海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

旧日本海軍の弾薬庫跡

2009-06-21 19:10:59 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 順序が逆になってしまったが、植物園の前にサイパン国際空港そばの旧日本軍の弾薬庫を見学した。
 サイパン国際空港は、かつて旧日本海軍アスリート飛行場があった場所に造られている。空港の敷地内や周辺には旧日本軍の掩体や弾薬庫、発電所などが残っていた。写真は弾薬庫の正面で、まわりは土で覆われている。入口の所にミツバチが飛び回っていたが、中に入ると厚いコンクリートで囲まれた奥に造花の花束が置かれていた。
 米軍がサイパン島やテニアン島を攻略した目的は、日本本土を爆撃するためにB29の発進基地を確保することにあった。サイパン島、テニアン島が陥落し、絶対国防圏が破られることによって、日本はこれ以降、東京や大阪をはじめ各都市がB29の空襲にさらされることになる。
 そういう意味で、アスリート飛行場の防衛は日本軍にとって最重要課題だったはずだが、米軍は容易に攻め落としている。大本営は米軍の上陸目標をパラオ方面と分析していて、サイパン島上陸への対処は不十分なまま、米軍の上陸を許してしまったのだ。中日新聞社会部編『烈日サイパン島』(東京新聞出版局)によれば、1944年6月11日の空襲でアスリート空港に駐機していた飛行機が9機炎上し、空港防衛用の高射砲24門の約半数が使用不能となるのだが、それでも現地司令部はまだサイパンへの上陸はないだろうと考えていた。
 しかし、米軍の空襲は翌日以降も続き、15日には上陸が始まる。その時点では空港防衛用の高射砲はすべて使用不能となり、海軍の警備隊もタッポーチョ山方面へ後退していた。6月18日午前10時にアスリート飛行場は米軍の手に落ちる。米軍は破壊された滑走路の補修、拡張工事に着手し、以後B29の発進基地になっていくのである。
 弾薬庫に向かう途中、かつてのB29の駐機場の跡をバスで通ったのだが、現地語でタガンタガンと呼ばれているギンネムの林に覆われていた。コンクリートの割れ目からも発芽し、米軍の滑走路跡を覆っていくギンネム林の風景は、沖縄でも見馴れたものだ。64・5年前は連日B29の爆音が鳴り響いていた場所だが、今はその様子を想像するのも難しい。
 ちなみにアスリートはチャモロ語の地名である。

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