携帯カメラは便利というか鏡代わりに使えというのか手前を写すことができる。人間の目にはそんな便利な機能はなく脳の中を写すことは出来ない。外界が見えるだけだ。そうした機能も関与するのか人間は他者のことはよく観察できても自分のことはよく見えない。
広い視野と寛容を心がけているつもりなので、かなり出来ているつもりになっているが、旅に出るとまだまだということに気付かされる。
異国にあっては異邦人なので、時々レストランやホテル、あるいはぶしつけな通りすがりに「お前は**人か?」と聞かれる。多和田葉子さんは東南アジア人に間違われることがあるようだが、私は経験がないように記憶する。大体二回に一回は中国人かと聞かれる、日本人かと聞かれるのが三回に一回くらい。七、八回に一回が韓国人だ。希に間違いようのないはずの欧米人かと聞かれることもある。勿論、国籍ではそういうこともありうる訳だが。
中国人かと聞かれると違うと答えるものの、数が多いからそう思うんだろうぐらいでさほど嫌な気はしない。日本人かと聞かれた時は当然と胸を張ってそうだと答える。気のせいかそうかそれは良かったというか成る程といった反応が多い。これが韓国人かと聞かれると違うという声に力が入り、とんでもないという気持ちがしてしまう。どうも日頃の言動と違う自分の反応は遺憾だが、私の心の奥にはそうした感覚が潜んでいるようだ。
私の経験ではジャパニーズ、ジャポネ・・の評判は概ね良好のようで有り難いと感じてきた。そうした評価を落とすことのないように旅を続けたい。