種のうように潜んでいる状態・
・全ての要素の根本原因であるため,それ自体は産まれたり作られたりする事は無い
・ながーい寿命をもち,世界のサイクルが終わった後も続く
・認知が起こらないため,他人からも自分からも経験されることは無い,,,眠っているときの自分のようなもの. 

②次は体験を通した3つの状態について
・起きている状態(体を通じて世界と交流がある状態)5感がアクティブで世界の情報を集められる状態,この世界が存在する.
・夢を観ている状態(記憶サムスカーラの世界が映し出された内面の世界)
・熟眠の状態(自分と世界を分けるものが無く体験の起こらない世界):悩みも何もかも認識しない.

③次は5つの鞘について,3つの体を機能的に5つに分類した.
・私は肉体である
・私は行いである
・私は望む力である
・私は知る力である
・幸せを感じることの出来る,,,潜在意識

④最後は自分の本質について  アートマー
アートマーとはサッティヤン(何かに依存することの無い,普遍的な存在,真実),それ以外はミッティヤー(何かに頼ることで存在している,変わりやすく実体の無いもの,真実ではないもの)
ここは非常に理解しにくいお話,,,,,例えるならサッティアンが木だとして,ミッティヤーは机とうこと.海と波においてのたとえでは,海が無ければ波は存在しない,海は波があってもなくても海である.
わかったようでわからないはなしである.

本日は以上でした.


ヨガ哲学3

2018-12-24 09:23:51 | ヨガ
本日の題名は「自己の修養としてのヨーガ」でありあす。

まずはヨガスートラというヨガの経典についての講義でした.ちなみにスートラとは文献の種類であり,糸とか簡潔なという意味,インドではテキストを丸暗記してから授業に望むので,短い文章が好まれたらしい.
聖者パタンジャリによってまとめたもので,心のケアのための内容,ちなみに身体のケアのためにアーユルベーダもこの方が書いた.さらに言葉のケアのために文法の経典も書いている.言葉のケアとはすなわち知識を守ることらしい.
ヨガスートラの中でも大切なのが2章サーダナ・パーダデ言われるアシュタンガヨーガ(八支則)であり,体と心の健やかさ,自己の成長のために有効であるとされている.

第一章サマーディ・パーダ(三昧の章),この章ではヨガの定義
1-1 これから伝統に基づいたヨガの教えをといていく(パタンジャリが考えたわけではなく,これまでの伝統を伝えると)

1-2 ヨガとは心の働きを定めることである(前もって心が乱れないようにすること)

1-3 ヨーガが達成されたとき「考え」や「考えの対象物」を知るものの本質である「自己」にとどまる.(本当の自分と考えている自分は違うものだ,考えの中に巻き込まれず,本当の自分「自己」にとどまるということ)

1-12 心の動きを定める修養とは繰り返しの練習(アッビャーサ)と好き嫌いから起こる執着から離れること(ヴァイラーギャ),自分で向うゴールのために,好きか嫌いかではなく,必要か必要でないかで決める,ヨーガをやっていくと自然と見極める力が付いてきて,不要なものは自然と離れていく.小学生がおもちゃから離れてゲームに移るように.

1-23 心を定める修練はまた,イーシュラワに瞑想することでも達成される(イーシュラワ??,いまいち分からないが世界とかのこと?,世界は私が悩もうが関係ない)

1-24 「イーシュラワ」とは「クレーシャ(苦悩)」などから自由な「プルシャ(自己の本質)」である.(苦悩があろうがなかろうが,それが大きかろうと小さかろうと,私は私)

こうして復習してみると「イーシュラワ」の意味がいまいち,イーシュラワに瞑想するといわれても,イーシュラワが分からんと出来んな.

