ともちの小さなGLOBE

人生は一期一会のLong and winding road。小さな地球儀をめぐる日々をブログにしました。

雨の連休は読書三昧

2021-08-14 18:02:46 | 日常
8月12日から雨ばかり…
と言う事で、動きを停めて読書三昧の日々を送ることに
今日まで読んだ本は、全くジャンルが異なる3冊
「かもめのジョナサン」
「Steve Jobs 1」
「インパールの戦い ほんとうに「愚戦」だったのか」

「かもめのジョナサン」: リチャード・バック

かもめのジョナサンは、40年ぶりに読み返した…
多感な時期に読むのと、還暦過ぎの「今」は受け取り方も違うと思っていたが、根底に感じるものは同じもののような気がする。
二十歳の頃は誰もが尖がっていたわけで、既成の常識から掛け離れたものに共感を得たのも事実。
一方、還暦過ぎても、価値観の既成概念なんて無いと思っているジジイは、チャレンジへの憧れは今も変わらず、共感を持って読み終えた次第。
おそらくUSの時代背景もあるかもしれないが、女性がジョナサンの母親しか出ていない事や、第2章以降は、キリストを彷彿させるスピリチャルな布教になぞられるような感覚を得たのは、イージーライダーからグライド・イン・ブルーに至るヒッピー文化の変遷とUS社会の変化が根底になるのかとも感じた。
また、誰にも束縛されずに仕事が出来るのは理想ではあるかもしれないが、自由人であったSteve Jobsもその軋轢で悩んだわけで、ONとOFFを切り分けて、OFFの世界は誰にも束縛されない自由人のイージーライダーで居たいと改めて、かもめジョナサンが教えてくれた気がする。
心の中に、かもめのジョナサンが、ずっと住んでいて欲しいね。


「インパールの戦い ほんとうに「愚戦」だったのか」: 笠井亮平

これは、本屋さんで手に取った出たばかりの新書
2013年にイギリスの国立陸軍博物館による企画で、自国の「最大の戦い」を決める企画で、ノルマンディー上陸作戦や、ナポレオンを破ったワーテルローの戦いを抑えて「インパールの戦い」が選ばれている。

南アジアに長く仕事で関わって来た背景もあり、戦後の自虐史ともとれる歴史教育の中で、一方的に国内では愚かな戦いだったとされるインパール作戦を、自分なりに、この夏、歴史の真実とは何か?と言うことを検証してみたかった。

また、南アジアを訪れる中で自分の心に刺さっていたことは…
・南インド出張時に民家を訪ねた時にガンジーの肖像画と並べてチャンドラボースの肖像画が多くの家で飾れれており、武闘派のチャンドラボースがガンジーより人気が高かったこと…そして、チャンドラボースが日本軍と行動を共にし、英国と闘った事が語り継がれ、親日感情が非常に高かった事実…
・インドに行った時、マニプールから来たのかと言われこと…マニプールの方々の顔立ちは日本人とそっくりで、インパールはマニプールの中心都市…定かではないが同行したインド人の方からは多くの日本兵が残って暮らしたからだともいわれたこと…
・ミャンマーのマンダレーの寺院には、多くの日本人戦没者の名前が刻まれ綺麗に祀られていた事…特に従軍看護婦さんとみられる沢山の女性の方の名前が目に付いたこと…
・ミャンマー・カンボジア・タイの人々のから感じた非常に大きな親日感情(余談だが、ラバウルを訪れた時も、日本人を見るなりオーストラリアから解放してくれたと言って抱き着いてきた親子も居た)

著者の笠井亮平氏は、大学の調査研究員も務めると共に外務省専門調査員として南アジアに関わっており、非常にニュートラルな立場で本書を綴っており、自分なりに疑問を感じていた霧が晴れた感がある。

徹底的な準備と情報戦で挑んだイギリス軍に対して、その防衛網すら突破してインパールに迫った日本軍…
双方で物凄い諜報戦が展開される中、インド解放の志のもとインド独立戦争の雄チャンドラボースに率いられたインド国民軍の戦い、制空権が無い中の補給の確保、そして作戦開始時期の遅れ(1942年に計画された北部インド侵攻作戦)と、早目の雨期到来…そして途絶えた補給に加え指揮系統の乱れに起因する遅すぎた作戦中止命令…
軍からの補給が途絶した「白骨街道」と呼ばれた悲惨な撤退戦の中、情報機関である光機関による山間部民族の懐柔が功を奏し、食料が集まり餓死を免れた方々が居た逸話等々…

現地では「ジャパン・ラーン(日本戦争」として語られる激戦は結果的に、双方で多くの戦死者を出している…
日本軍戦死者:19140人
イギリス軍戦死者:16667人(インパールの戦いを含めた1943年11月から1944年7月までの戦いで、29166人が戦死している)

戦後、日本の勝機は西に行く事だったとするチャーチルの言葉も有ったように、イギリスにとっては、最大の植民地インドが抑えられることは戦争遂行資源を遮断される背景もあり、この戦いが「東のスターリングラード」と言われるゆえんであったと思う。


