5/24 御朱印巡りの2か所目です。
京都市北区鷹峰にある曹洞宗 「源光庵」。
こちらは、愛知県在住の元気・快活な「たいぴろさん」が5月の連休に行かれ、ブログで紹介されていました。
大河ドラマのどうする家康を見ている私としては、やはり行かねばならないところでした。
この鳥居元忠の関連です。
それでは、源光庵です。
こちらが本堂。
それでは、本堂に中へ。
有名な二つの窓があります。
丸い窓が「悟りの窓」。
悟りの窓の円型は「禅と円通」の⼼を表し、円は⼤宇宙を表現しています。
四角い窓が「迷いの窓」。
迷いの窓の⾓型は「⼈間の⽣涯」を象徴し、⽣⽼病死の四苦⼋苦を表しています。
ということです。
この日は、空いていましたので、じっくりと四角い窓を眺めて迷ってました。
それでは、血天井です。
分かりにくいですが、足跡ははっきりしてます。
それでは、どうする家康の忠臣、鳥居元忠です。
HPから
本堂の⾎天井は、伏⾒桃⼭城の遺構です。
慶⻑5年7⽉(1600年)徳川家康の忠⾂・⿃ 居彦右衛⾨元忠⼀党1800⼈が⽯⽥三成の軍 勢と交戦し討死、
残る380余⼈が⾃刃して相 果てたときの恨跡です。
⿃居元忠は「三河武⼠の鑑」と称される武将です。
君主であった徳川家康とのエピソードが今も伝えられています。
慶⻑5年(1600年)、家康が会津の上杉景勝の征伐に向けて、
諸将を率いて出兵、その際、元忠は伏⾒城を預かり守り抜く役⽬を与えられました。
会津へと向かう直前、家康は伏⾒城に宿泊して元忠と酒を酌み交わします。
「我は⼿勢不⾜のため伏⾒に残す⼈数は三千だけになる。汝には苦労をかける」
と家康が述べると、元忠は答えました。
「将来、殿が 天下を取るには⼀⼈でも多くの家⾂が必要でございます。
もし、⼤坂⽅の⼤軍が包囲した時は城に⽕をかけ討死するほかありません。
多くをこの城に残すことは無駄であるため、⼀⼈でも多くの家⾂を城からお連れ下さい」と⾔いました。
家康はその⾔葉に感激、深夜 まで酒を酌み交わして別れたと伝えられているのです。
君主への忠義のため、また⾃らの誇りのため、そして⼤切な⼈々を守るために戦った多くの武⼠たち。
そうした⼈々をこの地で供養し、その物語をこの地で語り継いでいます。
歴史好きとしては、押さえておきたいところでした。
それでは、鳥居元忠を思い、無感慨深げに源光庵を後にしました。
続く・・・。
たいぴろさんが行かれて知りました。
これは、行っておかないと、行動です。
空いていたので、のんびりと過ごせました。
鳥居さん、さすがな人ですね。
たいぴろさんと同じく戦国武将に関りがあるところは、興味大です。
また、教えてください。
血天井は何箇所か見た事ありますが、此処は足跡とかしっかりと残っていて壮絶ですよね。
忠臣鳥居さん、家康を幼い頃からずっと助けた三河武士です。お墓は京都にあり此方には無いけど。
私も知っている戦国武将の関わりがある神社仏閣だと、より一層お参りしたくなります。