はるみのちょっとTea-time

日々の暮らしのなかで感じたこと、市民運動のことなどわたしのことばで、つづります。

鼓童 うぶすな

2009-09-11 | 映画・音楽・演劇・絵画など芸術関連

2009年9月9日(金曜日)
午後6時半開場にあわせ、市民文化センターへ着いてみれば
センターの前にはすでにおおぜいの市民が開場を
いまかいまかと待っていた。

今日は「鼓童 うぶすな」の公演。

今回の公演は、文化センター1階が全席指定、2階が自由席である。

わたしはチケットを取るのが遅かったので自由席・・・
800席の指定席がすべて埋まり、自由席もかなり埋まっている。

一緒に見る約束をしたみっちゃんの姿はまだ見当たらない。
みっちゃんの席も確保して、待つことしばし・・・
おっ、ようやくみっちゃん登場。

おしゃべりしているまに、開演を知らせるアナウンスが入り
会場がシーンと静まりかえる。

紗幕にさえぎられた舞台のむこうは、
あの世なのか、はたまた神の住む世界なのか・・・

観客はみるまに、紗幕の結界を超えて
舞台の世界へと誘い込まれてしまう。

2階席の高いところからだとまるで天上から眺めているような
錯覚に陥る。
そう、わたしは雲のまにまから下界の民が奉納する舞を
眺めている神さまになった気分だ。

ライトがつくりだす四角い舞台で祈り舞う翁に千歳・・・
民の平安と繁栄を祈願する土着の猿楽から生まれた三番叟は
能や狂言、歌舞伎でもおなじみである。
鼓童の三番叟は今までみたどれとも違い、
どれにもあてはまらないのだ。
既存の枠を超えエネルギッシュで躍動感にあふれていながら
神事としての近づきがたい一面を感じさせる。

動から静へ・・・舞台は一変して、
編みがさを深くかぶった踊り手がひとり、哀調をおびた調べにのって
薄暗い闇の中を舞いすすむ。
フワフワと魂が闇の中に漂っているようでもあり、
誘われてわたしの魂までもがフワフワと踊り手の後を
追いかけて行ってるような気持ちにさせられる。

鼓童のおりなす舞台は、静と動、光と影の絶妙な
バランスでもって構成されている。

地の底から大地を揺るがす地響きのような太鼓が
打ち鳴らされ始めるとゾクッと全身に電流が走り、
わたしの心臓はドクン・ドクンと鼓動を早める。

哀切を帯びた笛の音と唄は太鼓で高鳴った心を
静めてくれる。

まさに鼓童は鼓動なり。

クライマックスでは800人を超える観客が
太鼓や笛に合わせ手拍子を打ち、まさに舞台とひとつになった。
この世の憂さも、つらい病のことも、いやなことを
すべて忘れて、太鼓に合わせ、ただただ手をたたき続けた。

こういうのを感動の嵐につつまれた・・・というのだろう。
舞台はやはり、生で観て聴いてこそだ。

舞台が終わったあとも、わたしの胸の鼓動は、はずみっぱなしだ。

*演目
鼓童三番
西馬音内
いぶき
けんぱい
三宅
貝殻節
花八丈
愛しきものへ
地母神の舞
オロロピンネー
大太鼓
みのりうた

コメント
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