(・・・つづき)
前は男視点で考えたところ、つぎは女視点で考える。
女が結婚したがる理由とは何だろうか?
カンタンだ。
自分のエサ代をかせぐ男を必要としているのだ。
だから女はエサ代くらい余裕でかせげるカネ持っている男を要求する。
それに比べれば男の女を見る判断基準というのはカワイイもんだ。
単に家事手伝い要員かつ性欲処理要員として見ているので、料理ができてツラが可愛ければそれでそこそこ要求を満たせたと満足する。
余談だが、まえに
「男は女のツラさえ見ていればいいけど、女は男のツラとサイフを見なきゃならんから大変だね」
とヒニクを言ったところ、
「そんなんアタリマエじゃん」
と真顔で反論されたこともある。
ようはそういうことだ。
ではここで、上巻で登場いただいた腐れフェミニストに再登板いただく。
腐れフェミニストは仕事を持っている男に対して家事の半分をやれとご高説垂れる。
さて、わたしも男女同権という立場に厳密に賛成してみよう。
男も家事の半分をやろう。
まあそれは問題ないとしよう。
では女も働いてもらおう。
そして男と同じだけの稼ぎを出してもらおう。
そうでなければ腐れフェミニストのご高説垂れるところの男女同権ではない。
だが、大半の女はそうは思ってはいない。
この問題の女側の病理はここにある気がする。
こういう女側の事情は結婚相手の男に対する要求スペックをかなり上げることに貢献する。
女は男にエサ代をかせがせる気マンマンでいる。
だから、たとえば自分の年収が200万円だということを成層圏くらいまで棚に上げて、
「相手の年収は800万円くらいでガマンします」
とかフザけたことを言いくさるヤツが出てくる。
男に家事の半分をさせるならば、結婚しても自分もフルタイムで働くべきだし、相手の年収も自分と同じ200万円くらいでガマンするべきである。
それを理解できない人は意外に多い気がする。
実際問題として、年収200万円の女が800万円の男でガマンするのではなく、年収800万円の男が200万円の女でガマンしてやるのだ。
極論するならば、男が妻を娶るということは、人様の家にあるニートを自分の家に招き入れるという意味にも解釈できる。
こいつはプチ貧乏神といっても過言ではない。
妻はそのプチ貧乏神あつかいを補ってあまりあるインセンティブをゴマカシでもいいから男に与えなければ、男は結婚して良かったとは思わないのだ。
これだけあれこれイチャモンつけているが、これは自分が女だったらという立場で考えれば案外理解しやすい問題である。
自分が女だったとしたら、自分の人生の失敗如何は相手の男の能力にかかっていると考えるのも無理からぬことだと気付く。
結婚したら寿退職する気マンマンだったり、子育てのためにしばらく休職する予定だったりすると、家計の収支はカンペキに相手の男に依存する。
だから自分のカタログスペックを下回る男とは結婚したくないのもわからんでもない。
さらに欲を言うと、ダンナの余剰資金から自分のエサ代をさし引いた真の余剰資金が結婚前の自分の稼ぎからでる余剰資金を上回っていれば、自分は働かなくても現在同等以上の生活水準を維持できる。
そういうことを考え出すと、だんだん800万円でガマンしてやるとか言い出すヤツも出てくるわけだ。
わたしは自他共に認めるキモオタであるのは言うまでも無い。
たぶんそこいらの女も、わたしの部屋にあるロザバン等身大ポスターを見たらドン引きして
「こんなヤツとは付き合いたくない」
と絶対思うだろう。
しかし、わたしのカタログスペックは案外悪くない。
細かいことは置いておくが、ヘタしたら中学校の同級生の男のなかで一番グレードの高い最終学歴になっているかもしれないとか、いくつかアピール事項はある。
そういうわたしは結婚する気はさらさらない。
そして、だいたい同じくらいのカタログスペックだと想定されるわたしの周りの野郎共のほとんどは
「いつかは結婚したいけどまあそのうちでええわ」
くらいにしか考えてない。
ようするに結婚しないでいることに対する支障が全くないために、マジメに行動しようとする気がないわけだ。
ところがそうではない人たちもいる。
生活に余裕が無い人たちだ。
彼らは我々に対して相対的に結婚願望が強いように見える。
たぶん彼らは、現在の生活がカツカツで余裕が無いために、なにか1発逆転のチャンスは無いかと切望しているのだろうと思う。
