教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

足し算もマトモに教えられない教員

2011-06-04 00:00:12 | 経済/経済/社会
かつてわたしが小学生だったころの話だが、そのときの担任の教員が
「○+△ と △+○ とでは全然意味が違うんです!」
などということを力説したことがある。
「わからない子は低学年からやりなおしなさい!」
などとまで言っておった。

これは未だに意味がわからない。
文学的な表現で意味をこじつけていたような気がするが、そこは全く憶えていない。

というか・・・
専門が国文学だとかの小学校の教員より、一応は仕事で微分積分も使う場面に遭遇するようなわたしの方が数学について理解があろう。
それでもわからんということは、もともと本質的に間違っていたとしか言いようがない。



でだ。
わたしには子供はいないが、もし仮に子供がいたとしてだ。

それで、
「○+△ と △+○ とでは全然意味が違うんです!」
などと言うようなヤツに子供の算数の教育を任せたいと思うかというと・・・

明確にNOである。
こんなヤツが算数を教えるから子供はみんな算数が嫌いになるのだ。



わたしは数学は嫌いではないが算数は嫌いだった。
なぜかというと・・・
単純作業として算数のドリルをひたすらやらされ、
ひたすら計算間違いを減らすための技能訓練をやらされ、
本来の数学的な部分についての教育はほとんど受けた記憶がないからだ。

嫌悪感がなくなったのは中学に入る頃あたりからからだと思う。
その頃になれば計算間違いを減らすための技能訓練という意味合いは減少して本来の数学的な部分についての教育が増えていったからなのは間違いない。

日本の算数の教育は何か根本的なところで間違っているような気がしてならないのだ。



周りに理系の人がいないような人たちと話をしたとき、
「理系なら計算とかすっごく得意なんじゃない?」
とよく言われる。

ところがこれは勘違いも甚だしい。
わたしは
「単純計算だとか暗算だとかはものすごく苦手だな。けど計算方法を考えるのは得意だろうな」
といつも答えている。

根っからの理系人間はそういうものだ。
決して公文でいい点数を取れるから理系を目指したわけではない。
(そして小学校のとき公文が得意なことと高校生のとき数学が得意なこととの間には恐らく相関は無い。)

多くの一般人たちにそういう事を言わせる時点で、日本人には数学の素養がないと痛感させられる。






追伸:

算数嫌いだったわたしが数学嫌いにならなかったのにはもう1つ理由があるかもしれない。
母が理学部数学科卒(専門は微分方程式らしい)で、算数とは本来そういう(計算間違いを減らすためのド根性モノの技能訓練的な)モノではないことを小学校のときから既に直感的に知っていたからだと思う。
もし母が数学大嫌い人間だったら今のわたしがどうなっていたかというと、もはや想像もつかんほどに全く違う人生になっていたかもしれない。