日曜日の朝。
お勉強と瞑想タイム後、お庭へ。
一日どんよりして、一時小雨。
柊
今日の果物
昨週に続いて、今週も9時からの御ミサに行きました。
今週も神父様が御ミサの中で父母の為に祈って下さいました。
先週いらしていなかった方よりお悔やみの言葉を頂きました。
そして「やり遂げたね。これからは自由に思いっきり生きてね」
今日の御ミサは昨夜、国際ミサがあったようで、そのまま泊まられたのかベトナム人が16人、日本人が9人。
(日本人はいつも大体10人くらいだそうです。少なくなりました。しかも高齢化。もしかして私が一番若い )
ベトナムの人は以前にも書きましたが、尊敬の印に腕を組まれます。
ですから、御ミサ中大抵そのスタイルです。
朗読も聖歌も日本語とベトナム語と半々。
ベトナムの方達は聖歌を歌う時、全員、スマホを見ながら歌われます。
若い人達なので進んでいる
他にも以前はイタリア人、フィリッピン人、バングラデシュ人の方がいましたが、今はスリランカの人が数人
神父様は日本語とベトナム語と英語で説教されていましたが、ベトナム以外外国籍の方が他にいない時には英語はなし。
ミサの式次第も3か国語を取り寄せているようです。
私はここのところミサには与っていませんでしたので、浦島太郎状態です。
いろいろなことが変わっています。
御ミサ後、教会のお手伝いをして、自転車でご近所をぷらぷらして帰りました。
日曜日の午前中のこの過ごし方、まったりしていいかもしれないと思いました。
我が家のお花
今日は年間第33主日のミサの式次第
今年の待降節は12月1日から始まります。
このミサの式次第を読んでいると、シングルマザー向けのシェアハウスについて書かれてありました。
それ、いいかもしれないと思いました。
今までルームシェアの話の他に家族に半分貸すなどの話はありましたが、この記事によりますとシングルマザーは日本に120万居て、その半数が相対的貧困状態にあるので、収入証明書を求められず、初期費用や家賃が安価で生活用品がほとんど揃っているシェアハウスがプライバシーには若干欠けてもいいそうです。
それよりも孤立を避けることの方が優先され、シェアハウスは支持されているとか。
家で子供の面倒やお食事作りなら私もお手伝い出来そう。
(でも、その前に旅したい)
あるいはこの家を丸ごと貸すか、1~2部屋のみ私の為に残しておいてもらうか。
我が家の駐車場は2台までが安全ですが、その他の車は教会に置かせてもらえます。
何かに開放してほしい、そしてワンコインで簡単なお食事が出来たら最高とケアマネさんやヘルパーさん方にも言われてきましたし、神父様にもベトナム人の住まいのことで頼まれていますので、何かは考えています。
牛窓でお世話になっている建築士さんがずっとこの件に関わって下さっていて、今週、その件で会うことになっています。
教会から帰るとダンスの先生からお電話がありました。
何度もラインやお電話が入っていたのにマナーモードにしていましたので気が付きませんでした。
母の心配が無くなったら不携帯が多くもなりました。
ダンスの先生は時間が出来たのでランチでもと思われたようでしたが、日を改めることにして電話でそのままおしゃべりをしました。
お葬式にも来て下さいましたので、お話はまずは母のこと。
「あなたも最後までやり通し、お母様も最期まで本当によく頑張られたわ」
昨日に続き、今日も1時間位おしゃべり。
「もう、お話が尽きないわ」と先生
その後は片付け続行。
そして、又、夕刻、自転車に乗ってご近所の引退されたドクター宅へ。
母が亡くなった日の夕方、ヘルパーさんが居て下さっている間に伺っていましたのでお礼に伺いました。
ドクターも「あの日だったんだね」と町内なので訃報が入りすべてご存じでした。
「先生、その時はとても静かに訪れました。私は心が麻痺していたのかどうかわかりませんが、何故か落ち着いていて看護師さんやドクターが来て下さるまで母のそばに座って泣きながら話して過ごしました。」
三笠宮妃百合子様がお亡くなりになられましたが、やはり、「老衰」で多臓器不全とニュースでは伝えられていました。
危篤になられて亡くなるまで何日かおありでした。
