わたしはAKBにアンチ気味である。
ただし、0048に限ってはナマモノではないのでアンチではない。
そんなわたしから見て、AKBシステムで唯一関心することがある。
それは・・・
特定の個人への依存度が低いところである。
かつて、どっかの男のチンコくわえた罪によりファンにさんざんディスられて芸能界を引退したアイドルは多い。
それが罪なのかどうかという定義においては異論の余地がある。
だがファンにとって裏切りと映る事実だけはゆるぎない。
そしてAKBのメンバーでもそれが原因で寿退社する連中は後を絶たない。
しかし!
AKBには1つだけ異なるところがある。
それは・・・
個人の能力にそれほど依存していないところだ。
AKBは誰か特定の個人がやらかしたとしよう。
そしてそれがバレて寿退社になったとする。
それはそれでファンは激怒し、また落胆し、涙する。
だが。
それはそれでファンは別にお気に入りの女の子を見つけ、それはそれとして新たな楽しみ方を見つけるのだ。
そう。
極論すれば、AKBはメンバー個人がどうであれ、全体にはそれほど影響しないのだ。
これはある意味で工業製品の扱いに近い。
いかに工業製品とはいえ、あらゆる製品で無条件に不良をゼロとすることはできない。
製造した後に試験して不良をはじいた後に出荷するほうが普通である。
そして、使用している最中に一部が不良になれば、そこだけ新品のストックに入れ替えて運転を継続するのだ。
たとえばブレードサーバーを考えればわかりやすい。
ブレードのどれか1枚が故障すれば、他に冗長に刺してあるブレードで処理を分担し、その間に新しいブレードに入れ替えて元にもどす。
気がついただろうか。
AKBのシステムはこれと全く同じなのだ。
AKBにおいて故障とは、どっかの男のチンコくわえたという罪を負ったことであり、
AKBにおいて運転の継続とは、そいつを寿退社させて後で適当に研究生を補充することである。
人間は工業製品よりはるかに均一に保つのが難しい。
だからこそ、AKBのように工業製品ごとき扱いを可能とするシステムは着眼点としてすばらしい。
AKBが好きとは言わんが、そのシステムやビジネスモデルにおいて、またそのファンの言動のおもしろさには興味はある。
ただし、0048に限ってはナマモノではないのでアンチではない。
そんなわたしから見て、AKBシステムで唯一関心することがある。
それは・・・
特定の個人への依存度が低いところである。
かつて、どっかの男のチンコくわえた罪によりファンにさんざんディスられて芸能界を引退したアイドルは多い。
それが罪なのかどうかという定義においては異論の余地がある。
だがファンにとって裏切りと映る事実だけはゆるぎない。
そしてAKBのメンバーでもそれが原因で寿退社する連中は後を絶たない。
しかし!
AKBには1つだけ異なるところがある。
それは・・・
個人の能力にそれほど依存していないところだ。
AKBは誰か特定の個人がやらかしたとしよう。
そしてそれがバレて寿退社になったとする。
それはそれでファンは激怒し、また落胆し、涙する。
だが。
それはそれでファンは別にお気に入りの女の子を見つけ、それはそれとして新たな楽しみ方を見つけるのだ。
そう。
極論すれば、AKBはメンバー個人がどうであれ、全体にはそれほど影響しないのだ。
これはある意味で工業製品の扱いに近い。
いかに工業製品とはいえ、あらゆる製品で無条件に不良をゼロとすることはできない。
製造した後に試験して不良をはじいた後に出荷するほうが普通である。
そして、使用している最中に一部が不良になれば、そこだけ新品のストックに入れ替えて運転を継続するのだ。
たとえばブレードサーバーを考えればわかりやすい。
ブレードのどれか1枚が故障すれば、他に冗長に刺してあるブレードで処理を分担し、その間に新しいブレードに入れ替えて元にもどす。
気がついただろうか。
AKBのシステムはこれと全く同じなのだ。
AKBにおいて故障とは、どっかの男のチンコくわえたという罪を負ったことであり、
AKBにおいて運転の継続とは、そいつを寿退社させて後で適当に研究生を補充することである。
人間は工業製品よりはるかに均一に保つのが難しい。
だからこそ、AKBのように工業製品ごとき扱いを可能とするシステムは着眼点としてすばらしい。
AKBが好きとは言わんが、そのシステムやビジネスモデルにおいて、またそのファンの言動のおもしろさには興味はある。