いちばん一般的な1発逆転になりそうなチャンスというと、だれかと結婚して精神面だけでも幸せになることだ。
だから勢い、結婚願望が強くなる。
ところがどっこい、同じくらい生活がカツカツな女は同じ年収の男には見向きもしない。
見分不相応な年収の男を要求する。
概してそういう男は結婚願望が小さい。
だから捕まえにくい。
そして結婚は成立しない。
未婚率はどんどんと悪化していく。
ついでに反対の立場の条件も考えてみる。
所得の高い女の場合だ。
昔はパートみたいなのじゃなくてマトモに女の働ける職場が少なかった。
だから、自分のエサ代をかせぐ男を必要としていた。
しかし今は必ずしもそうではない。
昔に比べれば女の働く環境が整っている。
だから男が1人で生きていても困らないのと同じように、女が1人で生きていても困らない環境が整っている。
自分のエサ代くらい余裕で稼げるくらいの収入の女であれば、わざわざショボい男でガマンして結婚する必要もない。
そんなレベルの男だったら結婚しないほうがマシだという結論が出ても何らフシギはない。
だからマトモな稼ぎのある女は低所得の男には見向きもしない。
わたしが女だったとしてもそう思うのは間違いない。
ダチの中に競馬が大好きなヤツがいる。
その男は
「結婚してもいいけど、競馬の資金に口を出されるのはお断りだ。
時間もカネも完全に別会計にできる相手でなければ結婚しない」
と断言した。
この男はカンペキに男女同権思想に準拠している。
だが、ダンナがこういう男だったとして、たいがいの女は生きていけるだろうか?
腐れフェミニストの主張準拠だとそういうことにもなるのだ。
最後に1つ。
わたしが結婚する確率は0%に非常に近い。
しかし厳密に0%とは言い難い。
もしまかり間違って結婚してしまうことがあったとしよう。
そのときは、冷静に物事を考えられないほど舞い上がってしまった極めて危険な状態に突入しているか、ここで挙げたデメリットを補ってあまりあるほどのいい女を見つけることに成功したかのどちらかだろう。
後日もし検証しなおす機会があったとしたら、読み直してどこが間違っているのかを考察してみたい。
前は男視点で考えたところ、つぎは女視点で考える。
女が結婚したがる理由とは何だろうか?
カンタンだ。
自分のエサ代をかせぐ男を必要としているのだ。
だから女はエサ代くらい余裕でかせげるカネ持っている男を要求する。
それに比べれば男の女を見る判断基準というのはカワイイもんだ。
単に家事手伝い要員かつ性欲処理要員として見ているので、料理ができてツラが可愛ければそれでそこそこ要求を満たせたと満足する。
余談だが、まえに
「男は女のツラさえ見ていればいいけど、女は男のツラとサイフを見なきゃならんから大変だね」
とヒニクを言ったところ、
「そんなんアタリマエじゃん」
と真顔で反論されたこともある。
ようはそういうことだ。
ではここで、上巻で登場いただいた腐れフェミニストに再登板いただく。
腐れフェミニストは仕事を持っている男に対して家事の半分をやれとご高説垂れる。
さて、わたしも男女同権という立場に厳密に賛成してみよう。
男も家事の半分をやろう。
まあそれは問題ないとしよう。
では女も働いてもらおう。
そして男と同じだけの稼ぎを出してもらおう。
そうでなければ腐れフェミニストのご高説垂れるところの男女同権ではない。
だが、大半の女はそうは思ってはいない。
この問題の女側の病理はここにある気がする。
こういう女側の事情は結婚相手の男に対する要求スペックをかなり上げることに貢献する。
女は男にエサ代をかせがせる気マンマンでいる。
だから、たとえば自分の年収が200万円だということを成層圏くらいまで棚に上げて、
「相手の年収は800万円くらいでガマンします」
とかフザけたことを言いくさるヤツが出てくる。
男に家事の半分をさせるならば、結婚しても自分もフルタイムで働くべきだし、相手の年収も自分と同じ200万円くらいでガマンするべきである。
それを理解できない人は意外に多い気がする。
実際問題として、年収200万円の女が800万円の男でガマンするのではなく、年収800万円の男が200万円の女でガマンしてやるのだ。
極論するならば、男が妻を娶るということは、人様の家にあるニートを自分の家に招き入れるという意味にも解釈できる。
