極論すると、世の中の18禁は2種類に分けられる。
2次元か。
3次元か。
その違いである。
2次元の18禁の代表はエロゲであり、
3次元の18禁の代表はAVである。
エロゲは進歩を続けた。
初めは単なるコンピューター麻雀やコンピューター花札でゲームクリアをしたときの御褒美としてのエロ画像(しかも1枚絵)だった。
最古参の古強者どもはゲーセンの一角に脱衣麻雀が置かれていたのを憶えているだろう。
(ニチブツの脱衣麻雀などがその代表であろう。スーパーリアル麻雀はここにカテゴライズするには時代が新しすぎるかもしれない)
ほどなくしてそれにストーリーがついた。
そこでヒロインはエロ画像の単なる1枚絵ではなく、ヒロインは人物となった。
しかし、640×400ドットしかなく、しかも16色しか出せなかった。
(この時代はアリスソフトやエルフにとっての黄金期である)
幾ばくかの時を経た後、エロゲは、RPGとしてついたストーリーなどとしてではなく、ヒロインを愛でるためとして描かれたストーリーを得るようになった。
(この転換に最も影響を与えたのはLeafがトップブランドとして君臨することになった初期代表作“雫”, “痕”, “ToHeart”であろう。それは後にKeyに継承されることになる)
そしてCD-ROMが標準となる時代を迎えた。
いつの間にやらヒロインたちはフルボイスでしゃべるのがアタリマエになった。
我々は、声も届かずASCIIコードでしか意思の疎通を図れない彼我の世界を隔てた大きな壁を1つ突破することに成功した。
そして今。
PCはムービーを再生できるのがアタリマエになった。
場合によっては3Dをリアルタイムに演算表示させることも可能となった。
2次元と3次元の境は依然突破できていないとはいえ、3次元に比類しうるモノを表現できるようになった。
(たとえばKENZsoftの作品などがそれにあたる)
それを時代はどう解釈したか?
時代は3D化に対して・・・いや、3次元に比類しうるモノに対して、明確にNOと言った。
なぜか?
我々は2次元世界に3次元のコピーを求めてはいないからである。
これはエロゲの趨勢を見れば一目瞭然である。
ギャルゲーやエロゲにも3Dはある。
しかしそれらは、アイドルマスターのようなトゥーンレンダリングでアニメ調のキャラとして描かれている。
元からたかが3次元ごときのマネごとをしようとはしていないのだ。
プリティーリズム・オーロラドリームを見ればいい。
アニメ絵の部分はアニメ絵のままに、3Dの部分は可能なかぎりアニメ絵に似せるように描かれている。
かたやクッキンアイドル アイ!マイ!まいん!を見ればいい。
実写パートはアニメのヒロイン調の服を着ており、アニメパートは実写パートに似せた絵にしようとする意思は全く見られない。
これは何を意味するか?
もはや二次元は、3次元のいるところをとうの昔に通り過ぎたということである。
烈海王がエロゲーマーならば
「キサマ等のいる場所は既に我々が2000年前に通過した場所だッッッ」
とでも言うだろう。
(でも実際には通過したのは20年前くらいだろうかね)
実写のAVなど、ここ20年はビデオテープがDVDやBDになって解像度が上がったこととツラがマトモ以上の女が出るようになったことくらいしか変化がない。
我々エロゲーマーは、人類の進化を、そして人類の作りたもうた人類以上のものが創られる瞬間を、自らの人生をかけて立ち会った。
もはや進化の袋小路に陥り改善の全く見られない3次元のAVなど観賞するにすら値しない。
かつて黎明期には、3次元のAVはエロゲの到達目標の1つであった。
しかし現在はそうではない。
いや、そうではないどころか、既に立場は逆である。
3次元のAVはもはやエロゲに遥か及ばない後塵でいつも同じようなことをグルグルと繰り返しているにすぎないのだ。
いやそれどころか、いつも同じようなものを作りいつも同じことをグルグルと繰り返すAVには作り手も視聴者もそこに閉塞感を感じないのかと、はたから見ていてそれがフシギでしかたがない。
エロゲにはある成長への渇望がそこに全く見られないのだ。
3次元のAVなど単なる裸の観賞でしかない。
登場人物をひとりの異性として好きになるという、エロゲの本質である大切な楽しみかたを未だに具えてすらいない。
あるAVの続編が出ると聞いて、次は前作よりもっと良いものが出るに違いないと期待をもって待つことができるだろうか。
そんなことはめったになかろう。
だからAVはAVであり、AVはエロゲにはなれない。
こちら(2次元の)側に来たらもはや引きかえすことができないことなど当然である。
もしあなたが、野獣のように単にメスの裸だけ見て興奮するだけの下等な性欲にまみれた生活に虚無感を憶えるなら、「これからはエロゲをやりなさい」と提言する。
あなたはAVには大切なものがスッポリと抜け落ちていることに気がつくに違いない。
人類の進化とは、実写のAVからエロゲへの脱却である。
類似記事:
二次元と三次元のエロス
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20090519
現実をどこまで仮想しようか
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20090723
