今日はANZAC DAYという戦争記念日で、オーストラリア・ニュージーランド・クック諸島・ニウエ・サモア・トンガ の休日です。
ANZACは、Australian and New Zealand Army Corps―オーストラリアとニュージーランドの合同軍事組織―のことです。
かつては、第一次世界大戦のガリポリの戦いで戦ったANZACの兵たちと、国の為に尽くした人々のために追悼を行う日でしたが
第二次世界大戦後は、すべての戦争に参加した兵士たちのための追悼の意が込められるようになりました。
過去の戦争において国のために命を捧げた方々の鎮魂と
世界が平和であるようにと祈るための式典が、早朝から各地で開かれました。
キングスパークの戦争記念碑前には早朝から老いも若きも4万人が集まり
夜明けとともに献花と祈りが捧げられました。
すみません、今年も私はその時間夢の中でした…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/fa/edf1137ec9fc5310fb6c484a58a6ee2e.jpg)
(昨年末に撮影した戦争の記念碑)
日本は第二次世界大戦時において、オーストラリアの敵サイド。
日本軍がダーウィン(オーストラリア・ノーザンテリトリー首府)に二度、爆撃をしたことなど、この国に来るまで知らなかったことでした。
大正生まれだった亡父はもちろん、知っていましたが。
今はどうなのでしょう。
かつて日本とオーストラリアが戦争をしていたことを、日本の若い方々はご存知なのかな。
私がこちらに来たばかりの頃はパーティーなどで、それまで会ったことが無い人に戦争の話を持ちかけられることがありました。
多分、こちらの人たちは日本では戦争についてどう教えているのか、気になるのだと思います。
そう話をふって来る人は皆、親日的な人なので嫌な思いをしたことは無いけれど、戦争を知らない世代の私。
答えに窮することも多く、こうしてブログに書くのも頭を使うぐらいです。
一般論よりも身近な話。
私にも、戦争のけがが原因で戦後間もなく、若くして亡くなった父の兄(伯父)がいます。
私が生まれるずっとずっと前に亡くなってしまったので、もちろん会ったこともないのですが
絵が上手な人で、たくさんの油絵が本家や実家に残っていました。
生きていれば、今頃、立派な画家になれたと思うのです。
現在、我が家のキッチンの壁には、伯父が描いたお魚の絵(実家から父の形見に頂いて来た)が飾ってありますが
それを見て時々、当時、伯父も含めて、どれだけ多くの人々が志半ばにして命を落としてしまったのだろうと考えます。
亡くなられた方々の思いを、努力を無駄にしちゃいけないんですよね。
最近は戦争の話題をふられることは無くなって、捕鯨問題ぐらいですが…
これはこれでまた難しい話です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/whale.gif)
この国では、子供たちに、今の平和があるのはかつての人たちの苦労があってこそということを伝えるために
早い時期から戦争についての教育をしているようです。
私もアンザックデーについての宿題を、小学校低学年だったA美と一緒に奮闘した記憶があります。
この国は多国籍国家で、自国の内戦の戦火を逃れて移住しに来た人もたくさん。
本や映画で見て来た世界史が、現実のものとして感じるのです。
本当に命がけで生きなきゃいけない世界があるんだな、とボケボケの私が緊張するひと時です。
どんな戦争も悲しい。
繰り返してはいけないのに、今も戦争は絶えません。
でも、一人一人の心からの祈りがきっと通じる日が来ると信じたいですよね。
次世代の子供たちが笑顔を絶やすことのない未来を![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_please.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/e5/4080e99402f6fd8bf417ba950414e2c4.jpg)
The flame of remembrance ―追悼の灯
一昨年の4月25日にもアンザックデーの話を書いていました。よろしかったらこちらです。
ちょっとけっぱって難しい話書いたら…疲れちゃった![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/rabi_nomal.gif)
ANZACは、Australian and New Zealand Army Corps―オーストラリアとニュージーランドの合同軍事組織―のことです。
かつては、第一次世界大戦のガリポリの戦いで戦ったANZACの兵たちと、国の為に尽くした人々のために追悼を行う日でしたが
第二次世界大戦後は、すべての戦争に参加した兵士たちのための追悼の意が込められるようになりました。
過去の戦争において国のために命を捧げた方々の鎮魂と
世界が平和であるようにと祈るための式典が、早朝から各地で開かれました。
キングスパークの戦争記念碑前には早朝から老いも若きも4万人が集まり
夜明けとともに献花と祈りが捧げられました。
すみません、今年も私はその時間夢の中でした…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/fa/edf1137ec9fc5310fb6c484a58a6ee2e.jpg)
(昨年末に撮影した戦争の記念碑)
日本は第二次世界大戦時において、オーストラリアの敵サイド。
日本軍がダーウィン(オーストラリア・ノーザンテリトリー首府)に二度、爆撃をしたことなど、この国に来るまで知らなかったことでした。
大正生まれだった亡父はもちろん、知っていましたが。
今はどうなのでしょう。
かつて日本とオーストラリアが戦争をしていたことを、日本の若い方々はご存知なのかな。
私がこちらに来たばかりの頃はパーティーなどで、それまで会ったことが無い人に戦争の話を持ちかけられることがありました。
多分、こちらの人たちは日本では戦争についてどう教えているのか、気になるのだと思います。
そう話をふって来る人は皆、親日的な人なので嫌な思いをしたことは無いけれど、戦争を知らない世代の私。
答えに窮することも多く、こうしてブログに書くのも頭を使うぐらいです。
一般論よりも身近な話。
私にも、戦争のけがが原因で戦後間もなく、若くして亡くなった父の兄(伯父)がいます。
私が生まれるずっとずっと前に亡くなってしまったので、もちろん会ったこともないのですが
絵が上手な人で、たくさんの油絵が本家や実家に残っていました。
生きていれば、今頃、立派な画家になれたと思うのです。
現在、我が家のキッチンの壁には、伯父が描いたお魚の絵(実家から父の形見に頂いて来た)が飾ってありますが
それを見て時々、当時、伯父も含めて、どれだけ多くの人々が志半ばにして命を落としてしまったのだろうと考えます。
亡くなられた方々の思いを、努力を無駄にしちゃいけないんですよね。
最近は戦争の話題をふられることは無くなって、捕鯨問題ぐらいですが…
これはこれでまた難しい話です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/whale.gif)
この国では、子供たちに、今の平和があるのはかつての人たちの苦労があってこそということを伝えるために
早い時期から戦争についての教育をしているようです。
私もアンザックデーについての宿題を、小学校低学年だったA美と一緒に奮闘した記憶があります。
この国は多国籍国家で、自国の内戦の戦火を逃れて移住しに来た人もたくさん。
本や映画で見て来た世界史が、現実のものとして感じるのです。
本当に命がけで生きなきゃいけない世界があるんだな、とボケボケの私が緊張するひと時です。
どんな戦争も悲しい。
繰り返してはいけないのに、今も戦争は絶えません。
でも、一人一人の心からの祈りがきっと通じる日が来ると信じたいですよね。
次世代の子供たちが笑顔を絶やすことのない未来を
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_please.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/e5/4080e99402f6fd8bf417ba950414e2c4.jpg)
The flame of remembrance ―追悼の灯
一昨年の4月25日にもアンザックデーの話を書いていました。よろしかったらこちらです。
ちょっとけっぱって難しい話書いたら…疲れちゃった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/rabi_nomal.gif)