母の場合も臓器が(腎臓が弱っているのは知っていましたが)機能しなくなってきていると言われても、母の年代は身体が丈夫に出来ていると思ってきましたし、実感がありませんでした。
でも、亡くなる前々日から血便が出て、その時初めて、「あ~、母の身体はもう限界なんだ」と思いました。
「老衰」と言えば枯れていくのと同じで苦しくはないと言われましたが、ずっと母を看て来て、「苦しくないことはない」と思ってきました。
痛みでのたうち回るような苦しみではありませんでしたが(そんな力はもうない)、かなりの倦怠感というかしんどさはそれこそ死ぬほどだったのだと思います。
最期まで意識がはっきりとしていましたので、「死への恐怖」もあったかもしれません。
最後の吸引がやはりあまりに苦しくて、きっかけとなったのではないかと思います。
いつもそのあとははぁはぁとしんどそうで、段々とぐったりとしてきていましたので、力尽きたのではないかと。
「それでもしないといけないですか」と看護師さんに伺うと「窒息が怖いから」と言われました。
最後はもう痰もあまり溜まらなくなってきてはいましたが、痰が乾燥したり、多少奥の方で絡まっていました。
ですから、三笠宮妃百合子様も意識がおありだったのかどうかわかりませんが、長かったのでお辛かったのではないかと思いました。
もちろん辛い場合はいろいろな方法がありますから、そうではなかったかもしれません。
ところで、今朝、一番に思ったこと。
そう言えば母は「お母さんを頼むよ」と子供の遺言に一言も書いていなかったことを思い出しました。
皆で、開けて読んだのです。
私のは後で要約を伝えただけですが、息子がお姉ちゃんに自分の内容を話したものですから、娘が自分のも読んでと言い出しました。
(前のブログで書きましたが、遺言書&湯灌・納棺式
遺言書は私に3通、娘に2通、息子に2通ありました。
以前は母はよほど私のことが心配だったのか、よく子供達に言っていましたっけ。
でも、やはり昨日北海道の友人が言ったように「大丈夫」と思ったのかな。
それとも、子供達がここへ将来帰って来ることはないですし、私も子供達のところへ行くつもりがありませんので、そういうことがわかったのかどうなのか不明ですが・・・。
今朝、そんなことをふと思い出しました。
早いもので母が逝って15日が過ぎました。
明日はお天気が良ければ、友人と見頃を迎えた県北の紅葉を見に行く予定にしていましたが、県南は晴れても県北は午後から雨の予報ですので断念しました。
又、今週中のどこかで調整して行けたらと思っています。
★致知一日一言 【今日の言葉】2024.1117
光
体の中に 光を持とう
どんなことが起こっても
どんな苦しみのなかにあっても
光を消さないでゆこう
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坂村真民(仏教詩人)
○『生き方のセオリー』【致知出版社刊】より
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○坂村真民さんからのメッセージ○
わたしは最近「千年のまなざし」とか、
「宇宙のまなざし」とかの詩を書き続けているが、
それはこの地球を救うには、
これより外にないと思うからである。
陽明学では『致知』とは、
本然の良知を明らかにすることを言う。
でも地球の歴史は、戦争ばかりを続けてきた。
そして原子爆弾まで造り出された。
つまり和を好まぬ男たちが、
この母なる星地球を、
どん底に落としてしまったのである。
でもやっと和を好む女たちの世が、
21世紀から始まろうとしている。
わたしは書斎に、木花開耶媛を祭っているが、
この媛を富士山頂にお祭りした、
大和民族の夢と、願いと、祈りが、
世界に広がりゆくのを、
どうか『致知』も、応援して頂き度いのである。
★[ECCJ] 今日(11月17日)の珠玉のリーディング
エドガー・ケイシー
心は作り手です。あなたが思い続けることで、あなたが培うことで、あなたは日々に果実をみのらせるのです。
For as Mind is the Builder, that ye dwell upon, that ye cultivate, THAT is the manner of fruit ye bear in thy daily life.
(1472-6)