第二章サーダナ・パーダ(練習の章) 心の方向性を定めるための練習方法
パタンジャリはこの章でヨーガのゴールを達成するのに障害となる「クレーシャ(苦悩)」の本質について述べている.そして苦悩から自由になるために「身体,心,感覚器官」を修めていく瞑想のプログラムであるアシュタンガヨガの最初の5つのステップとなるヤマ・ニヤマ・アーサナ・プラーナーヤーマ・プラッテャーハーラについて紹介している.

2-1 タパス(規律),スワーデャーヤ(聖典の勉強),イーシュラワプラニダーナ(イーシュラワへの敬愛,理解)(世界を認めて感謝すること)を合わせてクリヤーヨーガ(カルマヨーガ:生き方)という
ここで言われる規律は縛りつけるものではなくスペースをくれるもの,選択肢が多い現代は一見自由にも見えるが,実は現代人は一日で70回も選択をさせられている,選択のために考えなければいけないので,かえって不自由である.規律があって選択肢が少ないほうが実は自由な時間が取れる.ステーブジョブスは毎日,ジーンズにクロのハイネックしか着なかった,それは毎日重大な選択をしなければいけない立場で,服を選ぶのに考えをめぐらすのはもったいないと判断したから.

2-2 このクリヤーヨーガを実践することで「クレーシャ(苦悩)」の影響を最小限にし,知識を得るために落ち着いた心を養う

2-3 アヴィッデャー(自分の本質についての無知),アスミター(自我),ラーガ(好き),ドヴェーシャ(嫌い),アビニヴェーシャ(死への恐れ)が私たちにとってのクレーシャ(苦悩)である.

2-4 アヴィッデャーが他の4つの原因であり,その苦悩の度合いにはそれぞれ4つのレベルがある.

2-5 ヤマ,ニヤマ,アーサナ,プラーマーヤーマ,プラッテャーハーラ,ダーラナー,デャーナ,サマーディを「アシュタンガヨーガ」という・

ヤマ,ニヤマを毎日実践しよう
・毎朝「今日は○○を実践します」という誓いを立てる.
・実際に行なってみて自分の行動がどのように周囲の人や環境に影響をあたえるかを確認する.
・他に選択肢があるかどうかを確認する.
・ベターチョイスを行なっていく.

2-30 ヤマについて:すべきではないこと,自分が気が付かずにやってしまっていることに気が付いてやらない選択をする.
・アヒムサー(非暴力):調和の生きかた,他者の痛みに気がつくための自分のための練習である.人・生き物・環境を傷つけない.身体,心,言葉,愚痴,文句,恨み
・サッティヤン(正直):嘘や誠実でない言葉を話さない
・アステーヤ(不盗):時間,やる気,能力,成長のチャンス
・ブラフマチャリア(禁欲):欲に流されない,インドでは学生のことをさす,男女平等
・アパッリグラハ(不貪):必要以上のものを持たない,人は不安があるから溜め込む,持たなくても大丈夫であることを知る,自分の強さになっていく,定期的に断食をしていれば震災で食糧難になってもすぐにはあわてることは無い.

2-32 ニヤマについて:すべきこと
・シャウチャン(清潔):内側も外側も,清潔であること,毎日服を着替える,おしゃれである必要は無い
・サントーシャ(知足):今の状況に満足すること,どんな小さなことでも満足すること,比較するから足りないと想ってしまう,人と比較しない
・タパス(規律):規律ある生活をする事,変化が起こるとき,熱という意味もある,何かを成し遂げようとするときの変化のエネルギーが生まれる.
・スワーデャーヤ(読誦):聖典の勉強をすること
・イーシュワラプラニダーナ(神への帰依):大きな力を理解し受け入れること,シャバーサナなどはヨガの後のありのままの自分を全て受け入れる

2-33 もし感情に流されてヤマ,ニヤマを守れ無そうなときは,ふさわしい理由付けに基づいてよく考え正しい答えを出しなさい
これはいまいち理解不能だが,感情の癖を乗り越えるために,反対の行動をとりなさいということ,例えば嫌いな人がいていつも避けているなら,好きな人にしている態度をとりなさい,毎日毎日,嫌いでも自分から挨拶をしていく,あえて避けている行動をとりなさい,感情の癖が直っていく,本当の自分は自分で好き嫌いは無い,嫌いだと想っているのは自分の感情

2-46 アーサナ(ポーズ)は快適で安定したものをとる,,,瞑想中に体が痛くないようにするものである.

