鍛冶屋の槌の音は暫しも休まず心に響き、何かを作っている感じがする。これは恐らく、鍛冶屋の仕事の知識があるからというよりは、自然にはない規則性や動きから何か仕事がされているのを人間が感得するからだろう。勿論、間欠泉とか自然にも規則正しい音はあるが、序破急があって構成的な形を感じさせるものはない様に思う。
なぜこんな事を書いたかというと、駅前開発で左隣で家を壊し右隣で家を建てているからだ。タオル一枚と丁寧なご挨拶で、騒音を受け入れたのだが、心音や肺の呼吸音が聞こえにくくて困る。月に一回の患者さんは喧しいですねという感想で済むが、毎日の身になってみて下されと愚痴の一つも言いたくなる。壊す方は三週間もすれば片付くと思うが、建てる方は三ヶ月以上掛かるらしい。
壊している方からは不協和音というか出鱈目なグワーゴージャーと言った音が聞こえ、建てている方からはトントントン、カンカン、ザッザッザ・・。とという規則的で、強弱があっても順序立てた音が聞こえてくる。聞こえてくる方向は反射があって以外にどちらからの音とはっきりしないのだが、音の内容からどちらからの音か想像が付き、確かめてみて間違っていることは殆どない。
自然の流れに逆らって仕事を注入してエントロピーを高める作業は生物特有?のものらしく、それが生存に繋がるせいか、我々はそうした作業から発する音に親和性を持っているようだ。
勿論、悪魔は必ず暗躍して、我々に破壊する喜びも教えたので、せっかく苦心して作り上げた砂浜の城を踏みつぶして逃げる悪が居る。残念ながらそれは男の専売特許と言うわけではなく、破壊の音を好む美女も居るようだからおっかない。
スカイツリーの印象は美しいだが、その背後によくこんなものを作り上げたなという感慨も隠れているだろう。