寿限無という落語がある 生まれた子にめでたい名前を付けたいと考えた父親が和尚さんの所に行って縁起の良い言葉をたくさん教わり、欲張って其れを全部付けてしまい、長すぎて呼ぶ時に困ってしまったというお話である。
寿限無、寿限無
五劫の擦り切れ
海砂利水魚の
水行末 雲来末 風来末
食う寝る処に住む処
やぶら小路の藪柑子
パイポパイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の長助
いちいちこんな長い名前を全部呼んでいたら、時間が掛かりまともな話ができない。当然、略称通称で寿限無とか長助と呼ばれていたに違いない。まあ、落語だから、略さず全部呼んで話を馬鹿馬鹿しく滑稽にしている。
この話から、重要なことを指摘したい。それは長すぎる名前なので寿限無ちゃんとか長助と呼ぶのは良いとして、寿限無と長助の間にある長い本名を忘れるようなことがあってはならんということだ。
政治記者や政治評論家が、擦り切れたレッテルをいつまでも使用している。レッテルは便利だが、便利をよいことに中身の点検想起を忘れている。小沢派とか菅おろしとか、内容を示さないで乱雑に謂わば通称を連発し実態にそぐわないイメージを垂れ流すのを止めないと、国民が誤った方向へ誘導される。政治記者や政治評論家は別枠や注釈で自分が張ったレッテルの中身を明らかにする責任がある。
政治的な主張や政策は決して一言では言えない。キャッチフレーズを使うのは、内容をそのまま述べれば寿下無になり、時間が掛かってわかりにくくなるからで、その内容は理解されているという前提で使われている。であれば内容を理解していない人にわかりやすく何度でも内容を提示するのは記者や評論家の重要な仕事であり責務のはずだ。
若い政治記者や若い政治評論家は先輩と慣習を疑うことだ。例えば小沢派という言葉を使わない報道に挑戦してほしい。