教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

俺たちに翼は必要か

2011-06-21 00:24:17 | オタネタ全般
アニメ“俺たちに翼はない”がついに最終回を迎えた。
そこそこおもしろかった。

それを見ていてふと思ったことがある。
俺たちに翼は必要かどうかということである。



ずいぶんと昔、おそらく小学生とか、そんなくらいの頃。
たぶん誰しもが
「翼がほしいな・・・」
と思うことはあるんじゃないだろうか。

ようするにだ。
「何か窮屈な世俗からどっかよそへ自由に行き来できるようになればいいな」
ってメルヘンのお話である。

わたしもその例にもれず、その頃そう思ったことがあるような気がする。

とはいっても。
小学校の中ごろになれば、翼などという人力装置よりもタケコプターのほうに憧れてしまったわけであるが。



さて、時は流れて中学生になる。
その頃の我輩はというと、中二病に侵されて言動にまで支障がでるほどだったのは言うまでもない。
(いまでも中二病臭いとか言われそうな気もするが、まあいいじゃないですか(笑))

その頃、その命題についてどう思ったかというと。

人間の体重で翼をつかって自力で重力に逆らって飛ぶことが力学的にものすごく難しいことに薄々感づいた。
もしそれができる筋力があったとしても、それを維持するのも非常に困難であろうことにも薄々感づいた。

そうすると、
「翼がほしいな・・・」
などと言うヤツらのことをメルヘンだと小バカにするようになる。

それに対する答えは当時どうだったかというと・・・
「自分の背中に翼が生えていて相応の筋力を備えている必要など無い!」
であって、
「空を飛ぶだけなら飛行機ですでに実用化されているから人体はそれを必要としない。俺に必要なものは、自力で空を飛ぶために必要な飛行機を作ることができる技術力なんだ!」
と言っていた。
当時すでにコンピューターのハードウエアの技術屋になりたいとほざく中学生だったのでなおさらである。



さて大学生になると。

翼を求めるということは、ようするに先の
「何か窮屈な世俗からどっかよそへ自由に行き来できるようになればいいな」
という目的を実現するための手段の1つでしかない。

目的を実現する手段が別にあれば、翼なり自家用飛行機なりタケコプターなりを必要とするわけではない。

なおかつ。
空を飛べたら飛べたで、そこには法の厳しい規制がかけられているので、うかつに自由に行き来することなどできない仕様になっている。
物理法則を無視した大変すばらしい翼を入手できたところで、実は目的を達成できないのだということまでわかってしまう。



さて今。

比喩表現たる翼というものは、とりあえず欲しがるというだけでは意味がない。
到達目標を定めて向かうだけの気力の有無のことを翼があるか無いかで表現するもんだと気がつく。

ようするに、まあ、
「俺たちに翼はない」
と人類の構造的欠陥を嘆くだけのヤツには翼は永遠に生えず、実態としては
「飛んでいったヤツの背中には翼が生えて見えた」
ということなんだろう。

そう思いをめぐらせただけでも、このアニメを見たかいはあったかもしれない。