2-49 プラーナーヤーマ(調気法)について:アーサナが整ったた,呼吸の流れを整えていく

2-54 プラッティヤーハーラ(制感)について:外の対象物に向いている感覚器官を引き戻し,心に注意を向ける.

ここまでの5つは外側のヨーガ,この先の第三章からの3つが内側のヨーガとなる.

第三章 ビブーティ・パーダ 

3-1 ダーラナ(集中)について:心を乱している不要な思考をひとつの対象に集中させていくこと

3-2 デャーナ(瞑想)について:思考が瞑想の対象から外れたら戻し,ひとつの対象に保つこと

3-3 サマーディー(三昧)について:思考が対象物にとどまる瞑想状態をいう,それはまるで心が「変わりゆくもの」という本質を失ったかのようでもある.本当の自分と繋がる.モークシャ(ゴール)ではない,モークシャに繋がるステップ

哲学3の講義はここまででしたが,ヨガスートラの概要とエッセンスについてでして,なかなかです.
とにかくアシュタンガヨーガで最も大切なのは,ヤマ・ニヤマとのことでした,ポーズや瞑想は訓練すれば出来るけど,現代人にはヤマ,ニヤマの習慣が薄れているので最も難しいのである.


ヨガベーシック1

2018-12-23 10:44:04 | ヨガ
what is yoga ? が本日のテーマ,入学してから比較的早い時期に受けれて良かったです,ヨガの基礎,一緒に参加した人の中には,なかなかこの講義に当らなくて,他全部受けてから1なんて方もいた.ラッキーかな.

最初の質問でシェアしたのは,ヨガの意味と自分にとってのヨガとはというお題
私の答えは,ヨガは自分と世界のバランスを取るもの,また,心と身体のバランスを取るものとしました,ま-ありきたりな答えだけど.
他の方の答えには,自分の調子に気が付くもの,ダイエット,体が柔らかい,宗教なんてのもあった.
次の自分にとってのヨガとは,人間とはなんぞや?(自己の探求),人生を生きやすくするためのツール,死への準備なんて答えておきました.

①まずはヨガの歴史の勉強です.

起源は約4500年前のインドとのこと.ちなみに世界四大文明は?というはなしから入りましたが,エジプト,黄河,メソポタミア,そしてインダスらしい,学校で習ったはずらしいがね.そして,これらの文明はみな川沿いで発展したとのこと,ナイル川,黄河,チフラスユーフラテス川,インダス川,余談ですけどね勉強になります.
1,紀元前2600年ごろのこと
インダス文明について
当時のインドはすでに都市計画があって,下水,風呂,道等があったらしい.その頃日本はまだ縄文時代だって,そのインダス文明の遺跡から座って瞑想している彫刻が出てきているというのがことの始まり.

2,紀元前1500-1300年ごろ
ヨーロッパの遊牧民だったアーリア人のインド侵攻によりインダス文明は衰退していく.
ヴェーダ(バラモン教の聖典)の編纂,4つのセクションからなる.
マントラ,儀式の手順,瞑想,これらが99%で,残り1%でウパニシャット(自己の知識,ヨガ哲学の原形,真実の教え)

3,紀元前500年ころ
バラモン教の衰退,バラモン教はバラモンだけの特別なものであった.
バラモン階級の支配体制への反発が強まり,誰でも出来る仏教やジャイナ教といった新しい思想や宗教が勢力を強めていった.

4,紀元前400年ころ
バラモン教のヒンドゥー教化
衰退にあったバラモン教は寺院の建設や土着神を多く取り入れて大衆化することで信仰を取り戻していった.

