私の好きな時間

大好きなお花達と手仕事と日々の暮らしの記録です

亡き叔父を忍んだ日(画像無し)

2019年11月27日 | 日記

忙しい毎日というか、

家に居られる日がなく、

ブログも放置状態。。。

 

11月も終わっちゃうね。

 

昨日は冷たい雨の中、「小金宿」のガイドでした。

 

6月頃だったか?

担当の先輩さんからガイドのお誘いを受け、

貴重なガイドなので快く受けました。

 

その日が昨日だったのです。

 

お客様は、

私の叔父が住んでいた地域の方々と知り、

もし、時間があったらお聞きしてみようかな?と思っていました。

 

叔父は建設業を経営していて、

私が幼かった頃から車はベンツを乗っていました。

 

お金持ちっていうイメージが強かったのですが、

とても優しい叔父でした。

 

周りの友達が着ていないような洋服も買ってくれて、

今でも記憶にあるのが、

エンジ色のジャンパースカートです。

 

トランプのアップリケがしてあって、

クルクル~って回るとお皿のようになって。。。

 

私のお気に入りでした。

 

そのジャンパースカートが小さくなって着られなくなった後、

母が木琴入れに作り変えてくれたんです。

 

ジャンパースカートのファスナーを付けて、

紐を付けてバッグみたいに持ち歩けるように。

 

あの当時、木琴は風呂敷に包んで持って学校に行っていました。

 

ジャンパースカートで作った木琴入れを見た先生が、

「まぁ~可愛いわねぇ~!」って歓声を上げた日の事、

今でもはっきり覚えています。

 

叔父の家は家から車でどのくらい離れていたのかな?

 

父の車で何回か連れて行ってもらったことがありますが、

小さかった頃なので距離も覚えてません。

 

大きな家で、

父が「ホテルみたいだろ?」って言ってました。

 

小さな私は「ホテル」も知らなかった。

 

そんな叔父が亡くなったのは、突然の事でした。

ゴルフをしていて、倒れて。。。

 

母からの知らせで、もの凄く悲しかった。

あれから、既に、35年は過ぎてるかなぁ???

 

 

昨日、

思い切って、

聞いてみました。

 

「あの土地の人で、知らない人はいないよ!

そぉ?叔父さんだったの?」

「あの人は(叔父)は○○の出身だよね。」と、

母達の実家のことまで知ってていてくれたのには

本当に驚きました。

 

 

なんだかすごく嬉しくて、

そして、

元気だった頃の叔父の顔が浮かんで、

母にこのことを話したくて。。。

 

今朝、母に電話をしながら、

二人で泣きながら思い出話に花が咲きました。

 

母の言葉

「としちゃん(叔父)も昨日、今日は世に戻れたね。」

 

小さい頃、可愛がってもらった記憶って、

こんな年寄りになっても忘れられないものなんですね。

大切にしたい私の幼きに日の叔父に会えた一日でした。

 

コメント (4)
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