リアルの話でアレだが、、、
わたしはとある地方の公立中学校を卒業した。
その中学校は、現在では考えられないほど腐った学校だった。
男子の髪型は坊主強制。
指でつまんで引っぱれる長さ以上は禁止。
その長さに達しているものはまず鉄拳制裁を受け、つぎにバリカンでツルツルになるまで髪を切られる。
女子の髪型はショートカットかおかっぱ強制。
前は眉の位置まで、横と後ろは肩の位置まで、それ以上の長さは禁止。
その長さに達しているものは、女子だからか鉄拳制裁は受けなかったものの、髪形の体裁をなさないほどハサミでムチャクチャにきざみ入れられる。
男女の友好は手をつなぐだけでも不純異性交遊とみなされ絶対禁止。
なんと職員室に呼び出されて制裁を受ける。
バレンタインには荷物検査がある場合がある。
チョコを持っていたものは没収。没収品は教員が職員室で咀嚼する。返却された例は1つとして知らない。
もちろん生徒は未成年だからタバコは禁止だ。
だが、タバコを吸った生徒は職員室でタバコをプカプカすっているヘビースモーカーの教員から、タバコの害を1~2時間にもわたりとつとつと説教される。
もちろん鉄拳制裁ももれなく付属する。
これは化粧品をもってきた女生徒も同じだ。
ヒビが入りそうなほど厚化粧した50代の独身ババア教員から、いかに10代の化粧が良くないかを1~2時間にもわたりとつとつと説教される。
ちなみに中学校の校区では、「男はぶん殴られずに卒業するものはいない」という都市伝説が流布していた。
これはさすがに間違いだが、実際に聞き込みをすると、ぶん殴られずに卒業する男はクラスに1~2名しかいなかった。
おやじにもぶたれた事ない人でもぶん殴られた。
もちろんわたしもパーになるんじゃないかと思うほどぶん殴られた。
日教組の関係上、教員というものは左翼的な傾向に偏っているものだが、この学校はひどすぎた。
たとえば国語の教員は
「機械はいったん間違ったらいつも間違った作業をする」
というように常に科学技術に対して批判的であり、
たとえば社会の教員は
「韓国より北朝鮮のほうが資源豊かなのだから、日本は韓国とは縁を切って北朝鮮と仲良くすべきだ」
といったように常に共産主義国家をもちあげており、
たとえば音楽の教員は
「世の中にはどうにもならないことがあって、それをガマンするのも教育の1つだ」
と間違いを指摘したときにはそう開き直って正そうとはしなかったし、
たとえば理科の教員はプライベートで答えたくない質問をされて黙っていたら
「なんでオレにいえないんだ!」
と言いながら何十発もぶん殴りつづけた。
教員はそろいもそろって生徒を動物でもあつかうかのような目で見ていた。
中学校を卒業したあとでは、実社会でそんな目をした人たちはほとんど見たことがない。
いまでこそ平等教育の弊害が議論されるようになっているが、その当時は全くそうではなく、教員の意図するとおりのなるべく画一的な生徒に育てようとしていた。まさに共産主義そのものである。
ほんのちょっとでも自主性を出そうとするとキ○ガイかのように嫌がられた。
校長が「生徒の個性を伸ばして・・・」なんて言ったときには「キサマのクチとハラは別人かよ・・・」と心底軽蔑したものだ。
ちなみに歴代の校長はそろいもそろって話し好きで、朝礼が始まったら軽く1時間は超えていた。ちなみに最長では3時間。
長くなりましたので手短に話しますと・・・という発言が聞こえたら、ああようやくあと30分で終わる、と安心するような次第だった。
夏場にはきまって何人かぶっ倒れていた。いつも何人かぶっ倒れているのに話を手短にしようとはしなかった。
わたしは未必の故意の傷害罪でブタ箱にぶちこんでほしいと思った。
あるとき、とある説教ついでに担任の教員にこう問われたことがある。
「おまえ、教員になってみる気はないか?」
わたしは即座に答えた。
「いや、絶対におことわりです」
わたしは子供心に
「大人になったらこんな人たちにはなりたくない」
と心に誓ったものだ。
「なんでだ? 先生は大変だと思ったか?」
と理由を問われたが、わたしの意見としては先生は大変だというのは全く反対で、
