教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

フィギュアを飾ることの意義

2009-10-05 00:00:00 | オタネタ全般
TVを見ていると、稀にイタいオタのお宅拝見みたいな場面が出てくることがある。

イタいオタというのは他でもない。
PC-FXからLynxから古今東西あらゆるゲーム機をTVの前にずらりと並べているゲーオタのことではない。
壁にはM16が立てかけてあり部屋の中でもウッドランド迷彩服を着ているようなサバゲオタのことでもない。
部屋中が本であふれかえり半ば図書館と化したところに住んで悦に浸るようなマンガオタのことでもない。

ここでのイタいオタとは、部屋中に美少女フィギュアを飾って楽しんでいるオタのことをさす。

そしてTV番組では、芸能人のねえちゃんが
「うわっっっ、キモイ!」
と定番の悲鳴をあげ、そして自称良識派コメンテーターは
「日本の将来をになう若者がこんなのでは、これからの日本はいったいどうなるのでしょうかねぇ・・・」
とエラそうな批評を語りくさる。



これはどうなのか?

これはわたし的には正しくない。
そうしたい気持ちもわからんでもないが、それはオタのスタイルとしては正しくないように思う。
(フィギュアというものは自分が悦に浸るために買い求めるものだから、芸能人のねえちゃんや自称良識派コメンテーターの勝手な意見など犬にくれてやればいい、こっちのほうのネタは今回ほっておこう。)

わたしだったら、部屋中にずらりと並ぶほど美少女フィギュアを持っていたとしても、部屋中にずらりとは飾らない。

なぜか?

恥ずかしいからというヤツもいるかもしれない。
たまたま家にやって来たねえちゃんに
「うわっっっ、キモイ!」
と言われかねないから恥ずかしくてようやらんというヤツもいるかもしれない。
別にそれらの人の意見を否定しはしない。
だが、わたしは実体のねえちゃんに興味がないからそんなことはどーでもいい。

わたしは1つ思うところがある。
フィギュアを飾って楽しむということは、キホン的には好きな人(キャラ)の映し身を眺めて愛でることにある。
これは、好きな女の子のスナップ写真を写真たてに入れて飾って眺めてニヤニヤするのと同じことだ。
・・・と思う、たぶん。
実体の女の子を好きになったためしがないので、ホントのところはよくわからんのだが(笑)。

ということは、フィギュアを飾って楽しむという行為は、恋愛を楽しむという行為にかなり近いだろう。



・・・でだ。
部屋中にフィギュアを飾るというのはどういう意味だろうか?

わたしにとってのそれは、同時に2人以上の好きな人(キャラ)がいて、それらを同時に愛でることを意味する。
わたしにはそれは後ろめたい。
わたしだったら、2人以上の好きな人(キャラ)を同じだけ平等に愛でることはできない。
なんとなく浮気しているような後ろめたさを感じてならないのだ。

ではどうするか?

わたしだったら・・・
まず部屋中にあるフィギュアはほとんど全部片付ける。
そのうえで、いまこの瞬間にいちばん好きな人(キャラ)のフィギュアだけを部屋にかざる。
2体以上あってもいいが、2人以上いないようにする。
そうすればなんとなく浮気しているような後ろめたさを感じてしまうこともない。
ただ1人の人(キャラ)だけを常に愛でるだけだ。
時がたてば別の人(キャラ)のフィギュアを飾りたくなるかもしれないが、そのときは元々飾っていたフィギュアは全部片付ける。

あまり考えられないが・・・
もしわたしが実体のねえちゃんと相思相愛になったとしよう。
スナップ写真を写真たてに入れて飾って眺めてニヤニヤする時代が来たとしよう。
多分そのときは部屋のフィギュアは1体のこらず全部片付けることになるだろうという気がする。

フィギュアの嗜みというのはそういうことに通じる。
だからTVに出てくる典型的なイタいオタのお宅というのは正しくない。
まあ、人の楽しみ方にケチをつけたいわけではないので、そういう人がいても好きにすれば良いとは思う。
ただ、わたしはあれが典型的なヤツらだと世間に思われるのが少し癪に思ったというまでだ。