ここで有名な物語バガバット・ギーター(神の詩)が編纂される.神について詩った詩または神が詩った詩などといわれる,人間って何?という内容.
戦士アルジュナと従兄弟の神クリシュナの物語,アルジュナが家族戦争に巻き込まれ,苦悩に生きる中でクリシュナのアドバイスをもらいながら自由を得て本当の自分にたどり着く,18章700節からなる.そこ当時は紙が無い時代であり詩で伝えられてきたとのことである.

⑤,西暦400-500年頃
ヨガスートラの編纂がされる.
スートラとはもともと「糸」とか「短い」「簡潔」という意味で,短い文章で4章195のスートラで構成される.
聖者パタンジャリによって編纂されたヨーガの重要な経典

⑥,西暦1100-1300年頃
ハタ・ヨガの誕生(現代主流となっているポーズのあるヨガの総称),「ハ」は太陽,「タ」は月という意味あがるそうな,いわゆる陰と陽,物事には裏表ありね.そういえばアーサナでは静かな陰と激しい陽のレッスンがあるな.

⑦,西暦1700-1800年頃
ハタヨガプラディピカーの編纂がされたと,ハタヨガについてまとめた経典で,アーサナーや呼吸法が紹介されたが,この時点ではまだ数種類しかなかったそうな.

⑧,現代
クリシュナ・マチャリア(1888-1989,なんと101歳まで生きた)が効果的に実践できるヨガを作り上げた.
クリシュナは学校卒業後に恩師から,ヨガを教え広めるように言われて,3人の弟子をもうけた.

【B.K.S.アイアンガー】アイアンガーヨガの創始者(クリシュナの兄の甥),本人が虚弱体質であったため,誰でも出来る安全なヨガを考え,プロップス等を用いたアイアンガーヨガを作った.96歳まで生きた.
【シュリ.K.パタビジョイス】アシュタンガヴィンヤサヨガの創始者:十代で若かったため,じっとしているヨガは出来なかった,そこで動き続ける中で瞑想をするヨガを作った. 94歳まで生きた.
【T.V.K.デーシカチャール】クリシュナマチャリアの息子,父のヨガを伝えた. 78歳まで生きた.

こうしてみると,ヨガの伝導師たちはみんな長生き,ヨガの聖典では人間は病気などしなければ120歳まで生きられるとのこと,大昔は病気は無かったというが.

今みたいに,スタジオで皆でポーズをとったりするのではなく,当時はヨガは先生と弟子は一緒に生活したり,一対一で教わったり,治療を受けたりしてたみたい.

現在のヨガスタイルはアメリカで商業的なフィットネスとして爆発的人気となり,それから日本にも入ってきたので,ヨガというとフィットネスのイメージが強い.私も瞑想をしる前はそう思ってた.

・大まかな歴史はこんなもんでして,次は経典のはなし

カタ・ウパニシャッドの経典では,私たち人間をゴールに向かう馬車にたとえて紹介している.
ヨーガとはもともと「くびきをつける」という動詞に語源がある,くびきとは荷台を引く牛馬の首の後ろにかける横木のこと.つまりは「結びつける」という意味

馬車が向かっているゴールは「モークシャ」本質的な幸せ,自由
馬車が進んでいる道は「人生」
①馬車本体は「肉体,身体」
②馬車を引く馬は「五感,感覚器官」
③手綱は「思考器官」
④運転手は「知性,理性」
⑤馬車の車主は「本当の自分,真我,プルシャ,アートマ」

私たちの心は暴れ馬の如く揺らぐものであるが,揺れ動く心の手綱を自分で握りコントロールしなければゴールに向かうことは出来ない.つまり,心や体はあくまでも私たちに与えられた道具であり,壊れないように手入れをして,それぞれがばらばらにならないように結び付けて自分の意志を持って扱い,人生のゴールに向かうことがヨガの練習だといわれている.

