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今日から7月。早くも一年の半分が過ぎてしまった。早いなぁ...。
だからという訳ではないが、とっておきの話を一つ...。
祖父のビデオコレクションの中からまた新たなテープを発見した。『アセチ琴』と背表紙に走り書きされたそのVHSテープを再生してみると名瀬の三味線名人・阿世知さんが手作りの竪琴で演奏するシマ唄が何曲も収録されていた。背景から察すると阿世知三味線店の店内のようだ。よいすら節、行きゅんんにゃ加那節など数曲を演奏したあと阿世知さんは徐に話し始めた。昭和30年に神戸に移住した事、まだ17~8歳だったのでシマが恋しくて毎日船着き場へ行き奄美航路を見ていた事、「寂しくなったらこれを唄いなさい」と祖母が黒だんど節の歌詞を教えてくれた事、その唄を岬で唄ったら涙があふれてきて最後まで唄えなかった事、などを訥々と話し始めたのだ。
そして「風邪でちょっと声が悪いのですが」と前置きし、すぐに「風邪でなくても声は悪いのですが」と言い苦笑しながら竪琴で黒だんど節を唄い始めた。
私は味のある阿世知さんの唄声が大好きだ。“悪い声”だなんてとんでもない。
♪鳴きゅん鳥ぐゎ 岬ぬ端なんて 吾きゃシマ向かとて
思じ泣き 阿母と慈父が
【訳】岬の先で自分の故郷に向かって鳥が鳴いている
故郷の両親を思い出して泣いているのだ
ううむ...たまらん。こういったエピソード付きの唄を阿世知さんの声で聞かされたら誰でも涙がこみ上げてくるに違いない。是非是非阿世知さんも唄者として色々な場所で唄ったりCDを出してもらいたいなぁ...。
だからという訳ではないが、とっておきの話を一つ...。
祖父のビデオコレクションの中からまた新たなテープを発見した。『アセチ琴』と背表紙に走り書きされたそのVHSテープを再生してみると名瀬の三味線名人・阿世知さんが手作りの竪琴で演奏するシマ唄が何曲も収録されていた。背景から察すると阿世知三味線店の店内のようだ。よいすら節、行きゅんんにゃ加那節など数曲を演奏したあと阿世知さんは徐に話し始めた。昭和30年に神戸に移住した事、まだ17~8歳だったのでシマが恋しくて毎日船着き場へ行き奄美航路を見ていた事、「寂しくなったらこれを唄いなさい」と祖母が黒だんど節の歌詞を教えてくれた事、その唄を岬で唄ったら涙があふれてきて最後まで唄えなかった事、などを訥々と話し始めたのだ。
そして「風邪でちょっと声が悪いのですが」と前置きし、すぐに「風邪でなくても声は悪いのですが」と言い苦笑しながら竪琴で黒だんど節を唄い始めた。
私は味のある阿世知さんの唄声が大好きだ。“悪い声”だなんてとんでもない。
♪鳴きゅん鳥ぐゎ 岬ぬ端なんて 吾きゃシマ向かとて
思じ泣き 阿母と慈父が
【訳】岬の先で自分の故郷に向かって鳥が鳴いている
故郷の両親を思い出して泣いているのだ
ううむ...たまらん。こういったエピソード付きの唄を阿世知さんの声で聞かされたら誰でも涙がこみ上げてくるに違いない。是非是非阿世知さんも唄者として色々な場所で唄ったりCDを出してもらいたいなぁ...。
まず、民謡大会のバックで三味線を弾く阿世知さんに一目ぼれ。
翌日、阿世知三味線店で「一目ぼれしちゃいました」と告白。
本当に素敵な方です。ほれてしまいました。
そんなわけで思わずコメント。
アツシ兄ィさんの日記読み込みすぎ?私(笑)
阿世知さんのファンになるのもわかります。
そういえばこの話には当時誰からも反応が無かったんだね
それにしてもそのビデオ、大変貴重ですね。
先日お会いしたときには体調が悪いようでしたので心配です。
残念ながら歌声も聴くことができませんでした。
今度お会いするときは、お元気だといいなあ。
三味線の名手にはいつまでも元気でいて頂きたいものです。