黄昏乙女×アムネジアの5巻にかくある。
「あなた幽霊を本気で信じてるんだ」
と。
この作品のストーリーは、ホンモノの幽霊である夕子さんと、その夕子さんが見える主人公と、幽霊が見えないのにオカルト話で大騒ぎする外野の3種類で成り立っている。
幽霊である当の本人と主人公はおいといて、一般人にとって幽霊とはそもそもどういうものだろうか?
存在を証明できないもの。
人間に似ているが人間以上の何か。
精神だけの実体のない存在。
そんなところだろうか。
だから人は「幽霊を信じる」か「幽霊を信じない」かとしか答えられない。
しかし!
幽霊である当の本人と幽霊が見える主人公にとってはその問いに意味がない。
だって幽霊が存在していることは自明なのだから。
それがどれくらい自明かというと、
「あなたは自分に自我があると信じますか?」
と問われたときくらい答えは自明である。
仮にこの人たちに質問するとしたら、どういう問いかけが適切なのだろうか?
たぶん、
「あなたにとって幽霊は実在の存在ですか?」
と問うのが正しいのではなかろうか。
幽霊を見える人は
「わたしは幽霊を信じます」
とは答えない。
「いや、信じるとか信じないとかいう前に、現に幽霊はいるし・・・」
と答えるはずだ。
にもかかわらず「幽霊を信じる」とか「幽霊を信じない」とかいう言い回し使われる。
これはなぜなのだろうか?
それは、そもそも存在しないはずだという前提で質問しているからに他ならない。
そもそも存在しないはずのものが実は存在することを内心では期待している人のことを信じる派。
そもそも存在しないはずのものだから当然に存在しないと判断するが決定的な判断基準を持たない人のことを信じない派。
そんなところだ。
実はこの表現は幽霊だけの専売特許ではない。
「あなたは神を信じますか?」
とよく言うではないか。
神も幽霊と同じである。
そもそも神なんて存在しないはずだ。
でも実は存在することを願っている。
そんな人たちが信者と呼ばれ、「わたしは神を信じます」と答えるのだ。
だから「わたしは神を信じます」なんて答えている時点で、既に神の存在を内心では疑っているに等しい。
これは聖書に出てくる神を試す行為ではないのかね?
わたしにとって神とは・・・
神は神を見ようとする者にとってのみ存在する。
わたしにとって神は居る。
あなたにとって神は居るのかどうか知らんから好きにしたまえ。
・・・そんなところだ。
神や幽霊について「信じますか?」というと、例が適切でないからわかりにくいかもしれない。
余談だが、もっと良い例を思いついたので記したい。
「あなたは、韓国の教科書に載っているところの、韓国栄光の古代史を信じますか?」
あれが日本で創作小説だとかファンタジーだとか呼ばれている所以である。