B.LET'S 

「滝本Bログ」滝本祥生のブログです。B.LET'SのHP→http://blets.jimdo.com/

60秒の再会

2010-04-23 11:34:04 | 日記
先日のキャストの皆さんでもう一度集まる機会があった。借りてたものを返したり、
清算やなんやかやで、いつも最後にもう一度集まることにしている。

集まったと言っても、4/28から本番の「夏の夜の夢」に向けて現在稽古中の土田さんは
約束の時間より随分遅れ、次の予定があったヤオ君は早々に席を立った。
全員が集まれたのはほんの一分程度。
土田さんの到着を待って、ヤオくんは次の約束へと向かった。
「待って待って」と、一枚だけ写真を撮った。

この顔触れでご飯を食べたのは、顔合わせの日以来だった。
真面目な我々はほぼ毎日この顔触れで集まり、ほぼ毎日まっすぐ家へ帰った。
「性暴力被害」というテーマを扱っていただけに、
「ワイワイご飯でも食べて帰ろう」なんて気分にはならなかったのかもしれない。

芝居を見に来てくれたチラシデザイン担当の若松早百合さんが、
「ああいう感情を抱え、毎日過ごしていた役者さんたちの気持ちは計り知れない」
と神妙な面持ちで話していた。
そのことを役者さんに伝えると、
「私たちは芝居が終われば終わるけど、
終わりのない感情を抱え過ごしている方々の気持ちを思うと想像を絶する」
と目の前のテーブルに目を落とした。
終わりのない感情を抱えている方々にそのことを伝え、気持ちを確かめることは私には出来ない……。

役者さんの一人が、
「演じていて、絶対に理解してもらえないし、されないと感じることが一番辛かった」と話していた。

全て終わって私が感じたことは、結局は誰も理解し合うことはできないということだった。
どんなに親しい人の気持ちもそのままを感じることはどうしたって出来ないし不可能なこと
……そんなのは当り前なのに、考えの甘い私はそのことをつい忘れ、無意識に期待してしまう。
演出をしていたってそうで、
いくら泣いて喚いて伝えても役者さんに伝わるのは「機嫌が悪そう…」程度のことだろうし、
観客が涙を流していても役者は「今のうまく行かなかったな」なんて考えながら演技していたりする。
理解し合えないなんてことは全部の大前提なのに。


重要なのは「それでも」理解したいと思う気持ち、「それでも」理解されたいと思う気持ちじゃないかと思う。
この「それでも」が少し人の気持ちに何か伝え、少しだけ何か動かすんじゃないかと、
考えの甘い私はそれでも期待してしまう。
それは結局ひとりよがりでしかないのかもしれないけれど、
「それでも」が伝わった「少し」が貯まると、「もしかして」に変わるんじゃないかと、
時々、本気でバカみたいに考えてしまったりする。

そんなことを話すと役者さんの一人は「若いねー」と言っていた。
私は笑っていただけだけど、心の中では「それでも」ってやっぱり無意識に思っていた。