こいつはプチ貧乏神といっても過言ではない。
妻はそのプチ貧乏神あつかいを補ってあまりあるインセンティブをゴマカシでもいいから男に与えなければ、男は結婚して良かったとは思わないのだ。
これだけあれこれイチャモンつけているが、これは自分が女だったらという立場で考えれば案外理解しやすい問題である。
自分が女だったとしたら、自分の人生の失敗如何は相手の男の能力にかかっていると考えるのも無理からぬことだと気付く。
結婚したら寿退職する気マンマンだったり、子育てのためにしばらく休職する予定だったりすると、家計の収支はカンペキに相手の男に依存する。
だから自分のカタログスペックを下回る男とは結婚したくないのもわからんでもない。
さらに欲を言うと、ダンナの余剰資金から自分のエサ代をさし引いた真の余剰資金が結婚前の自分の稼ぎからでる余剰資金を上回っていれば、自分は働かなくても現在同等以上の生活水準を維持できる。
そういうことを考え出すと、だんだん800万円でガマンしてやるとか言い出すヤツも出てくるわけだ。
わたしは自他共に認めるキモオタであるのは言うまでも無い。
たぶんそこいらの女も、わたしの部屋にあるロザバン等身大ポスターを見たらドン引きして
「こんなヤツとは付き合いたくない」
と絶対思うだろう。
しかし、わたしのカタログスペックは案外悪くない。
細かいことは置いておくが、ヘタしたら中学校の同級生の男のなかで一番グレードの高い最終学歴になっているかもしれないとか、いくつかアピール事項はある。
そういうわたしは結婚する気はさらさらない。
そして、だいたい同じくらいのカタログスペックだと想定されるわたしの周りの野郎共のほとんどは
「いつかは結婚したいけどまあそのうちでええわ」
くらいにしか考えてない。
ようするに結婚しないでいることに対する支障が全くないために、マジメに行動しようとする気がないわけだ。
ところがそうではない人たちもいる。
生活に余裕が無い人たちだ。
彼らは我々に対して相対的に結婚願望が強いように見える。
たぶん彼らは、現在の生活がカツカツで余裕が無いために、なにか1発逆転のチャンスは無いかと切望しているのだろうと思う。
いちばん一般的な1発逆転になりそうなチャンスというと、だれかと結婚して精神面だけでも幸せになることだ。
だから勢い、結婚願望が強くなる。
ところがどっこい、同じくらい生活がカツカツな女は同じ年収の男には見向きもしない。
見分不相応な年収の男を要求する。
概してそういう男は結婚願望が小さい。
だから捕まえにくい。
そして結婚は成立しない。
未婚率はどんどんと悪化していく。
ついでに反対の立場の条件も考えてみる。
所得の高い女の場合だ。
昔はパートみたいなのじゃなくてマトモに女の働ける職場が少なかった。
だから、自分のエサ代をかせぐ男を必要としていた。
しかし今は必ずしもそうではない。
昔に比べれば女の働く環境が整っている。
だから男が1人で生きていても困らないのと同じように、女が1人で生きていても困らない環境が整っている。
自分のエサ代くらい余裕で稼げるくらいの収入の女であれば、わざわざショボい男でガマンして結婚する必要もない。
そんなレベルの男だったら結婚しないほうがマシだという結論が出ても何らフシギはない。
だからマトモな稼ぎのある女は低所得の男には見向きもしない。
わたしが女だったとしてもそう思うのは間違いない。
ダチの中に競馬が大好きなヤツがいる。
その男は
「結婚してもいいけど、競馬の資金に口を出されるのはお断りだ。
時間もカネも完全に別会計にできる相手でなければ結婚しない」
と断言した。
この男はカンペキに男女同権思想に準拠している。
だが、ダンナがこういう男だったとして、たいがいの女は生きていけるだろうか?
腐れフェミニストの主張準拠だとそういうことにもなるのだ。
最後に1つ。
わたしが結婚する確率は0%に非常に近い。
しかし厳密に0%とは言い難い。
もしまかり間違って結婚してしまうことがあったとしよう。
そのときは、冷静に物事を考えられないほど舞い上がってしまった極めて危険な状態に突入しているか、ここで挙げたデメリットを補ってあまりあるほどのいい女を見つけることに成功したかのどちらかだろう。
後日もし検証しなおす機会があったとしたら、読み直してどこが間違っているのかを考察してみたい。