「Steve Jobs 1」: ウォルター・アイザック

「Steve Jobs 2」まで続くスティーブ・ジョブズの伝記となるが、本書は「Steve Jobs 1」はその生い立ちからAppleを興し、そして追放されPixar(ピクサーアニメーションスタジオ)を軌道に乗せるまでを書いた、スティーブ・ジョブズの波乱万丈の人生を描いている。
読後感は、本人の全面協力があったにせよ、包み隠さず良くここまでプライベートに至る部分も書き切ったなぁ…と言う感覚。
スティーブ・ジョブズが生きてきた時代背景は、十分に自分が生きてきた時代背景と重なる訳だけれど、凄い可能性の時代に自分もいたと思う…
思えば35年前にはPC98でBASICのプログラムに夢中になったし、カミサンもPCゲーム制作側のアルバイトでPC上でキャラクターの着色をしたこともあった時代だ…

確かにスティーブ・ジョブズは天才であったことをひしひしと感じるし、彼のような才能はあの時代、日本に居たら開花させることが出来なのだろうかと言う感覚も持った。
とは言え、スティーブ・ジョブズ…目の前に居て会話したら仲良くなるか、大喧嘩が始まるだろうなぁ…
スティーブ・ジョブズは、美しいものに神が宿る中での最高の結果を世の中に与えようとする完璧主義者として表されているが、これが彼の何物にも代えがたい「志し」に結び付いて、Apple製品は、世界の期待を越えるプロダクトとして世に送り出されている。
確かに、Appleは手に取る前のパッケージング、顧客の想像の先を与えてくれそうな店舗、絶妙な広報…購入に至る行為までもがエンターテインメントとして提供する姿勢は凄いものが有ると改めて感じざるを得ない…これを1980年代からやっていたわけだ...

思えばチャンスの無い時代は無いわけで、それに気付いて行動するか否かで結果が生まれると思う。
そして、ジョブスの好奇心の芽を摘まずに成長させていった育ての親の姿勢には感銘を受けるし、本書を通じて、好奇心と実行力、そしてめげない心と強い志しが何ものにも代えがたい成功の源泉であると強く感銘を受けた。

また、本文中でもスティーブ・ジョブズが禅に親しんだことも書かれていて日本人僧侶である乙川 弘文さんと交流を持ち禅に親しみ、永平寺に行って修行をするか、会社を興すか悩んだ中で、師である乙川 弘文さんに相談し、永平寺に行くのではなく会社を興すことを勧められて今のApple社があるのも奇縁かもしれない。
「Steve Jobs 1」には未だ出て来ていないが、彼のスピーチの中に、2005年にスタンフォード大学の卒業式で語られた有名な3つの話がある。(スタンフォードのスピーチは、「ハングリーであれ。愚か者であれ」と言う言葉で有名だが、ここで語られた3つの話は、「点と点をつなげる」「愛と敗北」「死について」が示唆に富んでいる)
その中の一つ、「点と点を結んでいく」ことに繋がる内容が「Steve Jobs 1」の冒頭に書かれていた…
スティーブ・ジョブズには生みの親と育ての親が居る…彼は養子に出されたわけで、彼の生みの親である母親は未婚の大学院生だった…
彼女は決意し、彼を大学に行かせる約束で養子に出すことにした。
しかし、育ての親は両親とも大卒ではなかったが、約束通り私財を投げうち彼を大学に通わせてくれた…
そして半年後、そこまで犠牲を払ってくれる両親の負担と、大学で何を学ぶのか(大学に通う価値)が見いだせなくなって自ら退学を決意したスティーブ・ジョブズ…
しかし、退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなると同時に、おもしろそうな授業に潜り込むことで、カリグラフの講義と出会った(学長も黙認)。
カリグラフの講義では飾り文字や、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方を勉強した…
しかし、この役に立つとは考えなかった知識が、10年後、最初のマッキントッシュを設計していたときに急に蘇ってきて、これをマックに注ぎ込むことで、美しいフォント(多様なフォントや字間調整機能)を持つ最初のコンピューターが誕生した。
これはカリグラフの講義で文字の美しさを学んだ結果で、学ぶものは無いと思っていたのに、興味のあるものに集中した結果に他ならない…
退学を決心していなかったら、カリグラフの講義に潜り込むことはなかっただろう…
パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかったかもしれない…
結果として、点と点が結ばれて行った。
もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識など無かったから、これを予測することは不可能だが、振り返ると、これで世の中は成り立っている…

道元禅師の言葉:「因果の道理、歴然として私なし」(いんがのどうり、れきねんとしてわたくしなし)がある。
今日の前にあるものは過去の結果であると…
ここでも、スティーブ・ジョブズは禅と結びついていたとも感じる…

また、般若心経の一節に「色即是空」「空即是色」がある…
「空」…無⇒一つ一つでは機能する実態が無いもの
「色」…機能し存在するもの
私たちの体は、独立しては機能しない…眼・耳・鼻・口・舌も「空」
体として集まり、心が入り機能する実体となる…すなわち「色」
しかし、ひとりでは生きられない故、「色」となった人もまた「空」…そして、その人が「御縁」を介して繋がることで「色」となる…そして、「色即是空」「空即是色」が無限に続いていく…
そんな「空」の解釈で、身近なところに目をやると、この文章を書いているディスクトップのパソコンが目に入る…
この筐体の中には、マザーボート・CPU・メモリー・グラフィックボート・ハードディスク・電源…
いずれもその単体では機能しないものばかり…つまり「空」
全てが集まってパソコンになり、そこにソフトウエアーが介在し、いま文章を書いている…全てが関わっているから、機能している…すなわち「色」
一方、このパソコンとて、ネットにつながなければ単体の「空」…ネットに繋いで智慧が集まり「色」…此れの繰り返しで成り立っているとするならば、スティーブ・ジョブズも気付いていたかもしれないが、パソコンも禅の世界を身近に表しているのだろうか…