「シャ・ノワール」時代の音楽家たちのエピソード
~エリック・サティを中心に~
~エリック・サティを中心に~
エリック・サティの写真と自画像
シャ・ノワールに魅せられ、活躍した音楽家の中でもとりわけ異色の存在だったのがエリック・サティです。
サティは父親の影響もあり、21歳の頃からシャ・ノワールのピアニストとして活躍していました。影絵芝居「星への歩み」が上演された際にはハルモニウム(オルガンの一種)の演奏を担当しています。
店主のロドリフ・サリフと物別れをした後、シャ・ノワールとは距離を置くことになりますが、アンリ・リヴィエール作の影絵芝居をはじめ、シャ・ノワールに集まる芸術家の「支離滅裂」「サロン趣味」な雰囲気はサティの音楽の下地となり、音楽界の異端児と目される一方で、誰もが口ずさめるシャンソンの名曲をも生み出しました。
このような、当時のカフェ文化に触発されたサティの音楽を世に送り出したのがドビュッシーとラヴェルです。
右:クロード・ドビュッシー
左:モーリス・ラヴェル
とりわけドビュッシーは、一時期サティの音楽に助言を与える程親しい間柄であり、同時に「シャ・ノワール」の影絵芝居音楽主任を務めたシャンソン作曲家、シャルル・ド・シヴリーとも奇妙な縁で結ばれていました。
というのも、シヴリーがパリ・コミューンで投獄された際、同じく投獄中の身であったドビュッシーの父親と出会ったことをきっかけに、ドビュッシーはシヴリーの母親にピアノを習い、パリ音楽院に合格することが出来たのです。
新世紀への期待と普仏戦争における敗北、さらにはパリ・コミューンの興奮が冷めやらぬ中、カフェ=コンセールに集った芸術家自身も、既存のスタイルからの脱却にいくらかの懐古的気分を持て余していたことでしょう。
そんな中、辛辣な風刺やユーモアとともに新しいスタイルを打ち立てる芸術家は常に称賛と批判の的であり、共鳴し合う何かを見出したときの喜びもひとしおだったのではないかと思われます。
上の作品は当時話題のカフェ=コンセールを描いたもの(画像をクリックすると拡大します)。
彼らの住居のすぐ側でこのような享楽の時間が流れていたと思うと、時代の変わり目に果たした大衆芸術の影響力の大きさが偲ばれます。
尾道市立美術館
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