今日6月30日は、うるま市(当時は石川市)の宮森小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落し、生徒11人、一般住民6人の命を奪い、210人に重軽傷を負わせた事故から50年の節目の日であった。宮森小学校では学校関係者や遺族、事故の被害者らが参加して追悼式が持たれた。
沖縄の新聞は、6月23日の慰霊の日が終わったあと、沖縄戦に関する連載に続くかのように、宮森小学校の事故に関する連載を行っていた。遺族や被害 . . . 本文を読む
写真はバンザイクリフを訪れた墓参団の人たち。
三ヶ野大典『悲劇のサイパン』には、当時十一歳だった大渕ふくみさんという女性の証言が載っている。
〈私の父母は南洋興発の社員として昭和七年、サイパン島に渡りました。しばらく一家五人の平和な生活が続きましたが、昭和十九年六月からは悪夢のような逃避行でした。
サイパン島は絶対に大丈夫といわれていましたが、米軍上陸後は逃げるのに精いっぱいで、六月の終 . . . 本文を読む