小宮山新監督の関連記事で懐かしい名前に出会いました。
大沢明さん(熊谷西。投手)です。
早稲田が法政から13季ぶりに勝ち点を取った1989年の春。
平成の始まった あの頃、世はバブル景気が走りだし、銀行業務は多忙を極めていました。
私は 銀行の従業員組合で非専従中央執行委員もやっていたので、土日返上で働かないと 首が回らない状況でした。
なかなか神宮球場には 行けない時期だったので、もっぱら新聞で早稲田の試合結果をチェックしていました。
大沢投手の投球を実際に観た記憶はありません。
それでも、大沢投手の好投で 久しぶりに早稲田が法政から勝ち点を取ったというニュースは、鮮やかに記憶に残っています。
大沢投手のような一般入試組でプロ野球にも縁のなかった選手が、卒業後 何年も経ってからメディアに登場することは滅多にありません。
その一方、六大学野球連盟の運営を支えているのは、在学中にマネージャーや控え選手だった方々ばかり。
また、プロ入りした選手が学生時代を語る時、同世代のスター選手を列挙することが多いですね。
今回のような形で、過去の地味な努力型選手にスポットライトがあたることは とても良いことですね。
さすが小宮山さん、一味違います。
この記事を書いたベースボールマガジン社の岡本朋祐さん(法政二高ー法政大学)は、在学中には野球部でマネージャー。
彼の温かい目線もまた、一味違います。
ちなみに彼の奥さまはワセジョ(松本深志ー早大)で、早スポOGです。
======
田中総長の記事です。
こんな記事もありました。
学業で何の成果もなく卒業した私の場合、母校への愛着の基礎は 早稲田スポーツ100%
でも、もし来春に早稲田に入学する18歳の若者に戻れるならば、田中総長の方針に従って在学中に留学しようと少しは努力するかも。
大学周辺から雀荘がなくなりましたし。
(^^;
大沢明さん(熊谷西。投手)です。
「本気になった人間は何でもできる」。早大・小宮山次期監督の大学時代の同僚が示した成功体験 - 野球:週刊ベースボールONLINE
早稲田が法政から13季ぶりに勝ち点を取った1989年の春。
平成の始まった あの頃、世はバブル景気が走りだし、銀行業務は多忙を極めていました。
私は 銀行の従業員組合で非専従中央執行委員もやっていたので、土日返上で働かないと 首が回らない状況でした。
なかなか神宮球場には 行けない時期だったので、もっぱら新聞で早稲田の試合結果をチェックしていました。
大沢投手の投球を実際に観た記憶はありません。
それでも、大沢投手の好投で 久しぶりに早稲田が法政から勝ち点を取ったというニュースは、鮮やかに記憶に残っています。
大沢投手のような一般入試組でプロ野球にも縁のなかった選手が、卒業後 何年も経ってからメディアに登場することは滅多にありません。
その一方、六大学野球連盟の運営を支えているのは、在学中にマネージャーや控え選手だった方々ばかり。
また、プロ入りした選手が学生時代を語る時、同世代のスター選手を列挙することが多いですね。
今回のような形で、過去の地味な努力型選手にスポットライトがあたることは とても良いことですね。
さすが小宮山さん、一味違います。
この記事を書いたベースボールマガジン社の岡本朋祐さん(法政二高ー法政大学)は、在学中には野球部でマネージャー。
彼の温かい目線もまた、一味違います。
ちなみに彼の奥さまはワセジョ(松本深志ー早大)で、早スポOGです。
======
田中総長の記事です。
世界のトップに…新総長「私は早稲田をこう変える」 : 深読みチャンネル : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 1/5
こんな記事もありました。
卒業生による母校への愛着度が高い大学、2位「東大」を上回る1位は? | リセマム
学業で何の成果もなく卒業した私の場合、母校への愛着の基礎は 早稲田スポーツ100%
でも、もし来春に早稲田に入学する18歳の若者に戻れるならば、田中総長の方針に従って在学中に留学しようと少しは努力するかも。
大学周辺から雀荘がなくなりましたし。
(^^;