昨日に引き続いて今日も快晴である。この頃は雨よりも圧倒的に晴れが好きになった。若い時にはアスファルトに降る雨を好ましく思ったこともあったが、四月の鬱陶しい長雨に懲りて今や雨はもういいという心持ちだ。
五月は新芽新緑の候で、置いてきぼりにされる感覚からか憂鬱になる人も多いのだが、私は平凡に新緑と青い空から生命力を貰えるような気がして、五月晴れが好きだ。萌出る街路樹の新緑にあれこれが我が町だっただろうかと目を見張っている。
心境というものは変わってゆく。勿論、心底はさほど変わらないのだが、見極め見定めが付く年頃になると孫子のためという気持ちが薄れてきた。かけがえのない者達への気持ちには変わりがないが、美田や自由で明るい明日を残してやろうという気持ちは薄らいだ。わかりやすく言えばそんなことはお節介なのではないかと、明日は明日生きている者が開拓してゆけば良い。じいじはじいじの人生を生きてゆこうと思うようになった。参考文献になれれば御の字本望だ。
畢竟、楽しく自由闊達に生きることが宜しいと思う。誰もがそうして生きることのできる世の中が望ましい。残る時間をそうして生きられるように自分のために何某かを為せればと考えた。果たしてこれは五月晴れの効用だろうか?。