週刊誌の見出しを見ていると六十年前、子供心に理解していた世界もこんな風だったんだろうかという疑問が浮かんでくる。比較的正確に思い出せる三十年前と比べても随分違ってきているような気がする。
健気などという価値や感覚は消えてきている。賢明であることよりも狡賢いことの方が偉いというか、道理が通らなくても言い逃れ言い負けなければ、それでいいのだという風潮が浮き上がって来ているような気がする。
勿論、地道で真っ当な人がたくさん居て、居るからこそ世の中が回っているのだろうと思うが、溢れる浅薄劣等なゴミ情報にこれで良いのだろうかと首を傾げてしまう。恵まれた?人をけなしたり叩いて溜飲を下げたい人が増えているらしい?、一方では批判禁忌の有名人も居て何だか丁重に扱われている。
物事をじっくり考え評価し、好悪でない基準を持つ力量習慣が失われつつあると感じる。
文科大臣に地方の隅々にまで文庫本の溢れる本屋を置くことを提案したい。郵政大臣にテレビ局を減らことを提案したい。二十四時間テレビはニュース局のみにして、娯楽教養テレビは一日十二時間放送で十分と思う。
斉藤十一が生きていたら、現状を見て方針を変えるのではないか。