「人をぶん殴ってイバりちらして給料をもらうなんて、なんていい商売していやがる」
と思っていたのだ。正直に答えたらまたぶん殴るに違いないと思ったので、最後まで答えはしなかった。
そして今でもこんな人たちにはなりたくないと本気で思っている。
たまに、「もう1回こどもの頃から再スタートできるとすると、どうしたい?」と問うのを見かける。
わたしは選択に大失敗した覚えがないので今とおなじようにチンタラ暮らすと思うが、この中学校だけは避けて通りたいと思う。
ちょっと長くなりすぎたかな、、、
これは作り話ではない。本当の体験談だ。もちろん日本国内の話だ。
世間並みがどんなものか体験したことがないのでなんとも言いがたいが、たぶん世間並みの中学校生活よりだいぶ不遇だったのではなかろうか。
ときメモに例えるとだ、、、
好きとか嫌いとか最初にいいだしたヤツは職員室に呼び出されて説教くらう。
ピンクのリップを持ってきたヤツは没収されて永久に返ってこない。
とっておきのコロンをつけてきたヤツは安化粧で吐き気がするようなニオイ漂うババア教員に呼び出されて説教くらう。
素敵な予感はするはずがなく、そよ風にのって現れるのは暴力による共産主義教育。
“Love me please” とは言えなそうだが、今日こそぶん殴り返してやると言ってしまいそうになる。
きっと卒業式の日の伝説の木の下では、教員が不純異性交遊をしていないかどうか厳重な見張りを立てているに違いない。
伝説の木の下で女の子から告白したカップルは、卒業式後にもかかわらず1~2時間の説教は覚悟すべきである。
もちろん永遠に後味が悪い。
だから、きらめき高校のような希望にあふれたヌルくて素敵な学園生活というのは、わたしの人生からはほど遠い…というかリアリティーの感じられないありえない世界となっている。
しかし、だからこそだろう。
恋とか愛とかいう以前に、本当にすごしたかったと心のどこかで思うようなヌルくて素敵な学園生活にあこがれるのかもしれない。
かの地では、いまはそうではないと願いたいものだ。
わたしはとある地方の公立中学校を卒業した。
その中学校は、現在では考えられないほど腐った学校だった。
男子の髪型は坊主強制。
指でつまんで引っぱれる長さ以上は禁止。
その長さに達しているものはまず鉄拳制裁を受け、つぎにバリカンでツルツルになるまで髪を切られる。
女子の髪型はショートカットかおかっぱ強制。
前は眉の位置まで、横と後ろは肩の位置まで、それ以上の長さは禁止。
その長さに達しているものは、女子だからか鉄拳制裁は受けなかったものの、髪形の体裁をなさないほどハサミでムチャクチャにきざみ入れられる。
男女の友好は手をつなぐだけでも不純異性交遊とみなされ絶対禁止。
なんと職員室に呼び出されて制裁を受ける。
バレンタインには荷物検査がある場合がある。
チョコを持っていたものは没収。没収品は教員が職員室で咀嚼する。返却された例は1つとして知らない。
もちろん生徒は未成年だからタバコは禁止だ。
だが、タバコを吸った生徒は職員室でタバコをプカプカすっているヘビースモーカーの教員から、タバコの害を1~2時間にもわたりとつとつと説教される。
もちろん鉄拳制裁ももれなく付属する。
これは化粧品をもってきた女生徒も同じだ。
ヒビが入りそうなほど厚化粧した50代の独身ババア教員から、いかに10代の化粧が良くないかを1~2時間にもわたりとつとつと説教される。
ちなみに中学校の校区では、「男はぶん殴られずに卒業するものはいない」という都市伝説が流布していた。
これはさすがに間違いだが、実際に聞き込みをすると、ぶん殴られずに卒業する男はクラスに1~2名しかいなかった。
おやじにもぶたれた事ない人でもぶん殴られた。
もちろんわたしもパーになるんじゃないかと思うほどぶん殴られた。
日教組の関係上、教員というものは左翼的な傾向に偏っているものだが、この学校はひどすぎた。
たとえば国語の教員は
「機械はいったん間違ったらいつも間違った作業をする」
というように常に科学技術に対して批判的であり、
たとえば社会の教員は