・ヨガスートラについて
聖者パタンジャリによって記されたヨガの経典
【一章一節】 アタ ヨガ ヌシャ-サナン/これからヨガについての教えをとく
この最初の「アタ」というのは,おめでたい発語で「ア」も「タ」も口を大きく開けて発語するもので,みんなが幸せになりますようにみたいなのがあるという.

【二章】ではアシュタンガ・ヨガ(8枝則)について書かれているが,これは哲学で詳しく教わる.

・最後にサンカルパ【誓い】について,ヨガの200時間のトレーニングの中で自分が達成したいことをここに誓い実践しましょうということです.
しかし条件3つ,実現可能なもの,具体的に書くこと,ショートゴールにする

私は,これまでの人生振り返って自分を大切にしてこなかったかなと思うことあり,いつも自分に無理ばかりしてきた.
これからは自分をもっと大切に,自分を傷つけないようにしたいかな.

1,早寝早起き,規則正しい生活をおくること.もう若くないのでね,ちょっと睡眠不足だと辛いし,朝の時間は貴重です.
2,食事にも気をつける.これからアーユルベーダを勉強していくので何が体に本当に良いのか見極めてね.
3,ヨガを毎日続ける,これは今のところちょっとちょっとの短時間でも出来ているかな.というか今では10-20分でも,最悪太陽礼拝だけでも,やらないと仕事行くきになれないかも.

今日はここまで

ヨガベーシック3

2018-12-20 22:00:36 | ヨガ
今日は2件でしたが夕方に終わったので、夜の講義に出席

ヒップオープナー股関節外旋がテーマ
哲学はアヒムサ(非暴力)
無理に骨盤を広げすぎて、自分に対してヒムサにならないように。
1.スプタパタングシュターサナB
仰向けの親指をつかむポーズ
骨盤の前後傾しないように、腰に手のひら一枚、あげてる足の坐骨を下げる、軸足の太もも裏が浮かないように。
2.ヴィラバドラーサナ2
戦士のポーズ2
3.ウッティタトリコナーサナ
伸びた三角のポーズ
4.ウッティタパールシュヴァッコナーサナ
体側を伸ばすポーズ

ポイントは後ろ足をしっかりと踏ん張ること。
膝を過伸展しないように、太ももの筋肉を足の付け根に引き上げる。
内ももを外に回転しながらカカトの真上に膝を
骨盤の左右の高さをそろえる。

呼吸と瞑想1

2018-12-18 22:21:31 | ヨガ
哲学に引き続き、同じ先生の講義です。
テーマは呼吸解剖学と感覚力

呼吸の解剖生理はほぼほぼ、わかっているつもりでしたので、比較的に理解はしやすかったです。
新たなというか、忘れてた?、学生時代に講義をサボってたのか、いくつか新鮮な話もありました。
1つは、呼吸筋は自律神経と運動神経の、二重支配であると、これは納得、瞑想ではあえて呼吸をコントロールして副交感神経を優位に持っていくことになるからである。
あとは!鼻呼吸の凄さ、温度、湿度、フィルター鼻毛と絨毛の話までありましたが、鼻呼吸は風邪ひかないとか。
あと、人間は生まれた時はみな腹式呼吸なのに、だんだんとお腹が硬くなり、腹式呼吸がやりにくくなり、幼稚園の頃から胸式に変わっていくという話、その理由は外に出て外部のストレスを受けると、それに備えて身体に力が入るように遺伝子に組み込まれてる習性だから、仕方なしと。
そこで、あえて腹式に戻してあげる。
腹式は大きな呼吸が可能、酸素をしっかり取り込める、身体の細胞が元気になる。

そんな話でした。

ヨガ哲学1

2018-12-18 20:58:53 | ヨガ
12/18の授業
この日は急に手術が飛んで,有給OKとのことで朝の回診だけ出て,ヨガ哲学の講義へ参加
ヨガ哲学はおそらく自分がこの学校で一番学びたかったことかな.なかなか本を読んでも理解が難しく,いまいち理解しにくい分野である.
復習をかねて,まとめてみる.