肉体からの開放を願う
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20091018
2次元か。
3次元か。
その違いである。
2次元の18禁の代表はエロゲであり、
3次元の18禁の代表はAVである。
エロゲは進歩を続けた。
初めは単なるコンピューター麻雀やコンピューター花札でゲームクリアをしたときの御褒美としてのエロ画像(しかも1枚絵)だった。
最古参の古強者どもはゲーセンの一角に脱衣麻雀が置かれていたのを憶えているだろう。
(ニチブツの脱衣麻雀などがその代表であろう。スーパーリアル麻雀はここにカテゴライズするには時代が新しすぎるかもしれない)
ほどなくしてそれにストーリーがついた。
そこでヒロインはエロ画像の単なる1枚絵ではなく、ヒロインは人物となった。
しかし、640×400ドットしかなく、しかも16色しか出せなかった。
(この時代はアリスソフトやエルフにとっての黄金期である)
幾ばくかの時を経た後、エロゲは、RPGとしてついたストーリーなどとしてではなく、ヒロインを愛でるためとして描かれたストーリーを得るようになった。
(この転換に最も影響を与えたのはLeafがトップブランドとして君臨することになった初期代表作“雫”, “痕”, “ToHeart”であろう。それは後にKeyに継承されることになる)
そしてCD-ROMが標準となる時代を迎えた。
いつの間にやらヒロインたちはフルボイスでしゃべるのがアタリマエになった。
我々は、声も届かずASCIIコードでしか意思の疎通を図れない彼我の世界を隔てた大きな壁を1つ突破することに成功した。
そして今。
PCはムービーを再生できるのがアタリマエになった。
場合によっては3Dをリアルタイムに演算表示させることも可能となった。
2次元と3次元の境は依然突破できていないとはいえ、3次元に比類しうるモノを表現できるようになった。
(たとえばKENZsoftの作品などがそれにあたる)
それを時代はどう解釈したか?
時代は3D化に対して・・・いや、3次元に比類しうるモノに対して、明確にNOと言った。
なぜか?
我々は2次元世界に3次元のコピーを求めてはいないからである。
これはエロゲの趨勢を見れば一目瞭然である。
ギャルゲーやエロゲにも3Dはある。
しかしそれらは、アイドルマスターのようなトゥーンレンダリングでアニメ調のキャラとして描かれている。
元からたかが3次元ごときのマネごとをしようとはしていないのだ。
プリティーリズム・オーロラドリームを見ればいい。
アニメ絵の部分はアニメ絵のままに、3Dの部分は可能なかぎりアニメ絵に似せるように描かれている。
かたやクッキンアイドル アイ!マイ!まいん!を見ればいい。
実写パートはアニメのヒロイン調の服を着ており、アニメパートは実写パートに似せた絵にしようとする意思は全く見られない。
これは何を意味するか?
もはや二次元は、3次元のいるところをとうの昔に通り過ぎたということである。
烈海王がエロゲーマーならば
「キサマ等のいる場所は既に我々が2000年前に通過した場所だッッッ」
とでも言うだろう。
(でも実際には通過したのは20年前くらいだろうかね)
実写のAVなど、ここ20年はビデオテープがDVDやBDになって解像度が上がったこととツラがマトモ以上の女が出るようになったことくらいしか変化がない。
我々エロゲーマーは、人類の進化を、そして人類の作りたもうた人類以上のものが創られる瞬間を、自らの人生をかけて立ち会った。
もはや進化の袋小路に陥り改善の全く見られない3次元のAVなど観賞するにすら値しない。
かつて黎明期には、3次元のAVはエロゲの到達目標の1つであった。
しかし現在はそうではない。
いや、そうではないどころか、既に立場は逆である。
3次元のAVはもはやエロゲに遥か及ばない後塵でいつも同じようなことをグルグルと繰り返しているにすぎないのだ。
いやそれどころか、いつも同じようなものを作りいつも同じことをグルグルと繰り返すAVには作り手も視聴者もそこに閉塞感を感じないのかと、はたから見ていてそれがフシギでしかたがない。
エロゲにはある成長への渇望がそこに全く見られないのだ。
3次元のAVなど単なる裸の観賞でしかない。
登場人物をひとりの異性として好きになるという、エロゲの本質である大切な楽しみかたを未だに具えてすらいない。
あるAVの続編が出ると聞いて、次は前作よりもっと良いものが出るに違いないと期待をもって待つことができるだろうか。
そんなことはめったになかろう。
だからAVはAVであり、AVはエロゲにはなれない。
こちら(2次元の)側に来たらもはや引きかえすことができないことなど当然である。
もしあなたが、野獣のように単にメスの裸だけ見て興奮するだけの下等な性欲にまみれた生活に虚無感を憶えるなら、「これからはエロゲをやりなさい」と提言する。
あなたはAVには大切なものがスッポリと抜け落ちていることに気がつくに違いない。
人類の進化とは、実写のAVからエロゲへの脱却である。
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