「韓国より北朝鮮のほうが資源豊かなのだから、日本は韓国とは縁を切って北朝鮮と仲良くすべきだ」
といったように常に共産主義国家をもちあげており、
たとえば音楽の教員は
「世の中にはどうにもならないことがあって、それをガマンするのも教育の1つだ」
と間違いを指摘したときにはそう開き直って正そうとはしなかったし、
たとえば理科の教員はプライベートで答えたくない質問をされて黙っていたら
「なんでオレにいえないんだ!」
と言いながら何十発もぶん殴りつづけた。
教員はそろいもそろって生徒を動物でもあつかうかのような目で見ていた。
中学校を卒業したあとでは、実社会でそんな目をした人たちはほとんど見たことがない。
いまでこそ平等教育の弊害が議論されるようになっているが、その当時は全くそうではなく、教員の意図するとおりのなるべく画一的な生徒に育てようとしていた。まさに共産主義そのものである。
ほんのちょっとでも自主性を出そうとするとキ○ガイかのように嫌がられた。
校長が「生徒の個性を伸ばして・・・」なんて言ったときには「キサマのクチとハラは別人かよ・・・」と心底軽蔑したものだ。
ちなみに歴代の校長はそろいもそろって話し好きで、朝礼が始まったら軽く1時間は超えていた。ちなみに最長では3時間。
長くなりましたので手短に話しますと・・・という発言が聞こえたら、ああようやくあと30分で終わる、と安心するような次第だった。
夏場にはきまって何人かぶっ倒れていた。いつも何人かぶっ倒れているのに話を手短にしようとはしなかった。
わたしは未必の故意の傷害罪でブタ箱にぶちこんでほしいと思った。
あるとき、とある説教ついでに担任の教員にこう問われたことがある。
「おまえ、教員になってみる気はないか?」
わたしは即座に答えた。
「いや、絶対におことわりです」
わたしは子供心に
「大人になったらこんな人たちにはなりたくない」
と心に誓ったものだ。
「なんでだ? 先生は大変だと思ったか?」
と理由を問われたが、わたしの意見としては先生は大変だというのは全く反対で、
「人をぶん殴ってイバりちらして給料をもらうなんて、なんていい商売していやがる」
と思っていたのだ。正直に答えたらまたぶん殴るに違いないと思ったので、最後まで答えはしなかった。
そして今でもこんな人たちにはなりたくないと本気で思っている。
たまに、「もう1回こどもの頃から再スタートできるとすると、どうしたい?」と問うのを見かける。
わたしは選択に大失敗した覚えがないので今とおなじようにチンタラ暮らすと思うが、この中学校だけは避けて通りたいと思う。
ちょっと長くなりすぎたかな、、、
これは作り話ではない。本当の体験談だ。もちろん日本国内の話だ。
世間並みがどんなものか体験したことがないのでなんとも言いがたいが、たぶん世間並みの中学校生活よりだいぶ不遇だったのではなかろうか。
ときメモに例えるとだ、、、
好きとか嫌いとか最初にいいだしたヤツは職員室に呼び出されて説教くらう。
ピンクのリップを持ってきたヤツは没収されて永久に返ってこない。
とっておきのコロンをつけてきたヤツは安化粧で吐き気がするようなニオイ漂うババア教員に呼び出されて説教くらう。
素敵な予感はするはずがなく、そよ風にのって現れるのは暴力による共産主義教育。
“Love me please” とは言えなそうだが、今日こそぶん殴り返してやると言ってしまいそうになる。
きっと卒業式の日の伝説の木の下では、教員が不純異性交遊をしていないかどうか厳重な見張りを立てているに違いない。
伝説の木の下で女の子から告白したカップルは、卒業式後にもかかわらず1~2時間の説教は覚悟すべきである。
もちろん永遠に後味が悪い。
だから、きらめき高校のような希望にあふれたヌルくて素敵な学園生活というのは、わたしの人生からはほど遠い…というかリアリティーの感じられないありえない世界となっている。
しかし、だからこそだろう。
恋とか愛とかいう以前に、本当にすごしたかったと心のどこかで思うようなヌルくて素敵な学園生活にあこがれるのかもしれない。
かの地では、いまはそうではないと願いたいものだ。