ヨガの考え方:ヴェーダ(聖典)とは知識の源,自分自身こと
ゴールは幸せ,変わらないもの
自己の本質は満たされている,何も欠けていないということを知って行くことであるが,準備が必要,それがヨガ
自分は鏡である,曇ってしまっていて,真実を観ることができない,だから,ヨガで曇りを取ると.

ヨガを続けていくには,そのゴールを知らずしては成長がないと,どこに向かっているのか,ただ気持ちい,リラックスできる,肩こりが治る,,,,で終わってしまうという.
しかし,そのゴールとはなんぞや.
答えはモークシャ(自由)とのこと.
ヨガとはそのモークシャに向けての生き方,本当になりたい自分になるためのダイレクトな道,自分の真実を知ることで,本当の自由と幸せを手に入れるために,自分自身を磨く道とのことである.

プルシャ(人間)アルタ(目標)を経典では4つに分けてる.
1,アルタ(安全)
安全のために,お金が必要,家が必要,結婚が必要,子供が生まれたら保険が必要,,,,
精神的,肉体的な痛みから守ってくれるもののこと.
これだけでは楽しみが無いので,次のカーマがある.

2,カーマ(喜び)
食事,旅,音楽,,,,趣味
五感を喜ばせてくれるもの,毎日を幸せにしてくれるもの.

3,ダルマ(調和)  
自分の利益をかんがみない奉仕,人のために力を尽くすこと.

ダルマに沿ったアルタやカーマでないといけない,自分勝手に人を蹴落として突き進んで得られるアルタやカーマでは本当の幸せではない.
お金や物は来世に持っていけないが,ダルマは来世に繋がる.
ダルマによって生まれる徳をプンニャといい,プンニャは結果的にアルタとカーマを手に入れるための助けになる.

この世界で得られる幸せには限界がある.
・私たちは常に幸せであることは出来ない,苦しみや痛みは消えることはあっても一時的なもの,おなかが満たされるのも一時的なもの.
・ほしいものを片っ端から得たとしても,完全な満足は得られない.
・幸せを得るために人やお金など何か自分以外のものに頼らなければいけない,そして,その頼らなければいけない物事自体が,そもそも変化するものであるから.

経典では,この限界について触れながら,人々の生きる目標を4つ目のモークシャへと導いている.つまりアルタ,カーマ,ダルマを求めることでは本当の幸せは得ることは出来ないとしている.

4,モークシャ(自由)
私たちを束縛するものからの自由,依存しているものからの自由,アルタ,カーマ,ダルマ
で得られるもの,つまりはこの世界から手に入れられるものは何でも,自分を縛り付けてしまう可能性があり,それらを求めることをやめて,本当の自由を手に入れることがモークシャを求める生き方.

サンカルパ 誓い
本当に得られたいもの,自分のとって良いと想うこと,守るべきことを誓って実践する.

ちなみにヨガの語源は√yujという動詞でつなげるという意味,語尾にa臥付くと名詞化されて,そこからyogaになったらしい.何を繋がるのかは人それぞれ,よく言われるのは心と体,自分と他人,自分と世界,過去や未来,,,.これは今自分自身が悩んでいることや,救いを求めている内容が浮かんでくるそうな.
そういったものをつなげるのがヨガ,しかしヴェーダではもともと,これらのものはひとつであって離れてはいないから,繋げるものではないと書かれている.うーん,なんとも禅問答のような.つまりはもともとあるつながりを,しっかり観ること,思い出すこと,忘れないようにする事が大切ですよということらしい.
何だかな,だまされた気分.

