先日、武士泊に行ってきたが、その北側5.2kmにある大荒川河口にも言ってみたくなった。
以前、焼山から焼山崎まで歩いたことがあるが、これは尾根歩きだ。
今度は沢歩きとなる。
何か情報がないかと、あれこれ探していたのだが、なかなか見つからない。
ところが、偶然に見つけてしまった。
江戸時代の紀行家(でいいのか)、菅江真澄が下北に滞在していた時に書いた日記(?)、「奥の浦々」に記述が見られる。
「寛政5年(1793)4月27日
近いうちに松前渡るという友人・珠阿上人に別れを告げ、小舟で牛滝を出た。
大つなさかり、小つなさかりという磯を漕いで行くと小荒川、大荒川があった。
大荒川で舟を降り、山深く荒い山川を遡った。
ヒバや胡鬼子が生い茂り、谷川は勢いよく流れている。
坂を登ると津軽半島などが見渡され眺めがよかった。
小笹の道を行くと牛が野飼いされていた。
山から下る川にしたがって進んでもいっこうに里がないので踏み迷ったと心細くなったが、おおやまずみの神の社が現れ、幣とって拝んだ。
はるばるたどると源藤次郎に着いた。家が7,8軒、山子を業とし、そぎ板ばかりをつくり、女は畑を耕したり、布を織っている。
片貝滝山・・・フキを裂き、それに米ぬかをふりかけて日に干している老婆がいた。
老婆は「山里は、鹿、猿があばれて、農作物を食べてしまうので、このような草も食物の増量として生活しているが、時には食物がつき、飢えることがある」と嘆くのを聞き 涙が落ちた。
暗くなって、脇野沢に着いた。」
佐井の牛滝から小舟で南下し、大荒川の河口に降り立つ。
大荒川を上流に遡行する。
ヒバや胡鬼子(ツクバネ)が生い茂り流れは勢いがあった。
これだけである。
「山深く荒い山川」が少し気になるが、大きな滝の記述はない。
あまり寒くならないうちに行ってみたい。
(大荒川沿いには点線道路が記されているが、焼山や湯の沢岳へ行った時の感じではまず残っていないだろう--時間があったら縫道沢にも寄りたい)
今から220年前。
牛滝から脇野沢は、1日工程だったのですねェ~。
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