中沢新一の「日本の大転換」を読んだ。生身の人間が生きてゆけるのは地表たかだか数キロメートルの薄い生態圏に限られているのに、それと隔絶した領域の核分裂を直に持ち込む思想は一神教に由来するという指摘には成る程と思った(牽強附会に思える部分もある)。
しかし、成る程と思ってもそこからこれは拙いぞと多神教の世界に回帰しようというのは、(人間は一度覚えた便利から不便には戻らないから)、至難の業に思える。尤も、中沢氏は戻るのでなく革命的に転換すると主張されているのだが、やがて百億人に達しようとする人類を支える快適な太陽エネルギー利用法がおいそれと実用化されるとも思えず、贈与交換感覚を呼び戻すのも理論と説得という方法では難しいだろう。社会の前線で働く市井の医者である私は、大多数の人は中沢新一氏の理論と説明を理解しないことを知っている。理解する人は二百人に一人くらいのものだろう。多くても百人に一人だろう。そして、理解した人でも理解によって、行動が変わることは殆どなさそうだ。
つまり、平均的な人間の行動を抽象的な理論で変えることは難しく、平成の救世主として現れ、橋下を凌ぐオーラを発揮して漸く僅かに国が動く程度だろう。
実際には、僅かな例外はあるとしても、変わらざるを得なくて(生存基盤を脅かされて)血を流して転換してきたのが人類の歴史だと思う。その点日本人は天才的?で、少ない流血によって明治維新という大変換を成し遂げた。そうした経験?を踏まえて、一神教のもたらした科学は自家薬籠中のものにしたが一神教には縁遠い日本社会なら大転換ができると中沢さんは見通しているのだろうか。
私も中沢さんの目指す方向は正しいように思うが、現実は切羽詰まって自覚症状が出てから漸く動き出すのが常で、破綻に間に合うかどうか危ういと懸念している。それは沖縄の痛みへの対応を見ればわかる。
勿論、現場の現実になぎ倒されてばかりでは、医者の名が廃る。僅か一フェムトでも世の中を動かしてやろうという気持ちは持ち続けている。