もともとヴェーダ自体は,リシと呼ばれる聖者達によって編集されたとされているが,リシ達が考えたのではなく,もともとの自然界の法則を分かりやすく説いたとされる.重力を発見したのはニュートンであるが,ニュートンが重力を作ったわけではない.
ヴェーダは大きく二つに分かれる.
1,カルマ(行い)と調和に基づいた生き方
アルタ,カーマ,ダルマを満たすためのカルマの方法や手段が述べられているが,多種多様であり膨大な内容
2,真実の教え ウパニシャッド(自己の知識)
私たちは本当の自分をしらないから,悲しみや不安におそわれ,欠けているという思いから何かを手に入れることで満たそうとする.しかし本当の自分はカルマでは手に入れられない.本当の自分は満たされた存在で,何も欠けていない,そのため外の世界に頼る必要がないという真実の知識がたった一つのゴールなのであり,モークシャに導いてくれる.

バガヴァット・ギーター:神の化身であるクリシュナがダルマに生きる戦士アルジュナを通して,真実の教えをとく物語.

ヴェルナ(色)ヴャヴァスター(グループ分け):カースト:社会的な構造
ヴェーダには人の役割を4つのグループに分けている.
1,ブラーンナマ(バラモン):ヴェーダを守り伝承していく
2,クシャットリア:戦士や政治家,くにの安定を守る人
3,ヴァイシャ:経済基盤を作る商人
4,シュードラ:3つを支える,それ以外のことをやる人,肉体労働など

仕事に良い悪いはない,仕事を与えられたのには意味がある.何かをする事で,必ず誰かの役に立っている.

アーシュラマ(人生)ヴャヴァスター:人生のステージ
これも4つに分けている.
1,ブラフマチャリア アーシュラマ
学生として学ぶ時期:住み込み12年,儀式化された生活,調和,人生の意味,祈り
2,グラハスタ アーシュラマ
家族をつくり社会に貢献,お金を稼いで,他のステージの人を養っている.
3,バーナプラスタ アーシュラマ
社会生活を少しずつ減らして隠居する時期   これ,まさに私が今やろうとしていること,今このステージに入りつつある.
4,サンニャーサ アーシュラマ
出家して自己の探求をする時期  ガンジス川のほとりで,生活し,何も所有しない.着替えと食事用のお皿のみで,こじきのような生活であるが,最も尊敬されている.真実を人々に伝える.ヨーガを教える.

本日の午前中の授業はこんな感じでした.難しかったけど,ヨガが少し理解できた.アーサナ(ポーズ)だけではないことは知っていたけど,アーサナはヨガの中の本の一部のパートであり,あくまでも手段なんだということが分かった.


ヨガの学校に入学

2018-12-15 09:28:41 | ヨガ
本日,入学式

ヨガや瞑想に出会って,習慣としてやるようになって,2年以上が過ぎまして,ここはひとつしっかりと勉強しておきたいなという想い,そして,都心部に住んで通いやすいうちに勉強しときたいという想い,などなど,色々あって,ヨガを習いたいなーと,かねてから思ってましたが,いろいろ探しているうちにどうせなら資格が取れるぐらい,いつかどこかで誰かに伝えられるぐらいになれたらということで,学校に入学した.
いわゆる200時間というやつです,単位制なのでいけるときに自分で予約していくみたいな,1講義が2時間なので,単純に100講義ぐらいあるのかな.
期限は1年半,平日仕事しながら,週末も学会やら子どもと出かけたりもあるので,土日のいけるところでとなりますが,しばらく登山やスキーなどの山遊びは控えめにして,一年半いっぱいいっぱいかかるかもしれませんがね.
やはり,ただポーズを取るだけのヨガでなく,本当の意味をしりたいかなと.
これまで2年以上やってきて,いろいろと変わったのには気が付いている.自分の捕らえ方が変わって,それで周りの人が変わって,体調も良くなってきたし,肩こりなどはほぼ無くなった.全く痩せないけど,それはまた別の話.ポーズだけでは痩せない,ヨガの生き方をしないとね.

良いことばかりで,悪いことはないのであるが,なぜなのか,漠然とは知っているけど,もっと歴史とか哲学含め,全て勉強してみたくなった.というわけである.